Vol.102 強膜プラグの残置

~硝子体切除等の手術を行った際に誤って患者の眼球周辺に強膜プラグが残 置されたことにより、患者が強い精神的ショックを受けて眼球部位に違和感を 覚えるに至ったとして、精神的苦痛に対する慰謝料請求が認められた事案~

-東京地方裁判所平成22年8月30日判決-
協力:「医療問題弁護団」新藤えりな弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

左眼に白内障を発症していた患者Xは、Y1(医療法人社団)の開設する眼科診療所において、平成6年3月8日、Y2(Y1の眼科医師)の執刀で白内障超音波乳化吸引術及 び眼内レンズ挿入術(以下「本件白内障手術」という。)を受けたところ、手術後に網膜剥離を発症するなどして視力が著しく低下した。
そこでXは、平成7年9月14日、Y3(学校法人)の開設する病院を受診し、平成8年3月27日(第1回手術)、同年7月31日(第2回手術)、同年11月25日(第3回手術)の3回にわたり、Y4 (Y3の医師)の執刀で硝子体切除等の手術を受けたが、結局、第3回手術後、Xの左眼は失明するに至った。
なお、第3回手術中、Y4は、強膜プラグ(1mm×4mmほどの大きさでチタン製のもの)を紛失したことに気づき、Xの眼球周辺、手術室の床、術者の術着などを捜索したものの見つけられなかったので、術野外にあるものと判断して手術を終了した。
平成18年8月ころ、Xが他院で頭部レントゲン撮影をしたところ、Xの眼球周辺に本件強膜プラグが 残置されていることが判明した。
Xは、Y1及びY2に対しては、(1)本件白内障手術において眼内レンズの縫着部位を誤った過失、(2)本件白内障手術の危険性を説明しなかった過失を、Y3及びY4に対しては、(3)手術適応の判断を誤って不必要な手術を3回にわたって行った過失、(4)第1回ないし第3回手術の危険性を説明しなかった過失、(5)Xの眼内に強膜プラグを残置した過失があり、これらの過失によりXの左眼は失明したなどと主張して、Y1ないしY4に対して、診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償金を(Y1及びY2については失明に係る慰謝料2000万円、Y3及びY4については、上記慰謝料に加えて本件強膜プラグ残置に係る慰謝料300万円をさらに)連帯して支払うよう求めた。

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判決

判決は、原告主張のうち、(1)白内障手術で眼内レンズの縫着部位を誤った過失、(2)白内障手術の危険性についての説明義務違反、(3)第1回手術から第3回手術において手術適応の判断を誤った過失、(4)第1回ないし第3回手術についての説明義務違反、の4点については過失を否定した。
しかし、原告主張の(5)第3回手術において、Xの眼内に強膜プラグを残置した過失については、以下のとおり過失を認め、Y3及びY4に対して連帯して70万円支払うよう命じた。

【1】 事実認定

前提事実によれば、第3回手術の際にY4が本件強膜プラグを紛失したこと、平成18年8月ころ、Xが他院で頭部レントゲン撮影をした際に、本件プラグがXの眼球周辺部位に残置されているのが判明したことが認められ、チタン製の手術器具が眼球周辺部位に残置されているという事態が生じうるのは、第3回手術において上記のとおり本件プラグを紛失したとき以外に考え難く、第3回手術の際に本件プラグが残置されたものと認められる。

【2】 過失

手術に使用する器具を適切に管理し、患者の体内に残置しないということは、医療者に課せられた基本的な義務ということができるから、Y4は、かかる義務を怠って、Xの眼球周辺部位に本件プラグを残置した過失があり、この過失につき、Y4のみならずその使用者かつ診療契約の当事者であるY3も責任を負うべきである。

【3】 因果関係

Xは、第3回手術後から約10年にわたり左眼に痛みを感じるなどの身体的・精神的苦痛を被ったと主張するが、Xが第3回手術後のY3における診察に際して何らかの痛みを訴えた事実は認められず、本件プラグの残置が直接の原因となって、Xが主張するような左眼の痛みが生じたものと認めることは困難である。
もっとも、Xが他院で頭部レントゲン撮影をした際に、本件プラグが眼球周辺部位に残置されていることが判明し、これを知ったXが強い精神的ショックを受け、そのこともあいまって、眼球部位に違和感を思えるに至ったということは考えられるから、このような事情に伴う精神的苦痛については、本件プラグを残置した過失との因果関係を認めることができる。

【4】 損害額

強膜プラグを残置されるという異常な事態に見舞われたことは、繰り返し手術を受けた後に失明するに至ったXにとって、相当な精神的苦痛を伴うものであったと想像されるが、他方、本件プラグはチタン製で人体に悪影響を与えることはなく、MRI撮影等の実施も可能であるし、Xは本件プラグの摘出を具体的には予定していない。
その他、本件プラグを摘出するには一定の身体的負担と費用を負わなければならないこと、専門的知見を必要とする本件訴訟追行のため、訴訟代理人として弁護士を選任することが不可欠であったことなども含め、本件に現れた一切の事情を考慮して、Xに対する慰謝料として70万円を認めるのが相当である。

判例に学ぶ

本件は、手術からおよそ10年後に他院で頭部レントゲン撮影をしたところ、チタン製の強膜プラグが眼球周辺部位に残置されていることが判明したという比較的珍しい事案である。本件プラグの残置による左眼の痛みという身体的損害は認められなかったが、「本件プラグの残置を知ったXが強い精神的ショックを受けて、眼球部位に違和感を覚えるようになったことは十分に考えられる。」として慰謝料70万円の支払いを命じたものである。
手術器具やガーゼの遺留事故においては、通常それらが手術時以外に体内に入ることが考えにくいものであることから、手術の際に残置されたものと推認されることが多く、その場合には医療機関の過失が認められやすい傾向にある(不妊治療中の患者に実施した子宮筋腫核出術中に誤ってガーゼを遺留したことにより、患者に卵巣嚢腫が発生し、卵管閉塞及び子宮外の癒着が生じたため、自然妊娠及び人工授精は不能となり、体外受精も適応のない状態になったにもかかわらず、これに気づかないまま約3年間に渡り人工授精及び体外受精を多数回行ったとして、ガーゼ摘出の費用に加えて、無益な人工授精等に要した費用及びこれに伴う精神的苦痛に対する損害賠償として、合計891万円余を認めた東京地判平成18年9月20日判例タイムズ1259号295頁、虫垂炎手術に際し、患者の腹腔内に長さ約23cmの使用済みドレーン用ゴム管を遺留したことにより腹部の激痛、排泄困難、歩行困難等を引き起こしたとして、治療費、休業損害、慰謝料等合計731万円余を認めた東京地判平成元年2月6日判例タイムズ698号256頁等)。
本件でY3らは、第3回手術の際に本件プラグの紛失に気づき、眼球周囲、手術室の床、術者の術着などを捜索したものの発見できず、術野外にあるものとして創を縫合したとして過失を争ったが、判決は、「そもそも本件プラグを紛失しないよう十分注意すべきであったし、紛失に気づいた後の処置についても、本件プラグが手術操作に際して使用した綿棒に付着しているかもしれないなどと考えたにもかかわらず、綿棒を捨てたゴミ箱を捜索することなく、漫然と創を縫合したにすぎない。術後にエコー検査を実施して眼球内を検索し、その際にも本件プラグを発見できなかったが、さらに頭部のレントゲン撮影を実施して眼球周囲を検索することはしていない。そうすると、本件プラグを捜索したとの事情が認められるからといって、本件プラグがXの術野及び眼球周囲部位に残置されている疑いをぬぐい去るのに十分な措置を講じたものとは到底言い難い。」と判示している。
本件は、控訴中であり高裁の判断が待たれるところであるが、手術器具の適切な管理が医療行為において基本中の基本であることを再確認し、患者の体内に残置することのないよう万全の防止措置を講じるべきである。