Vol.101 分娩時脳性麻痺の原因論と因果関係

~低酸素による脳障害の原因や分娩監視装置の波形その他所見による脳障害の回避可能性が争われた事例~

-横浜地方裁判所 平成18年7月6日判決(判例時報1957号91頁)-
協力:「医療問題弁護団」大森夏織弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

39週2日目の出生日、7時30分に陣痛発来し、9時台に市立病院の外来受診、9時50分に入院。入院時の胎児心拍モニタリングで一過性頻脈なしなど胎児ジストレスの所見あり。帝王切開の決断と実施のそれぞれの遅れによって、帝王切開による娩出は15時28分、アプガー0/4出生。このため低酸性虚血性脳症(HIE)となり、運動機能・精神機能に重度ダメージを負った事例。

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判決

過失(帝王切開の決定、実施の遅れ)についても争点となったが本稿では捨象する。紹介したいのは、患児の胎内低酸素の原因論と因果関係である。本件では患者側病院側それぞれの専門家医師証人が複数出廷したが、病院側証人医師らの見解は「臍帯圧迫による血流遮断説」つまり娩出から14時間以上前、陣痛発来前に生じた血流遮断で患児の脳障害が完成していた、というもので、病院側はこれに加え、同時間帯に生じた「胎便による臍帯血管の収縮説」や、患児が当時の表現でいわゆる不均衡型IUGRであったため「先天性異常説」も主張した(ただし先天性異常説は、体重を除く格別な臨床所見がなかったため、さしたる注目は浴びなかった)。患者側証人医師の見解は「分娩遷延による胎内低酸素状態の持続説」であった。
この原因論は、低酸素に起因する患児の脳障害がいつの時点で完成していたか、すなわち帝王切開が遅れず早期娩出した場合にどのように結果が異なっていたかという因果関係論と不可避に結びつくため、胎内低酸素が原因としても、それいかなる機序によるのか、患児の低酸素性脳障害がいつの時点でどのように生じ完成したのかという、分娩時脳性麻痺訴訟では激しい攻防になる問題点である。
病院側証人医師らの主な根拠は、(1)患児の出生時臍帯動脈血pHが6.964であったところアメリカの文献で出生時臍帯動脈血pHと脳ダメージ時間を調査したものがありこれによれば同pH数値は重篤な虚血によるHIEと出生の間隔が14時間以下となる、(2)患児の出生時羊水混濁が2+で体表は緑茶色の胎便で染まっていたことで胎便はある程度早期に排出されていた、 (3)入院時からモニタリング所見がフリーマンの分娩前脳障害パターンやシフリンの自律性平衡異常パターンに該当したりサイヌソイダルパターンがみられるなど当初から脳障害が完成していたモニタリング所見である、等であった。
これに対し患者側の根拠は(1)病院側の提出する医学文献をよく検証するとそのような結論にはならない、(2)胎便の早期排出や羊水混濁はむしろ娩出までの長時間胎内低酸素に合致する、 (3)モニタリング所見上午前中に遅発一過性徐脈が頻発し、午後はオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈や遷延性徐脈が出現 し、娩出の1時間前から長期細変動が消失しているなど、所見は娩出時間に近くなるにつれ増悪傾向にあり最終的なアプガー0出生に合致する、のみならず病院側主張の分娩前脳障害パターンは必ずしも本波形に合致しない、(4)12時40分にBPS検査を実施した時点で、胎児の状態悪化に伴って最後に抑制されるパラメータであるとされる筋トーヌスが+所見であった、(5)そもそも「胎便による臍帯血管収縮説」や「臍帯圧迫による血流遮断説」に科学的な根拠がいまだ乏しく、また患児の出生後脳画像によれば両説を支持する低酸素アプローチではない、というものであった。
判決は、過失、原因論、因果関係とも患者側の主張を採用したが、他方、早期に娩出されても患児に何らかの低酸素障害が残った可能性も否定できない、として、請求金額の6割を認定した。

判例に学ぶ

【1】 低酸素性脳障害の原因論と脳画像

分娩時脳障害における低酸素原因としての「胎便原因論」「臍帯圧迫論」は医療訴訟において散見される原因論だが、前記(5)のとおり、アメリカ産婦人科医会、アメリカ小児科学会編「脳性麻痺と新生児脳症」(坂元正一監訳メディカルビュー社)においても、本判決当時、 それぞれに動物実験段階ないしin vitro な研究段階にないとされていること、これらの低酸素脳障害であればprofound asphyxia な脳ダメージ画像であるところ、本件患児の頭部画像はpartial asphyxiaな所見であることを患者側で小児頭部画像読影の専門家証人により立証したため、病院側の原因論が否定されたと考える。なお、かような根拠による否定は、他の訴訟(名古屋地裁平成21年6月24日判例時報2069号84頁)でも採用されている。

【2】 モニタリングの読影と評価

モニタリング読影における医療側の「分娩前脳損傷パターン」なるものの主張も本訴訟の特徴であったが、前記(3)のとおり、アメリカ文献上の同パターンは、多く短期細変動の減弱ないし欠如を伴うことが指摘されているところで、本件病院側専門家証人医師らも、本件患児のモニタリングに短期細変動の欠如を指摘していた。これに対し患者側で、使用されたモニタリング機器ではそもそも短期細変動を記録しない旨を製造メーカー担当者の陳述書を得てかような指摘の間違いを立証したことで、判決で患者側専門家証人医師の見解に沿うモニタリング評価が採用された。
最近ではモニタリングの波形につき細変動かノイズかといった点も訴訟上の論争点となった東京地裁での和解事例などもあると聞くが、本件訴訟にしても、モニタリング読影と評価が争われる分娩時脳性麻痺事案での、産科臨床現場における到達点の不明瞭さが浮き彫りになった。

【3】 判決のスタンスと分娩時脳性麻痺事例の解決

筆者は本件訴訟の患者側代理人であったが、本判決が、基本的に患者側の主張を採用しつつ、結果に対し娩出の遅れがどれほど寄与しているか、その割合に応じてさしたる根拠を述べずに「請求金額の6割」という判断をした(これを法的な用語で「割合的因果関係論」というが)このようなスタンスを評価している。というのは、結局のところ、前項に述べたとおり、分娩時低酸素障害の機序や経過については、どのような産科医も医学的に厳密な指摘はなし得ないのであり、モニタリングの読影と評価についてさえ誤解に基づいていることが多いと考えられ、実際、分娩時脳性麻痺事例の割合を全分娩5000件に1件としても、産科医自身の臨床経験として稀な事例なのである。という要素に鑑みるなら、このような産科紛争事案について割合的因果関係論による解決は適していると思うからである。ただし、このようなスタンスでの判決例は少なく、残念である。
本件は病院側が当初より何ら歩み寄りの姿勢を見せなかったため、訴訟提起を余儀なくされたが、かような歩み寄りの完全拒絶は開設運営者である市の意向も反映されたのではないかと推測される。本判決後病院側が控訴し控訴審で一審判決に近い額で和解した解決まで当初より5年かかり、病院関係者の精神的負担もそうであろうが、医学に関して全くのしろうと集団である患児家族や代理人らが立証責任の課せられた医療訴訟を闘わざるを得ない疲弊は甚だしく、出廷いただいた専門家証人医師の方々、あるいは水面下で協力いただいた全国各地の多くの医師らには感謝に堪えない。とりわけ2009年より前の分娩時脳性麻痺事案では産科医療補償制度という第三者的サポート制度もなく、現在でも全国で多くの紛争・訴訟が余儀なくされているが、いずれにせよ、解明できない領域であることをふまえつつ、病院側も、医学的合理性から外れない主張と根拠をしていただきたいと思う次第である。