Vol.091 家族の要請により患者を死亡させた行為

~抜管を要請した患者の家族が病院に求めた損害賠償を認め、過失相殺を行った事例~

医療過誤判例集 Vol.091

-東京地方裁判所平成20年1月11日判決、判例タイムズ1284号296頁-
協力:「医療問題弁護団」岸 郁子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者(死亡時58歳)は、昭和59年に気管支喘息と診断され、本件病院で昭和60年ごろから、本件担当医の治療を受けていた。
平成10年11月2日、患者は仕事帰りの車内で気管支喘息の重積発作を起こし、心肺停止状態で本件病院に運び込まれ、救命措置の結果、心肺は蘇生したが、低酸素血症により大脳機能・脳幹機能に重篤な後遺症が残り、死亡する16日まで深い昏睡状態がつづいた。
以下は、担当医が患者の治療の指揮を執った同月4日から患者が死にいたるまでの経過である。
患者に自発呼吸が見られたため、同月6日に人工呼吸器がはずされ、気管内チューブのみ残された。
その後8日に四肢の拘縮傾向が見られるようになり、同月10日には高気圧酸素療法が行われたが、患者が痙攣を起こしたために中止となった。
この間、患者の妻は不眠を訴えて抗うつ剤、睡眠導入剤の処方を受けていた。
担当医は、患者の家族に対し、「9割9分は植物状態である」、「再挿管しないで自然に見ていくという方法も考えられるので検討するように」、「病状が安定すれば、いつまでも病院に置いておくわけにはいかない」等の説明を行っていた。また、担当医自身、余命についての確固たる見通しを持たず、患者の意思もわからぬまま、患者があまり汚れないうちに臨終を迎えさせてあげたいという独断的な思いを抱くようになっていた。
同月16日、患者は細菌感染症と敗血症を合併した状態となり、午後には患者の妻から、「管を抜いてほしい」という話があって、その夜、患者の回復をあきらめた家族らが病室に集まって担当医に対し、気管内チューブを抜き取ることを依頼した。
担当医は、あらためて抜管すれば数分で死亡することもあるが覚悟はできているのかと確認したところ、家族らが異論を挟まなかったため、午後6時すぎに抜管を行った。
ところが、予期に反して、患者が体を痙攣させ苦悶様の表情を浮かべるとともに、ゴーゴーという苦悶様呼吸を行ったため、担当医はセルシン、ドルミカムなどを静脈注射した。それでも苦悶様呼吸がつづいたため、今度は筋弛緩剤であるミオブロック3アンプルを静脈注射したところ患者は午後7時3分呼吸停止し、7時11分ころ心臓が停止した。
死因は、ミオブロック投与による窒息死であった。
なお、本件病院院長は翌日に本件経緯を知ったが、病院の最高意思決定機関である管理会議には報告せず、平成13年になって、病院内の医師の対立がきっかけで事件が公表されることとなった。
その後、病院は、担当医に第一審の刑事公判で有罪判決が下りたあとに、家族らとの間で賠償金額を5000万円とする示談を行った。
本件は、病院が、医師賠償責任保険契約にもとづき、保険会社に保険金を請求したという事案である。

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判決

(1) 損害賠償請求の可否
■まず、本判決は、担当医に対して抜管を依頼要請した家族らが、患者の相続人として病院に対し損害賠償請求することは、信義則に反し許されないとは言えない、とした。

本件で被告保険会社は、家族らが、自ら患者に対する抜管、すなわち、死亡という結果を発生させる行為を担当医に依頼しておきながら、死亡結果について賠償請求権を行使することは、先行行為と矛盾するために非難に値する行為であって、禁反言の原則によって信義則違反となる、同じく、不誠実な行為により取得した権利を行使することを認めない「クリーン・ハンドの原則」にも抵触すると主張し、病院には損害賠償義務がないとして争った。
これに対し、判決は、家族らが抜管を決断するにいたったのは、やや割り切りすぎると評される生命観のもとに家族らをあきらめの方向に誘導したきらいもある担当医の言動・説明から、患者の回復に対するあきらめの気持ちを抱き、植物状態で退院させられた場合、介護は困難であり、気管内挿入された状態の患者を見ているのは辛いなどと思うにいたったことによるとし、家族らが本件抜管を担当医に要請したのはやむをえないものと言うことができるのに対し、担当医の行った行為は殺人行為であって、その違法性はきわめて高いものと言わざるをえない、したがって、家族らが、担当医を雇用していた病院に対し、患者の相続人として損害賠償請求することが、禁反言の原則やクリーン・ハンドの原則により、信義則に反し許されないとまでは言うことができないと判断した。

(2) 示談金額の相当性
■次に、判決は、5000万円という示談金の額は、損害賠償金額として相当であるとした。

被告保険会社は、医療事件の裁判例においても予後不良事案に対しては大幅な減額が認められている、患者は、刑事一審裁判の鑑定結果によっても余命は短いとされており逸失利益が問題となる余地はないうえに、慰謝料額も低額(数百万円程度)とされるべきと主張した。
これに対し、判決は、逸失利益については月額80万円の役員報酬の50%相当の2年分を認め、慰謝料についても、本件患者の死亡は、苦悶の状況を示したうえでミオブロック投与により窒息死するにいたったというものであり、安楽死や尊厳死などと言えるような状況ではないから2800万円(一家の支柱の死亡慰謝料の基準額)を下まわることはなく、これに死亡時から示談時までの遅延損害金を加えると5184万円になること、その他病院と家族らとの間で示談にいたるまでの経緯から、総額5000万円という示談金額は損害額として相当であるとした。

(3) 被害者側の過失の法理の類推
■そのうえで判決は、患者の家族が抜管を要請したことを考慮し、損害賠償額を3割減額した。

家族らが、担当医に対して本件抜管を要請した点について、判決は、損害賠償請求をすることが信義則に反し許されないとまで言うことはできないが、家族らの言動が患者の死亡の一因となったことは否定できず、過失相殺(被害者側の過失の法理)の類推によって、家族らの損害賠償額は減額されると解するのが相当であるとした。
そして、減額の程度については担当医の行為は殺人の犯罪行為に該当するものであるのに対し、家族らが本件抜管を担当医に要請したのは、家族らをあきらめの方向に誘導したきらいもある担当医の説明等により、患者の回復をあきらめざるをえない心境になったことによるものと言うことができることに照らせば、減額を考慮するとしても、その減額の程度は3割と認めるのが相当であるとした。
結局のところ、病院が家族らに支払うべき損害賠償の額は、5000万円の損害額から3割を控除した3500万円と認定された。

判例に学ぶ

本判決は、一般的な医療過誤に関するものではなく、いわゆる積極的安楽死に類する紛争であり、担当医自身が刑事裁判において殺人罪で有罪となっているという特殊なケースです。
本件では、担当医やこれを雇用する病院が損害賠償責任を負うことは明らかですが、病院に対し患者を死亡させたことについての賠償請求をしたのが、担当医に対して抜管の要請を行った者自身であるため、病院の賠償義務や賠償金額を考えるうえで、「家族の要請」をどの程度考慮するのか(あるいは、考慮しないのか)が問題となりました。この点で、参考になる事案と思われます。
刑事事件の高裁判決では、長い間患者の主治医であった担当医の言葉の影響の大きさ(同家族があえて反対することは困難であったこと)に鑑みると、担当医として家族らの心情に対する慎重な配慮に欠けていたように思われること、全体としての経緯を見れば担当医のイニシアチブによって事態が進行していたと言わざるをえないこと、尊厳死がからむ終末医療においては、医師には患者家族の心情を十分に汲む姿勢が何より求められるのであって、少しでも医師が独走すれば家族はこれを引き止めるのが困難であること、担当医が家族らの意向を再確認したり、ほかの医師に相談をもせずに独断で抜管を決意したことは、結果的に患者を軽視したと言われてもいたし方ないなどの説示がなされており、本判決もその説示を指摘しています。
また、本件では、患者の入院後、患者の妻に精神的な混乱も見られています。
以上のことから、本判決が、家族らの病院に対する損害賠償請求は許されるものとし、家族らの「要請」について、これを被害者側の過失として過失相殺を考慮するにあたっても、減額は3割にとどまるものとした結論は、妥当と言えるでしょう。
なお、本判決は、日本医師会医師賠償責任保険の保険金請求において、医師会の医事紛争処理のための委員会における審査を経ずに賠償金を支払った場合にも、保険金請求が認められた事案としても特徴的です。