Vol.087 呼吸困難の可能性が通常より高い場合の注意義務

~呼吸困難の可能性を考えた対応をとらなかったとして経過観察義務違反と認定された事例~

-名古屋地裁平成19年1月31日判決-
協力:「医療問題弁護団」高谷 知佐子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件患者は、強直性脊椎骨増殖症の治療のため、平成15年11月11日、被告病院で頸椎骨切除手術を受けた。手術は午後2時半ごろから午後4時半ごろまでかかり、本件患者は午後5時15分にリカバリールームに戻った。
ところが、午後9時ごろから本件患者の体動が激しくなり、何度も「起きる、横になる」と言って起き上がろうとし、また、血圧も170ないし180、ときには190mmHg台まで上がった。准看護師が口腔や鼻腔から痰の吸引を試みたが奏功しなかった。
看護師らが相談のうえ、担当の医師に電話し、本件患者の血圧が150ないし160mmHg台であること、SpO2が96ないし95%であること、痰があり、起き上がろうとする動作があって不穏状態であること、側臥位への体位変換、蒸留水吸入を実施しても痰は少量しか引けないことなどを説明し、ギャッジアップしても良いか尋ねた。
これに対し、担当医はギャッジアップを20度することを許し、それでも不穏がつづく場合にはセルシン10mgを1A筋肉注射することを指示した。
看護師らがベッドを20度ギャッジアップしたが、本件患者の体動はつづき、インスピロンをはずそうとする動作をしていた。そこで、看護師らは午後9時13分に、セルシン1A(10mg)を筋肉注射した。
本件患者の呼吸状態はセルシン投与後数分したところで、深い呼気と短い呼気というように変化した。看護師が午後9時20分に心電図を装着した。すると、当初は毎分100回台であった心拍数が、徐々に毎分30ないし40回台に低下していった。
午後9時25分ごろ、本件患者は深い呼気のまま呼吸停止した。看護師や来棟した当直医により蘇生術が施されたが、その後、本件患者は回復することなく午後11時50分に死亡が確認された。
本件患者の相続人らは、本件患者が死亡したのは、(1)被告病院の医師、看護師及び准看護師が、術後に適切な経過観察をしなかった、(2)同医師が、本件患者の呼吸困難の際に迅速に気道確保をしなかった、(3)同医師が、術後に適切なドレーン選択をしなかったなどの過誤によるものであると主張して、不法行為(使用者責任)及び診療契約上の債務不履行責任にもとづき、損害賠償の支払いを求めて、名古屋地方裁判所に提訴した。

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判決

経過観察義務違反があること及び当該違反と患者の死亡との間の因果関係を認める

(1) 裁判上の争点

本件で裁判上主な問題(争点)となったものは、[1]死因と予見可能性の有無、[2]呼吸管理に関する経過観察義務懈怠の有無、[3]経過観察義務懈怠と結果(死亡)との因果関係である。その他にも、気道確保のための処置の適否や頸部ドレナージの適否についても当事者間においては争点として争われているが、裁判所において特に判断されていない。

(2) 争点1 -死因と予見可能性の有無-

まず、[1]死因については、裁判所は医師の鑑定意見書などを根拠に、強直性脊椎骨増殖症の治療のための頸椎骨切除手術(以下「本件手術」という)の部位における出血が凝血塊となり、これがその周辺の反回神経を圧迫・麻痺させ、声帯が閉塞したことにより呼吸困難が生じたと認定した。そして、気道閉塞が生じた時点については、午後9時以降に本件患者の体動が徐々に激しくなっていることから、遅くとも午後9時ごろであったと認定している。
また、予見可能性については、証拠として提出された文献において食道がん手術、甲状腺手術、胸腔内手術、頸椎前方固定術等の際、合併症として反回神経麻痺を生ずる可能性があること、特に両側性麻痺は重篤な呼吸困難を来すことがあるから嗄声の有無や呼吸状態の観察を定期的に行い致命的な結果を招く前に気管内挿管や気管切開の措置が必要となることがあるなどと記載されていることにもとづき、本件患者についても反回神経麻痺による声帯閉鎖に起因する呼吸不全について予見可能性があったと判断した。

(3) 争点2 -呼吸管理に関する経過観察義務懈怠の有無-

[2]呼吸管理に関する経過観察義務懈怠の有無については、午後9時までの経過観察についてはナースステーションとリカバリールームが隣り合わせで、かつガラスで隔てられており、本件患者の状態を容易に観察しうる状況であったことなどから特に問題ないとした。
しかし、午後9時以降については、本件患者の体動が激しくなり、痰の吸引や体位変換をしても、その状態が改善しなかったという状況に照らし、遅くとも午後9時10分ごろにおいては、本件患者の呼吸困難の可能性を考えた対応措置を速やかに講ずる必要があったと判断している。
そのうえで、看護師から上申を受けた担当医師としては、本件患者の体動が呼吸困難によるものか別の原因によるものか、看護師からの上申の内容からだけでは判断できないのであるから、看護師に対し、「体動の原因を判断しうるだけの症状を確認するよう看護師に指示すべきであった」としている。
また、呼吸困難かどうかを判断する際には、看護師による呼吸状態の視認や聴診のみならず、創部や気道の状態を確認するために場合によってはCTなどの使用も考えられること、反回神経麻痺に起因する呼吸困難の結果呼吸停止となった場合などでは、医師による気管内挿管または気管切開が必要となる可能性が高いので、担当医としては、「呼吸困難の可能性を踏まえて、その後の急変に対応できるよう、自らが本件患者のもとに向かうか、とりあえずは当直医にリカバリールームへ来てもらうよう指示するなどして、医師が直接観察し、必要な措置をとれる状態にしておくべきであった」としている。
そして、担当医は看護師からの上申に対し、本件患者の体動が痰詰まりと術後の通常の不穏と即断し、ギャッジアップとセルシンの筋肉注射を許可ないし指示するにとどまったのであるから、経過観察において注意義務を懈怠する点があったと認定した。

(4) 争点3 -経過観察義務懈怠と結果との因果関係-

[3]経過観察義務懈怠と結果(死亡)との因果関係については、午後9時10分ごろに看護師から上申を受けた際、本件患者の呼吸困難の可能性を考え、体動の原因究明のためのさらなる指示を看護師等に与え、かつ、いつでも気管内挿管や気管切開ができるよう準備するなどの適切な対応をとっていれば、実際よりも早期に本件患者の呼吸困難が判明し、気道確保に対する適切な措置をとることができたと考えられること、気道さえ確保できれば心肺機能も回復した可能性が高く、本件患者を救命できた蓋然性が高いことを認定し、因果関係を肯定した。

判例に学ぶ

 本件は、術後の経過観察義務懈怠の有無が主たる争点として争われた事案ですが、特に夜間の患者の容態急変に際し、病院(担当医)としてどのような対応をとらなければならないかという点について、具体的な判断がなされた点が実務においても参考になると思われます。
本件の被告病院は、「少なくとも相当規模、施設を有する総合病院」であると認定されています。本件患者については手術直後ではなく、病棟に戻ってから約4時間後に容態が急変していますが、それが夜間帯にあたる午後9時ごろであったため、すでに担当医は帰宅しており病院にはいませんでした。
裁判所はまず、術後の経過観察義務の内容を認定する際の前提として、本件患者の死因について、手術後の出血による凝血塊が、反回神経を圧迫してこれを麻痺させ、声帯が閉塞したことによる呼吸困難であると認定しています。そして、被告病院において、このような凝血による反回神経の麻痺を過去に経験したことがなかったとしても、反回神経麻痺による声帯閉鎖に起因する呼吸不全が急激に生ずることが知られていることや、その旨の文献などの存在を理由に、被告病院(の医療従事者)においては予見可能性が存在するとしています。当然かもしれませんが、当該病院において過去に経験したことのない合併症であっても、それが、医学上の知見として知られている以上、当該合併症を念頭に置いた対処が必要であるということになります。
裁判所は、前記の予見可能性の存在を前提に、本件患者については特に術前から片側反回神経麻痺が認められており、両側反回神経麻痺による呼吸困難の可能性は通常より高いことが予見しうる状況であったとしたうえで、本件患者の体動が激しくなるなどした午後9時ごろにおいては、本件患者の「呼吸困難の可能性を考えた対応措置を速やかに講ずる必要があった」としています。そして、呼吸困難の可能性を考えた対応措置である以上、気管内挿管や気道切開などの気道確保を可能とする対応でなければならず、必然的に、それは看護師だけではなく、医師による措置を講ずることができるような体制づくりをしておく必要がある、ということを意味することになります。この点、裁判所は、担当医が本件患者のもとへ向かうか、(それができない、あるいはしないとしても)「とりあえず」は当直医にリカバリールームに来てもらうように指示するなどして、ともかく医師を本件患者のところに行かせなければならないとしています。
医療従事者の確保が容易である昼間とは異なり、夜間の時間帯において既述の「対応措置」を講ずるには、実際にはいろいろな困難をともなうことは予想されます。担当医師としては、当直医をわずらわせるといったことに躊躇を覚えるケースもあるのではないかと思われます。しかし、容態が落ち着いていた患者における急変とは異なり、本件のような術後の容態急変は、もともと「予見可能性」が認められやすいケースであると言えますので、医療従事者としては、「想定しうる事態」に備えた対応が、仮に夜間であっても求められ、かつ、そのような体制がとられていなければ、注意義務違反を追及されうるということになります。