Vol.077 脊髄髄内腫瘍摘出術に不成功後の転医義務

~医療提供体制をも考慮した転医義務違反の判断~

-東京地裁平成21年3月26日判決(平成18年(ワ)第21654号、判例集未搭載・確定)-
協力:「医療問題弁護団」木下 正一郎弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

A(平成8年10月当時48歳)は、平成8年10月4日(以下、月日のみの記載は平成8年を指す)、被告病院整形外科を受診し、被告医師に、平成7年12月ころから下肢にしびれが生じ、歩行障害が増悪し階段昇降に手すりを要することなどを訴えた。被告医師は胸髄症、胸椎部の脊髄の病変であると判断し、手術予定日として12月12日を確保した。
10月22日、胸椎造影MRI検査が実施され、同月25日、被告医師はAの胸髄腫瘍を確認。そして、12月12日の胸髄髄内腫瘍摘出術(本件手術)の実施を決定した。
Aは11月1日、被告病院に入院。入院当初のAは介助なしで歩行が可能な状態であり、排尿障害はあったが、膀胱障害として軽度に分類されるものであった。しかし同月8日には5日間排便がなく、直腸障害が疑われ、同月11日には下肢が上げにくく、つたい歩きしかできなくなった。
12月12日、本件手術が実施された。その際、被告医師は誤った位置の椎弓を切除したうえ脊髄と腫瘍の判別もできず、硬膜内の強度に変性した組織を、星細胞腫ではないかと考え部分的に切除した。そして、全摘が不能と判断して手術を終了した。その後、Aは同月15日に右足趾運動不可、16日には右足趾足関節可動不可、19日には自立膝立て不可など、症状が進行した。
12月25日、病理組織診断で、本件手術の際に採取された組織は腫瘍性病変ではないとの報告があった。被告医師は、壊死等により組織が病理で確認されなかった可能性もあると考えた。以後はAに対し、保存的に経過観察を行うほかないと考え、平成9年1月、移動運動訓練を開始した。
Aは、平成9年7月ころから、嘔吐を持続するようになり、握力の低下が見られた。同年9月には嚥下困難、同月7日には呼吸困難となり、誤嚥性肺炎を併発した。
同月19日、被告医師は被告病院神経内科B医師の協力を得て、Aを隣県大学病院へ転医させた。同大学病院では、誤嚥性肺炎の原因を延髄空洞症と考え、同月24日、胸髄髄内腫瘍摘出術を行った。肉眼的に確認された限り、腫瘍は血管芽腫であり、境界ははっきりしており全部摘出された。この手術後、Aの右手のしびれ感は減少し、力が入るようになり、嚥下も可能となった。しかし、両下肢完全麻痺、排尿・排便障害などの障害は残存した。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

転医義務違反を一部否定、一部肯定

〈医学的知見〉

脊髄腫瘍は、脊髄や神経根の圧迫が機能障害の原因となる。脊髄腫瘍が原因で脊髄麻痺が進行している場合、これを除去しない限り、症状の改善は期待できない。脊髄実質組織が長期間圧迫されると不可逆的に変化してしまい、機能の回復が難しくなる。特に胸髄は脊髄の圧迫損傷を起こしやすいので、早急な摘出が望まれる。

〈転医義務違反[1]-否定〉

原告は、被告医師がAの排尿遅延症状を認識し、かつ胸椎造影MRI画像の診断結果から胸髄髄内腫瘍を確認した10月25日ころに、転医させるべき義務があったと主張した。
確かに、髄内腫瘍全部摘出術は、脊髄腫瘍の摘出手術中でもっとも困難なものとされる。また、当時、被告病院には被告医師のほかに脊髄髄内腫瘍摘出術を経験した医師はおらず、被告医師も星細胞腫2例について第二術者ないし助手として関与したにすぎなかった。
しかし、被告病院は県内で脊髄手術に関してはトップクラスの実績を有し、被告病院自体が地域の難しい患者の受け入れ先となっていた。一般の脊髄手術については被告医師も十分な実績を有していた。また、当時、同県に脊髄髄内腫瘍摘出術を専門に行っている整形外科医は存在しなかった。個々の医師が個人的なつながりを用いて、転医先を確保している実情にあり、被告医師は、脊髄髄内腫瘍摘出術の実績を有する転医先の心当たりを有していなかった。
これらの事実を前提とすれば、被告医師が、第二術者等として関与した経験を頼りに、Aの脊髄髄内腫瘍を可能な限り摘出しようと考えたこともやむをえない面があり、10月25日ころの時点で、転医先を検索し、転医させるべき法的な義務があったとまで言うことはできない。

〈転医義務違反[2]-肯定〉

12月25日の時点で被告医師は、術中、腫瘍と考えたものが腫瘍でなかった可能性があること、結局、自分ではAの腫瘍を摘出することは不可能であって、被告病院ではもはや手に負えない事態であることを認識しえた。また、Aの症状が当時進行していたこと、脊髄実質組織が長期間圧迫されると不可逆的変化が生じ、機能の回復が難しくなると認識しえた。遅くともこの時点では、被告医師には、脊髄腫瘍に対応できる医療機関にAを早急に転医させるべき義務が生じたと認められる。平成9年9月にはB医師の協力のもと、隣県大学病院への転医が行われていることから、平成8年当時も、検索すれば同大学病院への転医の実現可能性は十分にあったこと、Aの症状の進行にもかかわらず、被告病院としては、もはや保存的治療以外の治療が提供できない状況にあったことからすれば、少なくとも、被告医師は、転医先を検索し、転医の努力をすべきであった。
ところが、被告医師は、その後もAの上肢の神経症状が増悪していったにもかかわらず、平成9年9月19日まで、Aを転医させなかったのであるから、転医義務違反が認められる。

〈その他の義務違反〉

[1]11月11日時点で、手術予定を変更して速やかに胸髄髄内腫瘍摘出術を行うべき義務の違反、[2]本件手術において、手術部位を誤認し、腫瘍を摘出できなかった義務違反が認められている。

判例に学ぶ

医療従事者は、最善を尽くして患者の生命及び健康を管理する注意義務を負っていますが、注意義務の基準は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準です。医療行為が医療水準に照らして相当と認められる限り、義務違反はなく責任を負うことはありません。そして、診療契約にもとづき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するに際しては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、これらの事情を捨象してすべての医療機関について診療契約にもとづき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない(最高裁判決平成7年6月9日)とされています。これに従えば、医療提供体制の整った医療機関では医師の注意義務が加重される場合もある一方で、限られた医療提供体制のもとでは医療を提供する医師の注意義務は軽減する方向に働くと言えます。
本事案でも、胸髄腫瘍と確認できた時点で転医させなかったことを是とするならば、限られた体制下、転医義務が早期には認められないであろうと考えられ、判決も同様の態度をとります。すなわち確かに被告病院及び被告医師は脊髄腫瘍に対する治療の知識、経験を有していなかったのですが、被告病院は地域の難しい患者の受け入れ先となっていました。また、被告医師は一般の脊髄手術については十分な実績を有してもいました。さらに、県内に脊髄髄内腫瘍摘出術を専門に行っている整形外科医は存在しないうえ、医療連携体制が緊密なものとは言えず、個々の医師が個人的なつながりを用いて、転医先を確保している実情にありました。これらの事情から、判決は早期の転医義務を認めませんでした。
しかし、本件手術後は事情が異なります。[1]本件手術後もAの症状は、さらに進行していたこと、[2]病理組織診断の結果、採取した組織が腫瘍性病変ではないとの報告がなされたこと、[3]結果、被告医師は、Aに対し保存的に経過観察を行うほかはないと考えたこと、[4]脊髄実質組織が長期間圧迫されると不可逆的変化が生じ、機能回復が難しくなると認識しえたことから、判決は、病理組織診断報告がなされたころの転医義務を肯定しています。
一方、被告側は、転医先を検索、確保することは困難であったと主張しています。しかし、判決は平成9年9月にはB医師の協力で隣県大学病院に転医でき、平成8年当時においても転医が実現した可能性は存在したことを指摘し、「少なくとも、被告医師は、転医先を検索し、転医の努力をすべきであった」と判示しています。そのとおりでしょう。
なお、事件内容では割愛しましたが、被告医師は、平成9年9月4日、B医師に、Aの同月1日の単純MRI画像を見せて、星細胞腫の延髄への転移ではないかと相談しています。そうしたところ B医師より、延髄の病変は腫瘍ではなく延髄空洞症である旨の回答を得ました。延髄空洞症は血管芽腫にともなうことが多く、血管芽腫を外科手術で全部摘出できた場合には消失し、それにともない神経症状も改善するという医学的知見が存在します。ところが被告医師は同月12日、呼吸困難で苦しんでいたAの家族に対してAは延髄由来の麻痺で、呼吸停止がいつ出現するかもしれない、延髄由来の腫瘍は手術での治療の方法もなく手の打ちようのない状態である、現時点ではAが安楽なように対応するなどと、治療法が存在しないかのような説明を行ったとされ、説明義務違反が認められています。
判決は、被告医師が当時、血管芽腫の存在について十分な知識や経験を有しなかったと認定しており、被告医師は、延髄空洞症及び血管芽腫に関する前記医学的知見を欠いていたと考えられます。そうであれば、被告医師としては、同月4日に延髄空洞症との回答を得た時点で、遅ればせながらB医師などに今後の対応につきアドバイスを求め、ただちに転医などの適切な措置をとるべきであったはずです。にもかかわらず、それもしなかった事実が判決の示す事実経過からうかがわれます。