Vol.079 入院指示に従わない患者の死亡

~療養指導方法の説明・説得の範囲~

-東京地裁平成18年10月18日判決、判例時報1982/102頁掲載-
協力:「医療問題弁護団」殷 勇基弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 P(男性、会社役員)は、2000年6月からC大学病院を受診し、入院精査を医師から勧められていたが、「自分の会社の上場準備などで多忙だ」として入院を拒み、外来診療をつづけていたところ、9月に容態が急変し、大動脈弁閉鎖不全症(AR)及びうっ血性心不全により死亡した(当時47歳)。
Pの死亡の約3年後、Pの妻(Pの相続人)が、C大学病院を経営するC大学を訴えた。損害賠償の理由として、Pの妻は、担当医師(E医師、C大学病院院長)がPにもっと強く入院精査を勧めていれば、Pは助かっていたはずなのに、Pが入院を拒んだからとすぐに説得を諦めたのは過失だ、と主張した。
提訴から約2年半後、第1審の判決として裁判所はE医師の過失を認め、C大学に賠償を命じた。具体的には、入院精査に向けてより強い、またもっと多様な説得をPに対してするべきだったのに、それをしなかったのは過失だ、とした。

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経緯

 Pは、8歳のときにA大学病院の心臓外科で、大動脈弁狭窄症の診断を受け、20歳ころまで受診を継続していたが、手術はしないまま、その後は20年以上、心疾患を理由としては病院を受診していなかった。

Pは、会社の上場準備で多忙だったところ、47歳の誕生日間近の2000年5月ごろから息切れがひどくなり、
6月15日、B医院を受診した。B医師は「肝、胆のう腫瘍の疑い」と記載した診療情報提供書を作成して、普段から協力関係にあったC大学病院を紹介した。
6月16日、PはC大学病院外科でD医師の診察を受けたが、エコー検査では肝臓や胆のうに明瞭な異常が見られず、うっ血性心不全と考えられ、CT写真上に著明な心肥大の所見が見られたが、肝腫瘍の所見は見られなかった。D医師は、循環器専門医の診察が必要と考え、同院内科を受診するようPに指示した。
7月1日、Pは同院内科のE医師(C大学病院院長)の診察を受けた。E医師は、すでに外科で実施された検査の結果からPには左室肥大に加えて心筋障害が見られることを認めた。そのうえで E医師は問診でPから自覚症状がないこと、小学校時代に弁膜症でA大学病院小児科にかかったことがあること、駅の階段を上るときも特段の問題がないことなどを聞きとった。E医師は、この内容が客観的所見と矛盾し、不合理だと考えて、その旨をPに指摘したが、Pの発言内容は変わらなかった。
この時点でE医師は、Pがうっ血性心不全を起こしており、その原因がARであると診断し、安静にしていないと急性憎悪や不整脈を生じやすく危険であるほか、突然死にいたることもあると判断した。ただ、これを確定診断とするには、なお客観的な検査を行う必要があると考えた。E医師はPにレントゲン写真などを示したうえで、ARによるうっ血性心不全であり、即日入院して精査する必要があると説明した。しかし、この際、E医師は突然死の危険性をPに告げなかった。Pは、「自分は会社役員であり仕事が多忙で会社を休めない」などと言い、入院はできないと答えた。そこで、E医師は当日の入院を諦め、7月6日の心エコー検査を予約した。
7月6日、Pは心エコー検査と、E医師の診察を受けた。E医師は、Pの下肢に浮腫を認め、入院精査を勧めたが、Pは仕事が多忙であることを理由にこれを拒んだ。心エコー検査の結果は、左室内径短縮率(FS)値が10%であるなど、異常値を示していた。7月22日にもPはE医師の診察を受けたが、やはり自覚症状はほとんどないと述べた。7月29日の診察では、Pは気分は良好で、駅の階段も大丈夫であると答えた。E医師は、心エコー検査を8月5日にも実施することにした。
8月5日、心エコーの検査が実施された。8月26日、PはE医師の診察を受けたが、やはり気分は良好と述べ、E医師は心エコー検査の結果を確認したうえで経過を観察することとし、次回の予約を9月30日とした。
8月28日、Pは(紹介医である)B医院を受診し、「E医師は当初、入院を勧めていたが、その後は経過観察に終始して症状が改善していない」として、セカンドオピニオンのために他病院を紹介してほしいと述べた。B医師は、国立病院Fセンターを紹介した。
8月30日、PはFセンターを受診。担当医師は、C大学病院が自宅から近いなら、C大学病院での治療を継続するのがいいだろうと述べた。
9月2日午前10時ごろ、PはB医院を受診。同日午後6時、自宅マンションで倒れているところを妻が発見し119番したが、午後7時、死亡が確認された。

裁判では、P側は以下のように主張した。「7月6日の心エコー検査の結果、極めて重大な異常値を示していて、いわばいつ死んでもおかしくない最高度のARであることが明らかだった。 E医師は、Pの誤解を解いたうえで、遅くとも8月5日までにPに(さらには連絡をとってPの妻にも)入院を強く説得する義務があった」。これに対し、C大学病院側は以下のように反論した。「診察日において長時間をかけて入院を強力に勧めたが、Pが強く拒否したものである」。

判決

E医師の説明義務違反を認める


裁判所はC大学に、Pの妻に対して約6000万円と、これに対する6年(死亡から判決までの期間)分の遅延損害金約1800万円、合計約7800万円を支払うよう命じた。
争点については、以下のとおり判断した。E医師が入院を勧めたのに、Pがこれを拒否したのはそのとおりである。しかし、この拒否は、Pが自分の病状を誤解していたことによる。 E医師は、Pが誤解にもとづいて入院を拒否していることを容易に察知できたはずであり、E医師は、正確に病状を説明したうえで、とにかくPの入院を実現させるために、もっと強く、もっと工夫をした説得を遅くとも8月5日までにすべきだった。
たとえば、8月に夏休みをとって、その際に一時的にでも入院することを提案し、とにかく入院させたうえで検査を実施し、その結果を示すなどして、入院の継続を説得するなどの方法があったはずである。
また、入院精査についても、単に、抽象的に入院精査の必要があると告げただけで入院の期間を示すこともなかった。E医師は、事態を紹介医であるB医師やPの妻に告げて、Pの誤解を解くための協力を求めることもしなかった。
これらによると、E医師は、Pの誤解を解くために適切な説明をする義務を果たさなかったと言うべきである。しかもE医師は、8月26日に最終的には経過観察をするとして診療を終えているが、これはPの誤解を助長する積極的な過失行為だった。E医師は、Pに対して、自分の方針に従うか、転医をするかの選択を求めるべきだった。それをせずに漫然と経過観察をつづけることは、患者の誤解を助長するものであると言える。
E医師が適切な説明・説得をしていれば、Pは入院、さらには弁置換手術に応じていたはずであり、その場合、9月2日にPが死亡することはなかった蓋然性が大きい。したがってC大学には損害賠償責任がある。
C大学は控訴した。

判例に学ぶ

 医師の指示に従わない患者に対する説得は、療養指導方法の説明・説得という広い意味では説明義務の問題とも言えます。医師が、このような患者への対応に苦慮することはままあるだろうと思われます。
そのような場合に、医師はどこまで強く、また、どんな方法の説明・説得をする必要があるのでしょうか。
本事例では、患者は担当医師に対して入院を拒否したり、自覚症状がないなどと説明していますが、それは客観的所見と矛盾していました。ただ、他方で、患者は不安からセカンドオピニオンを得ようともしていたのであり、その心理は複雑です。少なくとも裁判の場では、そのような複雑、多様な心理を理解して、患者に望ましい医療を受けさせるのも医師の能力のひとつと解されており、通り一遍で説得を終えるのは過失とされる場合があります。
特に本事例の場合は、突然死の具体的危険を知れば指示に従わない患者はいないはずであり、その意味で患者が病状を誤解していることは明らかで、通常以上に医師はさまざまな方法を用いて説得にトライするべきだったとされました。具体的には、夏休みを利用しての一時入院の提案や、患者の妻や紹介医との連携などが例示されています。
逆に、医師が負う義務は説明・説得であって、それ以上の強制をすることはできない以上、このようなことにトライしたにもかかわらず、それでも患者が従わなかった場合には、もはや医師の責任はないことになります。もっとも、その場合も将来のトラブル防止のためにもカルテ等に説得や提案の内容を丁寧に記録しておくべきでしょう。
なお、裁判例や学説の中には、医師への不満なども表明しないまま、無断で受診を中止した患者であっても、特に再発がんなどの重大な場合などで、かつ、患者への連絡が可能なときには、さらに説明や説得を試みる義務がある、とするものがありますので注意が必要です。

*参考文献:『判例にみる医師の説明義務』藤山雅行・編著、新日本法規、2006年