転医義務違反を一部否定、一部肯定
〈医学的知見〉
脊髄腫瘍は、脊髄や神経根の圧迫が機能障害の原因となる。脊髄腫瘍が原因で脊髄麻痺が進行している場合、これを除去しない限り、症状の改善は期待できない。脊髄実質組織が長期間圧迫されると不可逆的に変化してしまい、機能の回復が難しくなる。特に胸髄は脊髄の圧迫損傷を起こしやすいので、早急な摘出が望まれる。
〈転医義務違反[1]-否定〉
原告は、被告医師がAの排尿遅延症状を認識し、かつ胸椎造影MRI画像の診断結果から胸髄髄内腫瘍を確認した10月25日ころに、転医させるべき義務があったと主張した。
確かに、髄内腫瘍全部摘出術は、脊髄腫瘍の摘出手術中でもっとも困難なものとされる。また、当時、被告病院には被告医師のほかに脊髄髄内腫瘍摘出術を経験した医師はおらず、被告医師も星細胞腫2例について第二術者ないし助手として関与したにすぎなかった。
しかし、被告病院は県内で脊髄手術に関してはトップクラスの実績を有し、被告病院自体が地域の難しい患者の受け入れ先となっていた。一般の脊髄手術については被告医師も十分な実績を有していた。また、当時、同県に脊髄髄内腫瘍摘出術を専門に行っている整形外科医は存在しなかった。個々の医師が個人的なつながりを用いて、転医先を確保している実情にあり、被告医師は、脊髄髄内腫瘍摘出術の実績を有する転医先の心当たりを有していなかった。
これらの事実を前提とすれば、被告医師が、第二術者等として関与した経験を頼りに、Aの脊髄髄内腫瘍を可能な限り摘出しようと考えたこともやむをえない面があり、10月25日ころの時点で、転医先を検索し、転医させるべき法的な義務があったとまで言うことはできない。
〈転医義務違反[2]-肯定〉
12月25日の時点で被告医師は、術中、腫瘍と考えたものが腫瘍でなかった可能性があること、結局、自分ではAの腫瘍を摘出することは不可能であって、被告病院ではもはや手に負えない事態であることを認識しえた。また、Aの症状が当時進行していたこと、脊髄実質組織が長期間圧迫されると不可逆的変化が生じ、機能の回復が難しくなると認識しえた。遅くともこの時点では、被告医師には、脊髄腫瘍に対応できる医療機関にAを早急に転医させるべき義務が生じたと認められる。平成9年9月にはB医師の協力のもと、隣県大学病院への転医が行われていることから、平成8年当時も、検索すれば同大学病院への転医の実現可能性は十分にあったこと、Aの症状の進行にもかかわらず、被告病院としては、もはや保存的治療以外の治療が提供できない状況にあったことからすれば、少なくとも、被告医師は、転医先を検索し、転医の努力をすべきであった。
ところが、被告医師は、その後もAの上肢の神経症状が増悪していったにもかかわらず、平成9年9月19日まで、Aを転医させなかったのであるから、転医義務違反が認められる。
〈その他の義務違反〉
[1]11月11日時点で、手術予定を変更して速やかに胸髄髄内腫瘍摘出術を行うべき義務の違反、[2]本件手術において、手術部位を誤認し、腫瘍を摘出できなかった義務違反が認められている。