Vol.107 消化器外科手術に伴う縫合不全及び腹膜炎の治療等における医療水準

~幽門側胃切除術を受けた患者に縫合不全が生じたが見落とされ、その後、汎発性腹膜炎を発症し、手術11日後に死亡した事例~

-水戸地土浦支判 平成22年9月13日判例集未登載-
協力:「医療問題弁護団」竹花 元弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者は、胃癌(IIa型+IIc型、ステージIA)と診断された当時47歳の男性である。前医に入院した患者は、幽門側胃切除術(ビルロートI法)を受けたが、手術終了後、原因不明の両下肢麻痺が発生した。その後、両下肢麻痺の原因が髄梗塞であると診断され、高気圧酸素療法を行う目的で後医に転院した。
後医では、手術から7日後には飲水、8日後には流動食を開始、9日後には左横隔膜下ドレーンを抜去した。その後、患者は、嘔吐、腹痛、吃逆等の症状を呈し、手術から11日後に死亡した。

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判決

判決では、患者の死因、前医の過失、後医の過失が争点となった。

1 患者の死因について

この争点について、原告は、胃・十二指腸吻合部の縫合不全による腹膜炎であると主張し、前医は、患者は嘔吐した際に誤嚥し、誤嚥性肺炎により死亡したと主張し、後医は、ドレーンからの排液の性状等から腹膜炎の所見はなく、仮に腹膜炎を発症していたとしても、限局性腹膜炎に過ぎないと主張した。
裁判所は、解剖所見から手術後まもなく限局性腹膜炎を発症したと考えられることなどから、患者の死因について、手術後まもなく発症した限局性腹膜炎が、流動食開始等により進展した汎発性腹膜炎であると判示した。

2 前医の過失について

この争点について、原告は、(1)硬膜外麻酔の誤穿刺により外傷性脊椎損傷を生じさせた過失、(2)小腸穿孔とその後の洗浄を行わなかった過失、(3)縫合の過緊縛や不均一等という手技の過失、(4)縫合不全及び腹膜炎の症状を見落とし、これに対する治療を行わなかった過失、(5)後医に対して腹膜炎を疑うべき異常所見等を引き継がなかった過失があるとして、これらはすべて患者の死亡との間の因果関係があると主張するのに対し、前医は、(1)両下肢麻痺の原因は前脊髄動脈症候群であること、(2)バイポーラシザーズを用いた際、小腸に穴は空いておらず、腸管内容物は一切流出していないこと、(3)胃・十二指腸吻合部を過度に強くかつ不均衡に縫合した事実はないこと、(4)(5)胸部X線検査、血液・生化学検査、ドレーンからの排液の量及び性状の確認等の必要検査を行ったが縫合不全による腹膜炎を疑うべき所見がなかったことを主張した。
裁判所は、(1)両下肢麻痺の原因については損傷の部位等から硬膜外麻酔の際に、誤穿刺により脊椎を損傷したからであるとしながら、患者の死因は腹膜炎であるから、脊髄損傷及びそれによる両下肢麻痺と患者の死亡との間に直接の因果関係はないとし、(2)手術の際に、小腸に誤った穿孔を生じさせ、食渣を流出させたにも拘わらず十分な洗浄を行わなかった過失があること、(3)縫合の手技の不具合は顕著であり、解剖を行った医師も「これほど…ずさんなものはみたことがない」などと評価し、期待される技量(医療水準)にはるかに及ばないこと、(4)患者に危険因子や他の過失があることから本件では通常の術後管理以上に縫合不全等の発生に対し注意すべき義務があったにも拘わらず、炎症の重要な所見であるCRP値はその後も高い値を保持していたのに、縫合不全や腹膜炎を除外診断し、(5)後医に対して情報提供等をしなかったことから、前医には過失があり、この過失と患者の死亡との間には因果関係があると判示した。

3 後医の過失について

この争点について、原告は、(1)後医転院5日後までに腹膜炎の症状・所見を見落とした過失、(2)後医転院6日後までにイレウス(腸閉塞)の症状を見落とした過失、(3)前医から情報を収集しなかった過失があるとして、これらはすべて患者の死亡との間の因果関係があると主張するのに対し、後医は、(1)前医から術後経過は順調で問題は脊髄梗塞のみであると申し送りを受けていたこと、(2)後医転院6日後に嘔吐したが、その後、腹痛・発熱がなくドレーンからの排液にも異常がないこと、(3)前医からの申し送りの内容及び後医での検査所見に異常がなかったから過失はないと主張した。
裁判所は、(1)後医転院後は激しい腹痛や嘔吐、発熱などがなかったこと、ドレーンの排液の量及び性状について日常的に観察をしていたこと、後医は前医から術後管理については特に問題がない旨の引き継ぎを受けただけで、高気圧酸素療法を施行するため転院を受け入れたことから、後医には縫合不全等による腹膜炎の確認のための検査を行う義務がなく、(2)ドレーンからの排液に濃い混濁は見られず、転院後6日で重篤なイレウス、腹膜炎の発症を疑うことは困難であり、開腹手術を行うまでの義務がなく、(3)術後の経口摂取開始前に造影剤検査を行う義務の有無については、特に異常が認められなければ縫合不全の検査は行わずに経口摂取を再開するのが通常であり、後医には死亡と因果関係のある過失は存在しないと判示した。

判例に学ぶ

1 縫合不全と手技上の過失について

消化器外科手術により縫合不全が生じた場合、縫合の手技自体を過失と捉えることができるであろうか。この点、本裁判例は、「過失の有無を判断する基準となるべき縫合の技量(医療水準)は、必ずしも明確ではない」といいつつ、解剖を行った医師が「かなりの縫合部を見てきたが、これほど…ずさんなものは見たことがない」「あきらかな技術ミス」などと評価していること等を指摘して、手技上の過失があると判示した。
しかし、本裁判例のように、縫合の手技自体に過失を認めた事例はそれほど多くはない。たとえば、裁判例(京都地判平成4年10月30日判時1475号125頁)は、胃癌のための胃亜全摘出手術により食道と空腸の吻合部に縫合不全による孔が発生し、胆汁等の消化液が胸腔内に漏出して胸腹膜炎により死亡した場合に、「手技自体の過誤の存在を認めることはできない」と判示する。

2 手術後の経過観察における過失について

縫合不全により消化管内容物が流出し、腹膜炎を生じることが多いが、腹腔全体の炎症を呈する汎発性腹膜炎が発症した場合、腹部外科的疾患の中でも特に重要な疾患となる。それゆえ、消化器外科手術後は腹痛・腹膜刺激症状、発熱、吃逆、血液検査の結果(WBC、CRP等)、ドレーンからの滲出液の量・性状等を観察する必要がある。
この点、術後管理において要求される注意義務の水準は患者の状態、素因により変動すると考える。本件で、裁判所は、縫合手技自体の過失があったこと、患者が縫合不全の全身的因子である糖尿病に罹患していたこと等を指摘して、「通常の術後管理以上に、縫合不全や腹膜炎の発生に対し注意すべき義務があった」と述べ、前医の過失を認定している。

3 経口摂取前の造影剤検査の必要性について

食物の経口摂取を行う前の造影剤検査の必要性も検討する必要がある。
本件で経口摂取を行った後医は、通常、術後特段の異常がなければ縫合不全の検査を行わずに経口摂取を行っていた。この点、消化器外科手術後、経口摂取前に造影剤検査を行うことがクリニカルパスとして明示されている医療機関もある。今後、通常の術後管理以上に、縫合不全や腹膜炎の発生に対し注意すべき義務があったといえるケースでは、経口摂取前の造影剤検査を行うことが医療水準に適った措置であったと判断される可能性もある。

4 おわりに

本件は、術中に両下肢麻痺が発生したため後医転院の必要が生じたこと、医療者の関心が少なからず両下肢麻痺に集中したことが不幸な結果に至った一因という見方もできよう。しかし、縫合不全の発生を100%回避することは不可能であること、縫合不全が発生した場合は腹膜炎を発症し、患者が重篤な状態に陥る可能性があること(特に汎発性腹膜炎の場合)を念頭に置けば、後医を含め、本件で患者の術後管理について医療水準を満たす医療が提供されていないと評価される可能性がある。