Vol.081 再検査の実施と経過観察の判断

~再検査の不実施により診断が遅れ、医師の債務不履行責任が認められた事例~

-最高裁判所平成16年1月15日第一小法廷判決、判例時報1853号85~89頁-
協力:「医療問題弁護団」須嵜 由紀弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件概要

本件は、胃内視鏡検査を行ったY医師(開業医)が適切な再検査を実施せず経過観察としたため、その後、患者A(女性、当時31歳)にスキルス胃がんが発見されて治療が開始されるまでに約3ヵ月間の遅れを生じ、Aは結局スキルス胃がんで死亡したとの事例につき、Aの遺族が、Y医師が適切な検査をしなかったためAのスキルス胃がんの発見が遅れたことが医療契約上の債務不履行にあたるとして提訴した事案である。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

事件内容

Aは、平成11年6月30日、食事中に喉が詰まる感じがし、嘔吐をすることもあるなどの症状を訴えて、Y医師の診察を受けた。
Y医師は、診察の結果、急性胃腸炎、食道炎、膵炎の疑いがあると診断し、同年7月17日にAを診察後、7月24日に胃内視鏡検査を実施した(以下、本件検査)。
本件検査の際、Aの胃の内部には大量の食物残渣があり、その内部を十分に観察できなかった。また、本件検査結果によれば、幽門部及び十二指腸には通過障害がないことが示されており、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、または幽門部胃がんによる幽門狭窄は否定されるものであった。したがって、「胃の内部に大量の食物残渣が存在すること自体が異常をうかがわせる所見であり、当時の医療水準によれば、この場合、再度胃内視鏡検査を実施すべき」であった。しかし、Y医師は再検査を実施せず、Aの症状を慢性胃炎と診断した。そして、Aには、「胃が赤くただれているだけで特に異常はない、心配はいらない」と説明して、内服薬(胃薬)を与えて経過観察を指示するにとどまった。
同年10月7日、Aは、他の医療機関Bで診察を受け、10月15日に胃透視検査、10月19日に胃CT検査、10月21日に胃内視鏡検査等の各種検査を実施した結果、スキルス胃がんと診断された。この時点でAには胃壁全体の硬化、腹水もあり、がんの腹膜への転移が疑われる状態だった。
Aは、医療機関Bに入院し、化学療法を中心とする治療を受けたが、同年11月には骨への転移が確認され、平成12年2月4日に死亡した。

判決

原審判決を破棄し、医師の債務不履行にもとづく損害賠償責任を認める

(1)原審判決(大阪高裁判決平成14年9月13日、未登載)

原審は「Y医師による本件検査当時、Aはすでにスキルス胃がんに罹患しており、Y医師が、その直後に厳密な禁食処置をしたうえで再検査を行っていれば、その発見は十分可能であった」として、Y医師に、Aに対し必要な再検査を実施しなかった過失を認めた。
しかしながら、Aが医療機関Bを受診した平成11年10月時点では、すでに腹水があり、腹膜への転移が疑われ、平成11年11月には骨転移が確認されたことなどから、「本件検査当時においても、すでに顕微鏡レベルでは転移が存在したことが推認され」るとし、仮に、Aに対して本件検査時にスキルス胃がんの診断がされ、「ただちに適切な治療が行われていたとしても、Aの死亡の結果は回避できなかった」として、Y医師の過失とAの死亡との間に因果関係は認められないとした。
また、仮に、本件検査時点でスキルス胃がんとの診断がされ、これに対する化学療法が行われていたとしても、化学療法によりAが延命できた相当程度の可能性を認めることは困難であるとの判断を示し、Aの遺族の請求を棄却した。
このような原審の判断を不服として、遺族より上告受理申し立てがなされた。

(2)最高裁判決

最高裁は、本件につき、患者が延命できた相当程度の可能性を認めるべきであるとして原審判決を破棄し、損害の点について審理させるために、原審に差し戻した。
発生した医療事故につき医療側に賠償責任を問うためには、「過失」と「損害(結果)」が存在し、両者の間に「因果関係」が存在することを要する。「因果関係」の立証の点で、仮に適切な医療行為が行われていたとしたらという「仮定」の話が前提となる不作為型の医療事故ケース(不十分な問診、検査等が誤診、見落とし、治療の遅れを招き、患者がもともと持っていた疾病や傷害が悪化した場合等)では、実際は適切な医療行為が実施されていないため資料が存在せず、大きな困難をともなう。
この点、最高裁は、不作為型の因果関係に関し、「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性」が認められるときには因果関係が肯定され、医療側に損害賠償責任を認めるとの立場を示している(最判平成11年2月25日、判例時報1668号60頁)。
また、このような「高度の蓋然性」まで認められず因果関係が否定される場合においても、「疾病のため死亡した患者の診療にあたった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である」として、生存の「相当程度の可能性」が認められる場合には、医療側が責任を負う余地があるとの判断が示されている(最判平成12年9月22日、判例時報1728号31頁)。
本判決では、この「相当程度の可能性」の有無が争点となった。
「相当程度の可能性」の議論は、従前、医療側の不法行為責任が問題とされた事案で論じられてきたが、最高裁は本判決において、医療側の債務不履行責任を判断するに際しても同様の議論があてはまることを明らかにした。
そして、本件における「相当程度の可能性」の有無について、次のような判断を示した。「平成11年7月の時点において被上告人が適切な再検査を行っていれば、Aのスキルス胃がんを発見することが十分に可能であり、これが発見されていれば、前記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法がただちに実施され、これが奏効することにより、 Aの延命の可能性があったことが明らかである」。本件においては、Y医師により再検査が実施されていないため、当該時点におけるAの病状は不明であるとしながらも、「病状が進行した後に治療を開始するよりも、疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり、Aのスキルス胃がんに対する治療が実際に開始される約3ヵ月前である前記時点で、その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法をはじめとする適切な治療が開始されていれば、特段の事情がない限り、Aが実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である」として、一般的経験則を用いて、治療効果の有無に関しての判断を行い、本件では「Aの病状等に照らして化学療法等が奏効する可能性がなかった」といった特段の事情がうかがわれない以上、「前記時点でAのスキルス胃がんが発見され、適時に適切な治療が開始されていれば、Aが死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったものと言うべきである」として、Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められるとの判断を示した。

判例に学ぶ

本判例は、Y医師の過失が認められる時点でのAの病状は不明であることを前提としながら、一般的経験則を重ねることによって生存の「相当程度の可能性」を認めたものです。「相当程度の可能性」の内容や判断手法に関しては、今後の議論の集積が待たれるところですが、最高裁が判断を示した具体的事例判決として本判決は、きわめて大きな意味を持つと考えられます。
本事案では、原審においてY医師の過失が認定されているため、本判決においては「相当程度の可能性」という法律的議論・評価が中心争点となりましたが、本事案の根本にある問題は、 Y医師が「十分な検査が実施できず、かつ異常所見が認められたのに適切な再検査を実施せず、慢性胃炎と診断して経過観察対処とした」ことにあると言うべきです。
本判決の論理を前提とすれば、予後不良の疾患であっても、「その時点における病状及び当時の医療水準に応じた」治療が行われなかった場合、「特段の事情がない限り」、余命に影響があったとして医療側の責任が認められることになります。
適切な時期に、適切な検査を実施することの重要性は再度指摘するまでもなく明らかですが、医師が常に重篤な疾患が隠れている可能性を考慮しつつ、検査を尽くし、その時点、時点における適切な医療行為の実施に努めることの重要性を示す事案と言えるでしょう。