Vol.095 患者の呼吸不全に対する救命措置を怠った過失の有無

~呼吸管理と緊急時の対応が不適であったとされた事例~

-東京地方裁判所平成17年11月22日判決(判例時報1935号76頁、判例タイムズ1216号247頁)-
協力:「医療問題弁護団」鈴木 弘美弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件は、右視床出血による左不全片麻痺を来して平成9年11月22日から入院治療中の患者が、同年12月14日午後9時11分に同病院内で死亡したことにつき、患者の遺族らが病院医師らには患者の呼吸不全に対する救命措置を怠った過失があるとして、病院に対し慰謝料等の損害の賠償を求めた事案である。
患者は死亡当時68歳の女性であり、従前から他病院で慢性腎不全に対する血液透析等の治療を受けていた。また、これ以外にも本件病院に入院する前の既往症として、甲状腺機能低下症、高血圧症、脳梗塞などがあった。
平成9年11月22日、患者は朝、起床した際、家族に左半身が動かないという症状を訴えたため、救急車で搬送され、意識清明ながらも左上下肢の筋力低下及び構語障害を訴えたことから、CT検査を実施した結果、右視床に出血が認められ、右視床出血による左不全片麻痺の診断で本件病院神経内科に緊急入院となった。
入院後、患者には呼吸状態を管理するため医用テレメーター(患者監視モニター)が装着され、動脈血酸素飽和度がセットした一定値を下まわれば、アラームが鳴ってナースステーションに異常を知らせる機能が備えられていた。
ところが入院から約3週間が経過した平成9年12月14日午後8時15分ごろ、看護師がほかの患者の巡回からナースステーションに戻ったところ、患者の医用テレメーターのアラーム音を聞いた。そこで、心電図モニターを見ると、患者の心拍数は30から40回/分と低下しており、病室に駆けつけると、患者の意識レベルはIII-300、自発呼吸はなく、血圧も測定不能の状態であった。
看護師は医師に連絡するとともに心臓マッサージを開始、間もなく当直医が駆けつけアンビューバッグによる人工呼吸、気管内挿管の準備を開始、午後8時30分には担当医が到着し気管内挿管によるレスピレーター装着、ボスミン注射などを行ったが、患者の心拍は回復せず同日午後9時11分、死亡宣告がなされた。

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判決

1 争点

患者の死亡について、その遺族(相続人)らから本件病院の責任が追及された本件事案において争点となったのは、[1]患者の死因は何か、[2]アラーム音に対する看護師の対応について、本件病院の看護体制に過失はないのか、さらに[3]看護体制に過失があるとしても、そのことと患者の死亡との間に因果関係が認められるかの3点であり、これらは相互に関連している。
すなわち遺族側(原告側)は患者の死亡原因は入院直後から認められた呼吸不全によるものであり、本件事故の前にも数回、酸素飽和度が低下し気管内挿管の措置をとること等によって状態が改善するという状況が繰り返されていたのであるから、本件事故当日も同じ経過により患者は死亡するにいたったと考えるのが合理的であり、そうであるとするならば、本件事故当日、病院側がアラーム音に迅速に対応し適切な救命措置をとっていれば患者の死亡という結果は回避可能であったはずであるとする。
これに対し病院側は患者の死亡原因は呼吸循環中枢が存在する延髄を含む脳幹部の虚血性機能不全によるものであり、この虚血性機能不全は脳梗塞に由来するとした。そして、患者の死亡原因がこのようなものである以上、患者の死亡はアラームの設置等の処置により呼吸管理に万全を期していても回避することは不可能であり、仮に看護体制ないしアラームへの対応に過失があるとしても、そのことと患者の死亡との間に因果関係はない。加えて、本件病院の看護体制は関係法規に照らしても、もっとも充実した体制となっており、医療水準を満たしていないなどの過失を認定されるいわれはないとしてその責任を否定した。

2 裁判所の判断

前記の3つの争点につき、裁判所は以下のような判断を下し、病院側の責任を認めた。

[1]患者の死因

本件患者の死因については、遺族側の主張のとおり、死亡前にも複数回出現したものと同様の呼吸不全症状であり、適切な呼吸管理を行っていれば酸素飽和度が改善され、死亡にはいたらないものであったとした。
裁判所のこの判断の根拠には大きく2つの事柄が指摘される。ひとつは、本件患者に以前から、酸素飽和度の低下、気管内挿管等の措置、症状改善という事象が見られていたという診療経過である。判決の中ではこれ以上の言及はないが、要するにこれまでも同様の症状、状況が存在したのであれば、今回の症状についてのみ、まったく別の特殊な要因によるものと考える理由はないというきわめて自然な判断にもとづくものであろう。
さらに、もうひとつは鑑定人による鑑定結果である。鑑定人は(補充鑑定も含め)本件患者について想定される直接死因として、肺うっ血・肺水腫のほかに、成人呼吸促進症候群、痰による気道閉塞が考えられるとしながらも、これらを認定する積極的な病理所見がないとし、解剖結果に見られる患者の肺の重量が正常の2倍程度に増加していること、高度の肺うっ血、肺胞の液体貯留が認められることから、こうした症状は持続した呼吸不全により惹起したもので、死亡直前に生じるようなものではないことに照らして鑑みると、その死因は肺うっ血・肺水腫がもっとも可能性が高いとして死因に関する患者側の主張を支持した。
また、解剖結果からは病院側が主張する脳梗塞を認定するような脳の新しい出血、梗塞が見あたらないことを指摘し、死亡原因について病院側の脳梗塞の主張を排斥している。

[2]看護体制の過失の有無

この点については、医用テレメーターの出力記録から異常を知らせるアラーム音が鳴り始めてから看護師がこれに気づくまで30分が経過していることが判明しており、裁判所の判断はこの点を重要視している。
判決によれば、本件病院の看護体制は関係法規に照らして違法なものではないとはいえ、それは法の基準を満たしていると言うにすぎず、本件患者がたびたび酸素飽和度の低下や無呼吸など、呼吸状態が不安定になる状況であったことに鑑みれば、ナースステーションでアラーム音が鳴り始めてから30分間もこれに気づかない状態があったことそのものが看護体制の過失を意味すると断定した。

[3]患者の死亡との因果関係について

そして患者の死因が[1]のとおり、死亡前にも複数回出現したものと同様の呼吸不全症状であり、適切な呼吸管理を行っていれば酸素飽和度が改善され死亡にはいたらない可能性の高いものであったと判断されることから、アラーム音が鳴り始めてから30分間これが放置されるという看護体制の過失がなければ、当然に本件患者は救命されたものと考えられ、病院側の過失と患者の死亡には明白な因果関係が存在するという結論にいたった。

判例に学ぶ

本件は入院中の患者について、当該患者の呼吸状態が不安定であり、監視が必要な状況であるとの認識のもとに、病院側が医用テレメーター等による監視を行いながらも、実際に緊急事態が出来し、アラーム音が鳴っていたにもかかわらず、30分にもわたりこれに気づかず、この対応の遅れが患者に不可逆的な症状の増悪をもたらし、死亡するにいたった事例です。
入院中であったがために、患者遺族としては病院の対応に不満を抱き、患者を死亡させたことに対する病院側の責任を追及したいという気持ちが強く働くであろうことは当然予想されます。他方で医療機関としては人員不足等の看護体制の限界を理由にその責任を否定したいという心情になることも特に本件のような夜間の事故の場合十分に考えられることです。
その点で、本件で裁判所が病院側の看護体制の過失を認定し、関係法規に照らしても問題のない看護体制であったことのみではその責任を逃れられないとしている点には患者側、医療機関側双方にとって大きな意味があると考えられます。
ただ、本件で裁判所が過失に関してこうした判断をした背景には本件患者が従前から繰り返し呼吸不全の状況に陥っており、厳重な注意が必要な状況にあったこと、さらに、アラーム音が発せられてから看護師が異常に気づくまでに30分もの時間が経過したことが、その対応の不十分さを浮き立たせる要因としてあったことは否定できず法的には適正な看護体制を前提とした場合ほかの事例で生じてしまった結果に対し、病院側の過失が常に認められるかどうかについては微妙なところではないかという印象は否めません。
もうひとつ本件判決で特徴的な点は、死因に関する判断とその前提となる患者側、医療機関側の争い方にあります。
本件患者の死亡原因は患者側の主張のとおり従前に発生していた呼吸不全と同様の状況が生じたものであると認定されていますが、これを支えたのは鑑定意見であり、さらにこの鑑定意見の根拠となっているのは解剖結果です。
しかし、現在の日本の医療状況に鑑みるとき、病院内で事故が疑われる死が発生しても、患者側遺族が患者の死の直後に、解剖を行うことを医療機関側に要求することは決して一般的ではありません。医療機関側が死因特定のため解剖を提案しても、遺族がこれを拒絶することも多くあります。
このような場合、死因を医学的客観的資料にもとづいて特定することは困難となります。本件でも仮に、解剖が行われていなかったとすると、本件事故前にも複数回の呼吸不全が発生していたという経緯のみで裁判所が患者の死因を特定したかどうかは本件のそのほかの証拠をより詳細に検討しなければ判断はできませんが、微妙なところであることは事実です。
そして、仮に死因が特定できないとなった場合、病院側の脳梗塞による突然死であり、仮に看護師がすぐに対応していても救命できなかったという主張が成立する可能性もありうるということに理論的にはなりそうです。
しかし、医学的というよりは法的な評価の問題としてではありますが、モニターによる管理を必要とする不安定な呼吸状態が継続している患者について、アラーム音が鳴り、死亡という結果が生じたという経緯を見る限り、これが従前同様の呼吸不全の症状によるものではなく、脳梗塞というまったく別種の疾患に起因するものであったとの判断を得るためには、自然な経緯に反する主張をする病院側が十分な主張立証を行う必要があり、これがない限り、患者側の主張する死亡の機序が認められるべきではないかと考えます。
なお、余談ではありますが本件では解剖結果があり、そこにおいて脳梗塞を疑わせる所見がないことは病院側において十分に認識可能であったと思われるのですが、何ゆえに、病院側が本件訴訟において医学的な裏づけのない脳梗塞説を主張し、その責任を回避するという強引とも言える手法に訴えたのかは疑問の残るところです。