Vol.100 帝王切開の準備に着手する義務

~帝王切開術の準備に時間を要する場合には、ただちに帝王切開術を決定すべきとは言えない状況でも、後に胎児が危険な状態となる可能性を予測し、その際には速やかに帝王切開術を施行できるように準備に着手すべき義務があるとした事例~

-横浜地方裁判所平成19年2月28日判決-
協力:「医療問題弁護団」彦坂幸伸弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件は、出生したAに重い後遺障害が残ったのは、より早期に帝王切開を行う決定をしなかったこと、遅発一過性徐脈の出現時にただちに帝王切開の準備に着手しなかったこと、帝王切開の決定後早期に胎児を娩出させなかったことに過失があったためであるとして、A及びその両親が提訴した事案である。
経過は概要次のとおりであった。
(1)午後8時2分、それまで正常を示していた胎児心拍数が2回にわたり100bpmと120bpmに急激に低下したが、160台に回復した。その後、数分間、基線細変動が5bpm以下に減少した。いったん20bpm程度に回復したが午後8時15分から約10分間5bpm以下に減少した。午後8時35分、胎児心拍数が90bpmに低下する一過性徐脈が出現したが、その後160前後に回復した。基線細変動は約7分間にわたり5bpm以下に減少したが、午後8時44分から20bpmに回復した。
(2)午後9時ころ胎児心拍数が約2分間80bpmに低下する徐脈(遅発一過性徐脈が高度に疑われる)が出現した。午後9時10分胎児心拍数が200前後から180程度、基線細変動が5bpm以下となり、この状態が約30分間つづいた。
(3)午後9時40分、胎児心拍数が約2分間60bpmに低下する遅発一過性徐脈が出現した。
(4)午後9時45分、担当医Gは、緊急帝王切開を決定した。午後10時53分、帝王切開術が開始され、午後11時1分、Aが娩出された。
(5)なお本件病院では、夜間の場合、帝王切開の決定から児の娩出まで平均1時間20分を要しており、担当医Gもそのことを了知していた。

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判決

1 争点

本件で争点となったのは、(1)午後8時35分または午後9時の時点で帝王切開術を決定すべき義務を怠った過失があるか、(2)午後8時35分または午後9時の時点で帝王切開術の準備をすべき義務を怠った過失があるか、(3)帝王切開術の決定後速やかに帝王切開術を施行してAを娩出させる義務を怠った過失があるか、(4)過失とAの後遺障害との間に因果関係があるか、である。
各争点は相互に関連している。
午後8時35分または午後9時の時点で緊急帝王切開の「決定」をしていれば(争点(1))、本件病院では緊急帝王切開決定から児の娩出まで約1時間20分を要するとしても、午後9時55分ころ、または午後10時20分ころには児を娩出できたであろうということになり、Aに重大な後遺症が残らなかったであろうと言えそうである(争点(4))。午後8時35分または午後9時の時点で緊急帝王切開の「決定」する義務はなくても、いざというときに備えて、帝王切開の「準備」を始めていれば(争点(2))、9時45分ころに帝王切開の決定した後、速やかに児を娩出することができ(争点(3))、やはりAに重大な後遺症が残らなかったであろうと言えそうである(争点(4))。午後8時35分または午後9時の時点で帝王切開の「準備」をする義務もない、ということになれば担当医Gが午後9時45分ころに帝王切開の「決定」をしてからその「準備」にとりかかったことは是認される。あとは児を娩出するまでに1時間16分を要したことの適否が、緊急帝王切開決定から児の娩出まで平均約1時間20分を要するという本件病院の人的体制との関係で問題となりえよう(争点(3))。

2 裁判所の判断

裁判所は、前記(1)、(2)、(3)の各争点について、概要以下のように判断し、病院側の過失を認めた。そして、病院医師がより早期に帝王切開術を施行して原告Aを娩出していれば、Aに低酸素性虚血性脳症を発生させず、Aの負った後遺障害を発生させなかった高度の蓋然性があるとして、(4)過失とAの後遺障害との間の因果関係を認め、病院に対し、Aに1億3708万円、Aの両親に各275万円の支払いを命じた。

[1] 午後8時35分または午後9時の時点で帝王切開術を決定すべき義務を怠った過失があるか
午後8時35分に出現した徐脈は、早発性徐脈であり、その出現のみでは胎児が低酸素状態等に陥っているものとは判断されない。仮にこれが変動一過性徐脈であるとしても、1回出現したのみでは胎児の低酸素状態が悪化していると判断されない。5bpm以下の基線細変動の減少があるが、継続時間が数分間及び約10分間程度のものであり、これだけでは臨床上有意な所見とまでは言えない。したがって、午後8時35分の時点では、胎児が危険な状態であると認めることはできず、帝王切開を実施すべき義務があると言うことはできない。
午後9時ころ出現した徐脈は遅発一過性徐脈としては分娩中に初めて生じたものであり、ただちに帝王切開術を実施すべき義務があると言うことはできない。

[2] 午後8時35分または午後9時の時点で帝王切開術の準備をすべき義務を怠った過失があるか
午後8時35分の時点では、前記のとおり臨床上顕著な所見とまでは言えないから、この時点では帝王切開術の準備をすべき義務があると言うことはできない。午後9時に生じた徐脈は遅発一過性徐脈であることが高度に疑われる。午後9時までの経過を考慮すると、児の状態は予断を許さないものと言える。そして本件病院の人的体制では、夜間に緊急帝王切開術を施行する場合に帝王切開術決定から児の娩出までは平均1時間20分を要し本件病院医師はこのことを了知していた。これらのことからすると担当医Gには、午後9時ころの時点において今後の急速遂娩の可能性を予測し、胎児心拍数図を経過観察すること等により胎児が危険な状態にあると判断される際には速やかに帝王切開術に着手できるように、ただちにその準備に着手する義務があるのに、これを怠った過失がある。

[3] 帝王切開術の決定後速やかに帝王切開術を施行してAを娩出させる義務を怠った過失があるか
午後9時10分以後の高度頻脈と基線細変動の減少が約30分間継続した後の午後9時40時に高度遅発一過性徐脈が出現した時点では、一刻も早く緊急に帝王切開術を施行して児を娩出させることが必要であることは明らかである。本件病院は午後9時45分ころ緊急帝王切開術を行うことを決定してから速やかに帝王切開術を施行しAを娩出させる義務がある。
ところが、本件病院は、午後9時45分ころの緊急帝王切開の決定後から初めて帝王切開の準備に着手したため、夜間に小児科医、麻酔科医、産婦人科医、手術室看護師を呼び出すのに時間を要し、午後11時1分ころにAを娩出させるまでに約1時間16分を要した。
これは遅きに失したものと言うほかなく、前記の緊急帝王切開術決定後に速やかに帝王切開術を施行してAを娩出させる義務に違反する過失があると言うべきである。本件病院の帝王切開決定から児の娩出までに要する平均時間が1時間20分であり、一般病院においても1時間以内に行うことに大きな制約があるとしても、それは医療慣行にすぎず、このような医療慣行に従ったからといって、本件病院の過失が否定されると言うことはできない。麻酔科医や手術室看護師が常駐していない本件病院の態勢のもとでも、今後の急速遂娩の可能性を予測した午後9時の時点で麻酔科医等に連絡をとるなどして胎児が危険な状態にあると判断される際には速やかに帝王切開術に着手できるようただちにその準備をしておけば、帝王切開術の決定から胎児娩出まで 1時間16分も要することなく速やかに行うことが十分可能であった。

判例に学ぶ

病院には人的制約があり、緊急帝王切開を行うと決めてから児が娩出されるまでに要する時間は、病院によって異なります。本件病院では、平均1時間20分でした。
分娩中に胎児が危険な状態になって帝王切開術を行うと決めてから麻酔科医等に連絡するなどの準備を始めたのでは間に合わないケースがあります。
そうしたケースについて、人的制約があるので仕方がない、ということにはなりません。
裁判所は、「それは医療慣行にすぎず、このような医療慣行に従ったからといって、被告の過失が否定されると言うことはできない」と述べています。
本裁判例は、帝王切開に時間を要するならば、それを念頭に置いて、後に胎児が危険な状態になり、帝王切開術を行って速やかに児を娩出しなければならなくなる事態が予測できる場合には、そういった事態に備えて、麻酔科医等に連絡するなどの「準備」をすべきことを示しています。もちろん、もしもの場合に備えて準備をして、もしもの場合が来なければ、結果としては、無駄ということになりますし、危険が乏しい場合にまで準備をするというわけにはいかないでしょう。
しかし、起こりうる結果の重大性を考えれば、もしもの場合の備えがしっかりなされることは、患者のみならず、病院や医療従事者にとっても重要なことではないでしょうか。