Vol.090 精密検査の受検を指導すべき注意義務の違反

~検査結果を踏まえて精密検査を受検するよう指導すべき注意義務があるとされた事例~

医療過誤判例集 Vol.090

-名古屋地方裁判所平成19年7月4日判決、判例タイムズ1299号247頁-
協力:「医療問題弁護団」新藤 えりな弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

X(男性)は、平成12年12月ごろから胃部に不快感があるとして、平成13年1月6日、Y医師が開設するクリニックで受診した(当時50歳)。Xは、胃部に不快感があり空腹時のような感じであること、胃が重いこと、せきやくしゃみをすると痛みはないが、腹がぐるぐるすること、食欲はあり嘔気はないこと等を述べたので、Y医師は、胃または腸に潰瘍、炎症または、悪性病変がある可能性を考え、上部消化管造影検査及び便潜血検査を実施することとし、消化器症状の薬を処方した。
1月13日、Y医師はXに対し、上部消化管造影検査を実施するとともに、タケプロン等の薬を処方した。
1月15日、Y医師はXに対し、造影検査の画像によれば、胃角部の短縮が認められること、胃潰瘍の瘢痕化の疑いがあるが、A市B区医師会の胃がん検診読影会に画像を持参し、ほかの医師の意見も聞く旨を説明し、同様の薬を処方した。読影会とは、A市医師会がA市から委託を受けて実施する胃がん検診として、医師が実施した造影検査の画像をほかの医師がダブルチェックする目的で各区医師会において開催されるものである。読影会では、参加医師が胃がん検診以外で実施した造影検査の画像の読影や治療方針について、ほかの医師に意見を求めることもされていた。
1月24日、XはY医師の診察を受け、空腹感とともに胃が重苦しく、痛くなること、お酒を飲むと治ることなどを訴えた。Y医師はタケプロン等を処方した。
2月13日、Y医師はXに対し、1月16日の読影会で造影検査の画像を提示したところ、潰瘍の可能性大であるが、フォローアップが必要であるとの意見であった旨を伝え、タケプロンを処方し、 2週間後に再来院するよう伝えた。
その後Xは、2月26日、3月14日、16日、5月22日、25日、29日、7月6日及び8月6日にY医師の診察を受けたがカルテには胃部に関する記述はない。
9月3日、Xは、じんま疹を主訴として、CクリニックにおいてD医師の診察を受け、9月7日、D医師がXに対し、上部消化管内視鏡検査を実施したところ胃の胃角部から胃体部にかけての部分に肉眼分類ボールマン3型の胃がんを疑わせる部分が発見された。胃生検においても同部分にがん細胞が認められたため、胃がんと診断された。
D医師の紹介により、Xは、E病院で受診し、9月19日に造影検査が、9月21日に内視鏡検査及び生検が実施され、肉眼分類ボールマン3型の胃がんと診断された。
10月2日、E病院において胃全摘術が試みられたが、がんは、胃の小弯側の胃角部から胃体部に及び、腹膜への転移はないものの、上腸間膜動脈、腹腔動脈、大動脈周囲のリンパ節にびまん性に進展し、腹腔動脈周囲のリンパ節はがん浸潤のため潰瘍と一塊になっている様相だったため、執刀医は、胃の切除をせず、胃空腸吻合術及びブラウン吻合のみを実施し、化学療法を行うことにした。
平成14年4月1日、Xは胃がんにより死亡した。
Xの相続人は、「胃部の不快感を訴える患者(特に胃がんの好発年齢である中高年の患者)を診察する際には、鑑別すべき疾患のひとつとして、常に胃がんを念頭に置かなければならない。造影検査によって胃がんの疑いと関連する所見が認められた場合には、悪性を疑わせる程度にかかわりなく、内視鏡検査及び生検を行い、悪性か否かの確定的な診断を行う必要がある。 Y医師はXに対し、造影検査の結果を踏まえて、内視鏡検査を実施するか、内視鏡検査ができるほかの医療機関に転医させるべき注意義務を怠った過失がある」などと主張して、債務不履行、または不法行為による損害賠償を求めた。

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判決

(1)検査方法について

胃がんの検査方法のうち、造影検査は、全体像及び周辺臓器との関連の把握や病変の大きさの計測、穿孔の診断等にすぐれ、画像を複数者で検討することが容易であるが、粘膜面の色調はわからないうえ、経験を積んだ検査医師であっても胃の前後壁が重なって造影されるなど、良い造影画像を撮影するには高度の修練が必要である。
一方、内視鏡検査は粘膜色調の直接観察や拡大観察が可能であり、同時に生検による病理組織学的診断もできるうえ、実施者ごとの診断能力の差異は造影検査ほどではないとされるが、全体像及び周辺臓器との関連の把握等は造影検査よりも劣り、また、検査者の主観に負うところが大きいという特徴を有する。
すなわち両者には一長一短があるが、短所については相互に補完することが可能である。造影検査、内視鏡検査及び生検によって、胃がんの病巣の90%以上は捕捉されるようになっている。
本件造影検査当時、内視鏡検査及び生検は一般に普及した検査方法であった。

(2)医師の判断と指導義務について

平成13年1月13日に撮影された本件立位充盈像及び本件背臥位二重画像の所見から、がんの存在が相当程度強く疑われるところ、Xは受診時に、「胃に不快感がある」、「胃が重い」、「空腹感とともに胃が重苦しく、痛くなる」といった、胃がんの場合に起こりうる症状を訴えていたこと、本件造影検査当時Xは満50歳であり、一般に胃がんの好発年齢と言われる年代であったこと、胃がんは治療開始時の病期が、患者の予後に直結していること、造影検査には一長一短があり内視鏡検査によってその短所を補うことが可能であること、本件造影検査当時、内視鏡検査及び生検は一般に普及した検査方法であったことに鑑みれば、Y医師には、本件造影検査の画像読影後速やかに内視鏡検査及び生検を含む精密検査をすべき義務があり、また、本件造影検査当時、Y医師の医院には内視鏡検査等を行いうる機器がないため、内視鏡検査等を自ら行いえないのであれば、Xに対し、内視鏡検査等を行いうる医療機関を紹介し精密検査を受検するよう指導すべき義務があったと言うべきであり、Y医師には、そのような義務を怠った過失がある。

判例に学ぶ

胃部の不快感等を訴えて受診したXに対し、Y医師は、上部消化管造影検査の結果、胃潰瘍の可能性が高いとして投薬のうえ、経過観察としました。その約7ヵ月後に、Xは別の医療機関で胃がんと診断され、紹介先の病院で開腹手術を受けましたが、すでに手遅れの状態となっており、手術の約6ヵ月後に死亡しました。本判決は、(1)Xの造影検査の所見から、がんの存在が相当程度強く疑われると認定したうえで、Xが胃がんの場合に起こりうる症状を訴えていたこと、胃がんの好発年齢であったこと、胃がんは治療開始時の病期が予後に直結していること、当時内視鏡検査及び生検は一般に普及した検査方法であったこと等を鑑みれば、Y医師には、造影検査の結果を踏まえて、Xに対し、内視鏡検査及び生検を含む精密検査を行うか、これらを行える医療機関を紹介し精密検査を受検するよう指導すべき義務があったのに、これを怠ったと判断し、(2)Y医師がかかる義務を尽くしていれば、Xが死亡した時点でなお生存していた高度の蓋然性が認められるとして、Xの相続人2名に各2000万円余りの損害賠償をするよう命じました。
患者と医師との間で締結される診療契約は、医師において、患者の病的症状の医学的解明をして、その症状に応じて診療行為をすることを内容とする準委任契約であると解されています。
医師は、患者の具体的な症状、状況に対し、医師が有する医学上の知識や専門的な技術を用いて診療行為を行い、刻々と変化する患者の症状に応じて、善良な管理者の注意をもって診療当時の医療水準に適合した措置をとるべき義務を負うとされます。
もし、医師にとって、患者の疾患が自己の専門外でその患者を診療する能力がないか、不十分な場合、または、患者の疾患に照らしてこれを診療する人的・物的能力が整っていない場合には、当該患者に対してそのまま診療を継続することは、善良な管理者としての注意をもって診療したとは言えず、医師は、当該患者を他の医療機関に転医させるべき義務を負います。
転医義務が問題になった裁判例は、未熟児網膜症の事例をはじめとして多数存在しますが、本事例は、(1)有効かつ適切な医療行為を受けさせるための転医ではなく、鑑別診断(検査)のための転医である点、及び、(2)当該検査自体は、開業医にも一般に普及した検査方法であった点に特徴があります。
Y医師は裁判において「造影検査でなんらかの異常所見が認められた場合に、いかなる検査・治療方針によるかは、画像所見、症状、医療機関の規模や状況等の処理能力、検査の重要性を含む患者の状況等を考慮し、医師に一定の裁量が認められており、造影検査実施後の鑑別診断のために内視鏡検査を実施する必要性は、造影検査で疑われる悪性の可能性の程度による」として、「本件立位充盈像では、胃角がやや開大しているが、これのみで病変の存在を疑うほどの変形ではなく、胃角部の短縮または開大及び粘膜の軽度陥入を疑わせる輪郭の乱れは、胃潰瘍を示す所見である」等と主張しました。しかし、判決は、「本件立位充盈像では、胃角のくびれが浅く、輪郭も直線的であって、開大の所見は明らかであるところ、立位充盈像において硬化所見を認めるにはかなりの変化がなくてはならないから、胃角の開大があれば小弯上に必ず病変があると考えてよい旨の指摘もあることに照らせば、Xの胃小弯上の病変の存在は強く示唆されるところであってY医師の主張は採用できない。また、胃壁の硬化を示す所見については、胃潰瘍(瘢痕)の疑いとがんの疑いは両立しうるのであって、胃潰瘍が疑われるとしても、そのことが、がんの存在を否定する論拠とはなりえない」と述べています。
また、Y医師は、「読影会に持参し参加医師の意見を聞いたところ、胃潰瘍瘢痕ではないかという意見で一致した」とも主張しましたが、判決は、「約1時間で胃がん検診の造影画像を20件前後、相談症例の造影画像を5ないし10件程度供覧してディスカッションを行うという状況では、読影会が主として胃がん検診の造影画像を読影する機会であることを捨象したとしても、本件造影画像8枚を読影してディスカッションを行う時間は多くて2分半程度と推認され、しかも、読影会での参加医師の意見は、『胃潰瘍瘢痕でいいですかね』、『これは潰瘍瘢痕でよろしいんじゃないか』、『特にそれで経過観察でもよろしいんじゃないか』という程度のもので、特定の患者の診療について責任を持つ医師が、造影画像以外の情報についても十分に把握したうえで出した結論と同視することはできない」として造影検査の所見は胃角部にがんの存在を相当程度強く示唆するものであったと認定しています。
内視鏡検査は、一般診療所でも実施可能な検査であり、また、特定の疾患の疑いがない人に対して検診目的で実施することが許容されるほど普及している検査と言うことができますから、胃がんとの関係では、内視鏡検査による精査を行うという選択肢を患者に示すことを念頭に置くことが重要と思われます。