医師の注意義務違反と患者死亡との間の因果関係を認める
本件で裁判上問題(争点)となったのは、主には、[1]麻酔薬の投与量を調整すべき注意義務違反の有無、及び[2](同注意義務違反と死亡結果との間の)因果関係の有無である。
この点、原審(二審、東京高等裁判所)は能書の記載を重視し、単独で使用する場合を想定した用量(塩酸メピバカインは最高限度の量)を投与した麻酔医(K医師)には「個々の能書に規定する年齢、体重、身長等による増減を考慮し、他の薬剤との相互作用を考慮した麻酔薬総量に対する配慮をすべき」注意義務([1])の違反があるとした(一審:東京地方裁判所はこれを否定した。)。
他方で、原審は因果関係([2])については、「仮にK医師において薬量の加減を検討して塩酸メピバカインの投与量を減らしたとしても、その程度は麻酔担当医の裁量に属するものであり、その減量により本件心停止及び死亡の結果を回避することができたと言える資料もなく、また速やかに心臓マッサージが開始されたとしても、死亡の結果を回避することができたと言える資料もない」ことを理由に、否定した。
これに対し最高裁は、麻酔薬の投与量を調整すべき注意義務違反([1])についての原審の判断は是認できるとしつつ、以下のように判示して、注意義務違反と死亡結果との間の因果関係([2])はあると判断し、これと異なる原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるとして、原判決を破棄し、東京高等裁判所に差し戻した。
すなわち、最高裁は、まず、次に挙げる個別事情によれば、麻酔科医であるK医師は、プロポフォールと塩酸メピバカインを併用する場合には、プロポフォールの投与速度を通常よりも緩やかなものとし、塩酸メピバカインの投与量を通常よりも少なくするなどの投与量の調整をしなければ、65歳という年齢の桜にとってはプロポフォールや塩酸メピバカインの作用が強すぎて、血圧低下、心停止、死亡という機序をたどる可能性が十分あることを予見できたと判示した。
●本件手術当時、桜は年齢65歳、身長143cm、体重43kgだった
●全身麻酔薬プロポフォールの能書では投与により就眠が得られた後は通常、成人では4~10mg/kg/時投与速度で適切な麻酔深度が得られるとされ、導入後10分間10mg/kg/時、10~20分間8mg/kg/時、20~30分間6mg/kg/時、30分間以降全身状態を観察しながら調整するとの使用例が記載されていた
●局所麻酔薬塩酸メピバカインの能書では通常、成人には、硬膜外麻酔の場合2%注射液使用時で200~400mg(注射液としては10~20Ml)を投与するとされていた
●両麻酔薬を併用投与する場合は、プロポフォールは通常よりも低用量で適切な麻酔深度が得られ、併用により血圧及び心拍出量が低下することがあるので、投与速度を減ずるなどして慎重に投与すべきこと、また、一般に高齢者では循環器系等への副作用が現れやすいので、投与速度を減ずるなど患者の全身状態を観察しながら慎重に投与すべきことが、能書上明らかだった
●塩酸メピバカインには重大な副作用として除脈、心停止等のショックがあり、その投与量は年齢、麻酔領域、部位、組織、症状、体質により適宜増減すべきもので、一般的に高齢者では麻酔範囲が広がりやすく、麻酔に対する忍容性が低下しているので、投与量の減量を考慮するとともに患者の全身状態の観察を十分に行うなど慎重に投与すべきものであることが、能書上明らかであった
●高齢者への塩酸メピバカイン投与に関し、65~74歳の患者に対する下肢の手術の場合、2%塩酸メピバカイン注射液の硬膜外麻酔における投与量を8Mlとする文献もあった
●塩酸メピバカインを投与すると、交感神経節前線維を麻痺させ、交感神経を遮断することにより、末梢血管を拡張させて循環血液量を減少させる等の機序により血圧低下が生じ、心停止にいたる可能性があるが、プロポフォールが投与されている場合は前記機序による血圧低下への影響が増大する
以上(K医師が桜の血圧低下から死亡にいたる機序を予見できたこと)を前提に、最高裁はK医師が次のような投与を行い、また、次の機序をたどった以上、注意義務違反([1])だけではなく、注意義務違反と桜の死亡との間には因果関係([2])があると判示した。
●全身麻酔により就眠を得た桜に対し、2%塩酸メピバカイン注射液をその能書に記載された成人に対する通常の用量の最高速度である20Ml投与したうえ、プロポフォールを、通常、成人において適切な麻酔深度が得られるとされる投与速度に相当する7.5mg/kg/時の速度で、午後1時35分から午後2時15分すぎまで40分以上の間持続投与した
●その持続投与の間、桜の血圧が硬膜外麻酔の効果が高まるにともなって低下し、執刀が開始された午後1時55分以降には少量の昇圧剤では血圧が回復しない状態となっていたにもかかわらず、K医師は投与速度を減じず、その速度が能書に記載された成人に対する通常の使用例を超えるものとなっていた
●以上の結果、午後2時15分すぎに桜の血圧が急激に低下する事態となり、それに引きつづいて心停止、死亡という機序をたどった