1.本件の争点
(1)結核性髄膜炎を疑い、髄液検査を行わなかった過失の有無
(すなわち、いずれの時点で髄液検査を行い、治療を開始すべきだったのか)
(2)残存した後遺障害と上記(1)との因果関係
(3)損害
(4)患者にBCG接種をさせていなかったことを被害者の落ち度として斟酌すべきか
2.過失について
(1)について
患者が突然痙攣を起こし、眼球が右方偏位して、痛み刺激に反応がない、不規則な痙攣、目の焦点が定まらない、意識レベルの低下といった神経学的所見が見られた3月30日午前中には、 B医師自身も患者の脳内に重大な事態が起こっていることを確信したこと、発症から既に13日間にもわたり解熱せず、シアザが見られる状況にあったことなどから、その原因疾患として、結核性髄膜炎を行うべきであった。
にもかかわらず、B医師は、同月30日に髄液検査を行わず、他の病院に電話をして助言を求めるなどした結果、4月2日に九州大学病院に転院されることの承諾を取り付けたのみである。さらに、3月31日は午前8時から9時までの間に患者を診察したのを最後に、被告病院を退職している。しかも、B医師の後任の主治医が実際に患者の診察にあたるようになったのは、4月1日朝からであったというのであるから、3月31日午後から翌朝にかけては主治医不在の状態となっていたことになる。また、B医師が後任に引き継いだ患者の治療方針は、消極的現状維持的な内容にとどまるものであった。
3月30日午前0時ころ以降、患者の脳内に重大な異変が生じていた可能性は大であり、B医師としても、このような重大な脳内の異変を認識していたにもかかわらず、これに対して積極的に対処することなく、九州大学病院へに転院させることの承諾を取り付けたことで事足れりとし、転院までの間はこれ以上症状を悪化させないという現状維持的な治療方針を立て、これを後任の医師に申し送ることまでした。患者の急激な症状の悪化を踏まえるなら、上記の対応は甚だ不十分である。また、B医師が退職した後の3月31日午後から翌朝にかけて、患者の主治医が不在となるような事態を回避すべきことは当然であって、それが果たされていたならば、同月31日午後に発現した患者の急速な意識状態の低下に対してもより適切な対応がとられていた可能性がある。
以上によれば、同月30日午前中には髄液検査を行い、さらに翌31日には画像診断等を経て、4月1日夕方には結核性髄膜炎に対する治療を開始すべきであったのであり、これらをいずれも怠った点において過失が認められる。
(2)について
3月31日午後に画像診断が行われ、水頭症の存在を認めて直ちにこれに対する治療を行っていたならば、水頭症による脳の損傷を最小限に食い止められた可能性があった。3月31日から 4月2日までの数日間は、患者の後遺障害を軽減させるためには決定的ともいうべき極めて重要な時期であったものであり、その貴重な数日間がいたずらに空費されたのであるから、患者に何らかの後遺障害が残ることは避けられなかったとしても、B医師らが適時適切に患者の結核性髄膜炎に対処していたならば、後遺障害の程度はもっと軽減されていた可能性は相当程度あるものと判断した。