Vol.093 肺血栓塞栓症予防のために弾性ストッキングを着用させる注意義務

~弾性ストッキングを着用させるべき義務を怠ったことに対する損害の請求が認容された事例~

-大阪地裁平19(ワ)第5647号、判例タイムズ1319号211頁-
協力:「医療問題弁護団」芝田 佳宜弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

 本件は、脳出血により入院中の患者が3日後に肺血栓塞栓症で死亡したことについて、(1)医師は、肺血栓塞栓症予防のため、患者に対し、入院時から弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させる注意義務を負っていたと言うべきであり、(2)入院当初から弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させていた場合に患者が死亡しなかった可能性が相当程度存在するとして、慰謝料の支払いを命じた事案です。

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事件内容

患者Aは、昭和31年10月生まれの女性であった。Aは、平成18年12月1日の午後6時50分ごろ、自宅内で昏倒しているところを帰宅した夫に発見され、ただちに救急車で被告病院に搬送された。 Aは脳出血により下肢を含む右片麻痺の症状を呈していた。Aは身長155センチ程度であるのに対して、体重は少なくとも90キログラム程度はあった(BMI37程度。高度肥満)。当時、被告病院にはAのような高度肥満の体型の患者にも適用できるサイズの弾性ストッキングはなく、担当医師は弾性ストッキングや弾性包帯の使用を考慮しなかった。Aは、同月4日午前0時35分ごろに容態が急変し、同日午前1時36分に死亡した。

判決

本判決は、Aの死因は「肺血栓塞栓症による急性呼吸不全」であると認定したうえで、以下のとおり判示した。

1 弾性ストッキングないし弾性包帯着用の不実施について(過失あり)

ガイドライン(肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症〈静脈血栓塞栓症〉予防ガイドライン)が平成16年6月には提言され医療現場においても周知されていたこと、同月1日に本件病院に入院した時点において、Aは一定程度の確率で下肢深部静脈血栓症及び肺血栓塞栓症を発症する危険を有する脳卒中患者であり、かつ、一定程度の期間の臥床が予定されていたこと、 Aには右下肢麻痺及び肥満という肺血栓塞栓症の危険因子があったこと、担当医師も入院翌日の同月2日に、Aの夫に対し肺塞栓症のリスクを説明したことが認められ、これらの事実からすれば、本件病院医師らは、Aが入院した時点においてAに肺血栓塞栓症が生じる危険性が高いことを具体的に予見することが可能であったと評価することができる。
そして肺血栓塞栓症がいったん発生した場合の死亡率が高いこと、本件当時、ガイドラインによれば弾性ストッキングの着用が推奨され我が国における肺血栓塞栓症の予防法の主流は弾性ストッキングであったこと、弾性ストッキング着用は保険が適用される予防法となっていたことに照らして考えると、本件当時の臨床医学の実践における医療水準としては弾性ストッキングないし弾性包帯の着用が一般的標準的な予防法となっていたものと考えられる。そうすると、Aに肺血栓塞栓症が生じることを具体的に予見することが可能であった本件医師らは、前記医療水準に照らし、肺血栓塞栓症の予防のため、Aに対し入院時から弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させる注意義務を負っていたと言うべきである。本件医師らには、Aに対し、弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させなかった過失がある。

2 間欠的空気圧迫法の不実施について(過失なし)

本件当時、間欠的空気圧迫法(下肢に巻いたカフ〈加圧帯〉に機器を用いて空気を間欠的に挿入して下肢をマッサージするもの)は、肺血栓塞栓症の予防に有効であるとして推奨されていたが、我が国においては、各施設の間欠的空気圧迫装置自体の不足もあり、肺血栓塞栓症の予防法は弾性ストッキング着用が主流となっていたことが認められる。したがって本件当時、肺血栓塞栓症の予防のために間欠的空気圧迫法を実施することが、本件病院と同規模の病院での臨床医学の実践における医療水準となっていたとまで認めることはできない。

3 薬物的予防措置(ヘパリン投与)の不実施について(過失なし)

Aは同月1日に脳内出血を起こしたのであるから、容態が急変した同月4日0時35分ごろの時点において、Aは急性期の脳内出血患者であり、頭蓋内出血のおそれがあったと言える。
そして、出血性脳血管障害患者に対する肺血栓塞栓症の予防法としては、抗凝固剤の投与ではなく、弾性ストッキングや間欠的空気圧迫法といった理学的予防法が推奨されており、頭蓋内出血の疑いのある患者に対するヘパリンの投与はむしろ原則禁忌とされていることからすれば、本件医師らがAに対し、肺血栓塞栓症の予防措置として低用量未分画ヘパリンまたは低分子量ヘパリンの投与をしなかったことをもって、過失と評価することはできない。

4 本件医師らの過失とA死亡との相当因果関係について(因果関係は認められない)

適切な予防法を行っても肺血栓塞栓症の予防は困難であるとされていることが認められることに加え、Aが高度肥満であったことを総合すると、同月1日の入院当初からAに弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させていたとしても、Aが同月4日に肺血栓塞栓症を発症して死亡することを確実には回避できなかった可能性が高いと考えられる。したがって、 Aが死亡日を超えてなお生存していた高度の蓋然性があるとは言えないから、本件医師らの注意義務違反とAの死亡との間に相当因果関係を認めることはできないと言うべきである。

5 本件医師らの過失がなければAの死亡を回避しえた相当程度の可能性が存在する

我が国においては、平成16年から肺血栓塞栓症の予防を目的とする弾性ストッキング着用が医科点数収載され、保険が適用される予防法となっており、肺血栓塞栓症の予防法として有効と考えられていること、ガイドラインにおいても弾性ストッキングの着用が推奨されていること、脳神経外科手術を受ける患者における弾性ストッキング着用のみによる予防効果は対照群に対する相対的なリスク減少率が60%であるとする報告もあることからすれば、弾性ストッキングないし弾性包帯を着用することが、肺血栓塞栓症の予防効果をまったく発揮しないとまでは認めることもできず、本件においても同月1日の入院当初からAに弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させていた場合にAが同月4日に肺血栓塞栓症を発症せずに死亡しなかった可能性は、なお相当程度存在するものと認められる。
したがって、本件医師らの前記過失がなければ、肺血栓塞栓症を原因とする同月4日の時点でのAの死亡を回避しえた相当程度の可能性が存在すると言うべきであり、本件当時において本件医師らの使用者であった被告は、Aが前記過失により、かかる可能性を侵害されたことによって被った精神的苦痛について、不法行為(使用者責任)にもとづく損害賠償義務を負うと言うべきである。

6 Aの死亡回避の可能性の程度及び慰謝料額

弾性ストッキングの効果については疑問が少なからず呈されているうえ、Aが少なくとも体重90キログラム程度はある高度肥満であったことからすれば、Aの死亡回避の可能性はかなり低いものと評価せざるをえない。
ガイドラインは、いまだ発展途上にあり、今後の研究により改定の余地が少なからずあるとうかがわれる中で、前記のとおり、被告を免責させるまでの事情とはならないものの、本件病院においては左被殻出血の急性期のもとにあったAに対し、下肢の他動運動として、結果的には相応の理学的予防効果を期待できるMMTを頻回に実施していたことも総合考慮すると、前記相当程度の可能性を侵害されたことによりAが被った精神的苦痛に対する慰謝料額は、150万円とするのが相当である。

判例に学ぶ

肺血栓塞栓症は、本件のように突如死にいたってしまう場合もある重篤な疾患であるうえに、典型的な臨床症状に乏しく、鑑別が困難でもあることから、医療過誤のおそれありとして、「事件」に発展する可能性の高い疾病のひとつです。
本件において原告は、肺血栓塞栓症の予防措置の不実施の過失のみならず、処置上の過失(ただちに抗凝固剤であるヘパリンを投与する等の注意義務違反)があったとの主張も行い、被告病院に対してA死亡にかかるすべての損害(6000万円あまり)を請求していましたが、認容されたのは、150万円あまりでした。本件では、弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させる注意義務があると認定しました。
診療契約上の注意義務の基準は、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(平成7年6月9日最高裁第二小法廷判決)とされています。本判決では、当時すでにガイドラインが制定され、医療現場において周知されていたことをひとつの要素として、ガイドラインにおいて弾性ストッキングの着用が推奨されていることをもって、弾性ストッキングないし弾性包帯を着用させる注意義務を認定しました。
また、訴訟上、損害賠償が認められるためには、医師の注意義務違反と損害との間に因果関係が存在することが原則です。ただし、因果関係が認定されない場合であったとしても、「医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負う」(平成12年9月22日最高裁第二小法廷判決)とされます。その根拠は、「生命を維持することは人にとってもっとも基本的な利益であって、その可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者のこの利益が侵害されたものと言えるからである」(前記判決)とされています。
本件においても、「適切な予防法を行っても肺血栓塞栓症の予防は困難であるとされていること」などの理由から、因果関係は否定したものの、弾性ストッキング着用に保険が適用されており、予防法として有効と考えられていること、ガイドラインにおいても弾性ストッキングの着用が推奨されていることなどから、弾性ストッキングの着用により、死亡しなかった可能性が、なお相当程度存在すると認定しました。
本件では弾性ストッキングの着用のみに注意義務違反が認められましたが、患者の状態如何によって肺血栓塞栓症のリスクの程度もさまざまであり、ガイドラインにおいてもリスクの程度に応じた予防法が推奨されています。また、時間の経過によってガイドラインがより浸透し、各病院等の設備が整えられるにしたがって注意義務の程度も増していくものと考えられます。肺血栓塞栓症の発生及び、それにともなうトラブルを回避するためにも患者のリスクの程度に応じ、ガイドラインに沿った予防法を実施することが肝要と思われます。