Vol.083 麻酔薬は患者の状態等に配慮した投与を

~因果関係を否定した原審の判断が違法とされた事例~

-最高裁平成21年3月27日第二小法廷判決-
協力:「医療問題弁護団」梶浦 明裕弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件患者である乙川桜(仮名、以下「桜」)は、本件当時65歳、身長143cm、体重43kgであった。桜は、平成9年5月14日、転倒して左大腿骨頸部内側骨折の傷害を負い、同年6月5日、人工骨頭置換術(以下「本件手術」)の手術適応と判断され、本件病院に入院した。
本件手術は執刀医をM医師、麻酔医をK医師として行われることになり、平成9年6月10日、本件手術が実施された。K医師は、午後1時25分ころから約10分かけて全身麻酔薬のプロポフォール初回量80mgを静脈内投与し、桜を就眠させ、午後1時35分ころから7.5mg/kg/時で持続投与を開始した。あわせて、K医師は、午後1時35分ころ、硬膜外麻酔として2%塩酸メピバカイン注射液2Mlを硬膜外カテーテルから注入し、その後4~5分して、同液18Mlを同カテーテルから注入した(注入された塩酸メピバカインの量は合計400mg)。また、同時に全身麻酔薬の塩酸ケタミン初回量45mgを静脈内投与し、次いで0.75mg/kg/時で静脈内に持続投与した。
桜の血圧は午後1時20分に152/86(収縮期血圧/拡張期血圧)mmHgであったが、37分に75/45に、48分に80/50に低下し、K医師は各血圧低下に対し、昇圧剤を静脈注射して血圧を回復させた。
他方、M医師は、午後1時55分に執刀を開始し、午後2時15分までに髄腔内を削るなどの作業を行った。
その間、桜の血圧は、午後2時以降低下したものの、K医師が昇圧剤の点滴静脈注射を行ったところ、桜の血圧は同10分には回復した。
ところが、桜の血圧は、午後2時15分に80/44まで低下した後、さらに急激に低下し、脈拍触知不能の後、心室性期外収縮が頻発し、午後2時22分ころ、心室細動(事実上の心停止)となった。
担当医師らは午後2時20分ころから麻酔薬投与を中止し、血圧の異常な低下に対する措置及び心肺蘇生措置を講じた(本件手術も中止した)が功を奏せず桜は午後7時53分に死亡した。患者(桜)の相続人(遺族)らは、医療機関には麻酔薬の過剰投与の(麻酔薬の投与量を調整すべき)注意義務違反(過失)等があったとして東京地方裁判所に提訴した。

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判決

医師の注意義務違反と患者死亡との間の因果関係を認める


本件で裁判上問題(争点)となったのは、主には、[1]麻酔薬の投与量を調整すべき注意義務違反の有無、及び[2](同注意義務違反と死亡結果との間の)因果関係の有無である。
この点、原審(二審、東京高等裁判所)は能書の記載を重視し、単独で使用する場合を想定した用量(塩酸メピバカインは最高限度の量)を投与した麻酔医(K医師)には「個々の能書に規定する年齢、体重、身長等による増減を考慮し、他の薬剤との相互作用を考慮した麻酔薬総量に対する配慮をすべき」注意義務([1])の違反があるとした(一審:東京地方裁判所はこれを否定した。)。
他方で、原審は因果関係([2])については、「仮にK医師において薬量の加減を検討して塩酸メピバカインの投与量を減らしたとしても、その程度は麻酔担当医の裁量に属するものであり、その減量により本件心停止及び死亡の結果を回避することができたと言える資料もなく、また速やかに心臓マッサージが開始されたとしても、死亡の結果を回避することができたと言える資料もない」ことを理由に、否定した。
これに対し最高裁は、麻酔薬の投与量を調整すべき注意義務違反([1])についての原審の判断は是認できるとしつつ、以下のように判示して、注意義務違反と死亡結果との間の因果関係([2])はあると判断し、これと異なる原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるとして、原判決を破棄し、東京高等裁判所に差し戻した。
すなわち、最高裁は、まず、次に挙げる個別事情によれば、麻酔科医であるK医師は、プロポフォールと塩酸メピバカインを併用する場合には、プロポフォールの投与速度を通常よりも緩やかなものとし、塩酸メピバカインの投与量を通常よりも少なくするなどの投与量の調整をしなければ、65歳という年齢の桜にとってはプロポフォールや塩酸メピバカインの作用が強すぎて、血圧低下、心停止、死亡という機序をたどる可能性が十分あることを予見できたと判示した。

●本件手術当時、桜は年齢65歳、身長143cm、体重43kgだった
●全身麻酔薬プロポフォールの能書では投与により就眠が得られた後は通常、成人では4~10mg/kg/時投与速度で適切な麻酔深度が得られるとされ、導入後10分間10mg/kg/時、10~20分間8mg/kg/時、20~30分間6mg/kg/時、30分間以降全身状態を観察しながら調整するとの使用例が記載されていた
●局所麻酔薬塩酸メピバカインの能書では通常、成人には、硬膜外麻酔の場合2%注射液使用時で200~400mg(注射液としては10~20Ml)を投与するとされていた
●両麻酔薬を併用投与する場合は、プロポフォールは通常よりも低用量で適切な麻酔深度が得られ、併用により血圧及び心拍出量が低下することがあるので、投与速度を減ずるなどして慎重に投与すべきこと、また、一般に高齢者では循環器系等への副作用が現れやすいので、投与速度を減ずるなど患者の全身状態を観察しながら慎重に投与すべきことが、能書上明らかだった
●塩酸メピバカインには重大な副作用として除脈、心停止等のショックがあり、その投与量は年齢、麻酔領域、部位、組織、症状、体質により適宜増減すべきもので、一般的に高齢者では麻酔範囲が広がりやすく、麻酔に対する忍容性が低下しているので、投与量の減量を考慮するとともに患者の全身状態の観察を十分に行うなど慎重に投与すべきものであることが、能書上明らかであった
●高齢者への塩酸メピバカイン投与に関し、65~74歳の患者に対する下肢の手術の場合、2%塩酸メピバカイン注射液の硬膜外麻酔における投与量を8Mlとする文献もあった
●塩酸メピバカインを投与すると、交感神経節前線維を麻痺させ、交感神経を遮断することにより、末梢血管を拡張させて循環血液量を減少させる等の機序により血圧低下が生じ、心停止にいたる可能性があるが、プロポフォールが投与されている場合は前記機序による血圧低下への影響が増大する

以上(K医師が桜の血圧低下から死亡にいたる機序を予見できたこと)を前提に、最高裁はK医師が次のような投与を行い、また、次の機序をたどった以上、注意義務違反([1])だけではなく、注意義務違反と桜の死亡との間には因果関係([2])があると判示した。

●全身麻酔により就眠を得た桜に対し、2%塩酸メピバカイン注射液をその能書に記載された成人に対する通常の用量の最高速度である20Ml投与したうえ、プロポフォールを、通常、成人において適切な麻酔深度が得られるとされる投与速度に相当する7.5mg/kg/時の速度で、午後1時35分から午後2時15分すぎまで40分以上の間持続投与した
●その持続投与の間、桜の血圧が硬膜外麻酔の効果が高まるにともなって低下し、執刀が開始された午後1時55分以降には少量の昇圧剤では血圧が回復しない状態となっていたにもかかわらず、K医師は投与速度を減じず、その速度が能書に記載された成人に対する通常の使用例を超えるものとなっていた
●以上の結果、午後2時15分すぎに桜の血圧が急激に低下する事態となり、それに引きつづいて心停止、死亡という機序をたどった

判例に学ぶ

本件では、「麻酔科医には、個々の能書に規定する年齢、体重、身長等による増減を考慮し、他の薬剤との相互作用を考慮した麻酔薬総量に対する配慮をすべき」注意義務(過失)がある(さらには本件麻酔科医Kには同注意義務違反がある)とした点で、原審(控訴審)と最高裁の判断は一致しています。両者の判断の違いは注意義務違反と死亡結果との間に因果関係があるか否かという点です。
原審は、次の理由で因果関係を否定しています。
●麻酔薬の投与量を調節すべきだが、どの程度減らすかは麻酔科医の裁量の範囲
●仮に麻酔薬の投与量を減らしたとしても、悪しき結果を避けられたという証拠がない

これに対し、最高裁は、かかる原審の判断は誤りであるとして、因果関係を肯定する判断をしました。最高裁の考え方は、判旨上は必ずしも明確ではありませんが、次のように理解できます。
●仮に(本件のように)能書記載の使用量の範囲であっても、個々の患者の状態や他の薬剤との相互作用への配慮を欠いた総量の麻酔薬が投与された以上、患者に血圧低下等の悪しき結果が生じることは予見しえた(具体的な結果の予見)。したがって、そのような機序をたどらないよう、投与量を調整すべき注意義務がある
●このように悪しき結果を予見しえたにもかかわらず、麻酔薬の投与量を調節せずに投与したのであれば(注意義務違反)、原則として、悪しき結果との間に因果関係があると判断すべきである
●投与量を適切に調整したとしても悪しき結果を避けることができなかったというような事情があるのなら、それは医療機関側で主張・立証すべきである

以上のように、本件最高裁は、当該麻酔薬の能書の具体的な記載等にもとづき本件患者が血圧低下から死亡にいたる機序(具体的な結果)を予見できたことを大前提に、因果関係についての立証責任を患者側から医療機関側に事実上転換していると考えられます。その結果、医療機関側が反証に成功しなければ、因果関係が肯定されることになります(本件)。
麻酔薬の投与だけではなく、その他の医療行為も同様に、当該医療行為を行うことにつき、能書の記載等にもとづき具体的な悪しき結果が予見可能と言える場合は、そのような悪しき結果を避けるべく、対処しなければなりません(注意義務)。
さらに、本件では、そのような適切な対処を欠いた(注意義務違反)結果として悪しき結果が生じた以上、因果関係も肯定すべきという判断がなされました。この判断には、本件各麻酔薬の能書の記載等から、患者の状態等に応じて投与量を調整しなければ血圧低下から死亡にいたる可能性が高いことが一般的にうかがえるところ、実際に本件でも同様の機序をたどった、という本件事案の個別事情も影響していると考えられますが、このような事情次第では、注意義務違反と同時に因果関係が原則肯定されうるという点には配慮が必要です。