原審判決を破棄し、医師の債務不履行にもとづく損害賠償責任を認める
(1)原審判決(大阪高裁判決平成14年9月13日、未登載)
原審は「Y医師による本件検査当時、Aはすでにスキルス胃がんに罹患しており、Y医師が、その直後に厳密な禁食処置をしたうえで再検査を行っていれば、その発見は十分可能であった」として、Y医師に、Aに対し必要な再検査を実施しなかった過失を認めた。
しかしながら、Aが医療機関Bを受診した平成11年10月時点では、すでに腹水があり、腹膜への転移が疑われ、平成11年11月には骨転移が確認されたことなどから、「本件検査当時においても、すでに顕微鏡レベルでは転移が存在したことが推認され」るとし、仮に、Aに対して本件検査時にスキルス胃がんの診断がされ、「ただちに適切な治療が行われていたとしても、Aの死亡の結果は回避できなかった」として、Y医師の過失とAの死亡との間に因果関係は認められないとした。
また、仮に、本件検査時点でスキルス胃がんとの診断がされ、これに対する化学療法が行われていたとしても、化学療法によりAが延命できた相当程度の可能性を認めることは困難であるとの判断を示し、Aの遺族の請求を棄却した。
このような原審の判断を不服として、遺族より上告受理申し立てがなされた。
(2)最高裁判決
最高裁は、本件につき、患者が延命できた相当程度の可能性を認めるべきであるとして原審判決を破棄し、損害の点について審理させるために、原審に差し戻した。
発生した医療事故につき医療側に賠償責任を問うためには、「過失」と「損害(結果)」が存在し、両者の間に「因果関係」が存在することを要する。「因果関係」の立証の点で、仮に適切な医療行為が行われていたとしたらという「仮定」の話が前提となる不作為型の医療事故ケース(不十分な問診、検査等が誤診、見落とし、治療の遅れを招き、患者がもともと持っていた疾病や傷害が悪化した場合等)では、実際は適切な医療行為が実施されていないため資料が存在せず、大きな困難をともなう。
この点、最高裁は、不作為型の因果関係に関し、「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性」が認められるときには因果関係が肯定され、医療側に損害賠償責任を認めるとの立場を示している(最判平成11年2月25日、判例時報1668号60頁)。
また、このような「高度の蓋然性」まで認められず因果関係が否定される場合においても、「疾病のため死亡した患者の診療にあたった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である」として、生存の「相当程度の可能性」が認められる場合には、医療側が責任を負う余地があるとの判断が示されている(最判平成12年9月22日、判例時報1728号31頁)。
本判決では、この「相当程度の可能性」の有無が争点となった。
「相当程度の可能性」の議論は、従前、医療側の不法行為責任が問題とされた事案で論じられてきたが、最高裁は本判決において、医療側の債務不履行責任を判断するに際しても同様の議論があてはまることを明らかにした。
そして、本件における「相当程度の可能性」の有無について、次のような判断を示した。「平成11年7月の時点において被上告人が適切な再検査を行っていれば、Aのスキルス胃がんを発見することが十分に可能であり、これが発見されていれば、前記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法がただちに実施され、これが奏効することにより、 Aの延命の可能性があったことが明らかである」。本件においては、Y医師により再検査が実施されていないため、当該時点におけるAの病状は不明であるとしながらも、「病状が進行した後に治療を開始するよりも、疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり、Aのスキルス胃がんに対する治療が実際に開始される約3ヵ月前である前記時点で、その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法をはじめとする適切な治療が開始されていれば、特段の事情がない限り、Aが実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である」として、一般的経験則を用いて、治療効果の有無に関しての判断を行い、本件では「Aの病状等に照らして化学療法等が奏効する可能性がなかった」といった特段の事情がうかがわれない以上、「前記時点でAのスキルス胃がんが発見され、適時に適切な治療が開始されていれば、Aが死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったものと言うべきである」として、Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められるとの判断を示した。