Vol.115 治験におけるプロトコール違反の違法性

~プロトコールに反する行為が不法行為責任及び債務不完全履行責任の発生根拠とされた事例~

-名古屋地判平成12年3月24日判時1733号70頁-
協力:「医療問題弁護団」東晃一弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件患者は当時45歳の女性。昭和63年4月、近医にて子宮筋腫と診断され、同月28日の切除手術中、右卵巣に悪性腫瘍が認められたため、腫瘍摘出、子宮全摘等の手術が施された。
その後、被告A県開設の被告病院を紹介され、同年5月16日、受診したところ、被告病院に勤務する被告担当医は、胎児性癌の不完全手術であり、肝臓実質内転移、横隔膜を超える部分への転移があり、進行期IVであると診断した。
当時の卵黄嚢腫瘍に対する標準的な化学療法はPVB療法(シスプラチン、ブレオマイシン及びビンブラスチンの三剤を併用する療法)であり、本件患者の所見には同療法の実施につき障害はなかったが、被告担当医は、第二相臨床試験の段階にあった本件治験薬(254S)の使用を決定した。なお、本件治験薬の主な副作用は骨髄毒性であり、その第二相臨床試験の実施要領(本件プロトコール)には、症例選択の条件、他の抗癌剤との併用禁止、投与量及び投与間隔、インフォームド・コンセント原則などに関する定めがあった。
本件患者は、同月20日、被告病院に入院したが、被告担当医から本件プロトコールの各規定に違背する本件化学療法を継続され、同年9月23日、骨髄抑制に伴う出血と感染のため死亡するに至った。

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判決

1 本件プロトコール違反の具体的内容(インフォームド・コンセント原則違反の点は後述)

 

本件プロトコールは、被験者保護の見地から、本件治験薬の1回の投与量を体表面積1平方メートル当たり100ミリグラムとし、4週間の間隔で投与すること、症例選択の条件として、主要臓器の機能が十分保持された症例とし、血色素は1デシリッター当たり10・0グラム以上、肝機能などの検査値が、正常の上限値の2倍以内のものとし、そのほか、他の抗癌剤との併用禁止等を定めた。
ところで、昭和63年5月23日実施の末梢血検査結果及び血清検査によれば、本件患者の血色素は1デシリッター当たり8・5グラム、GOTは171ユニット、GPTは194ユニットであって、本件プロトコールが症例選択の条件として骨髄機能、肝機能に関して定めた基準を充足していなかった。
また、被告病院入院時の本件患者の身長は 148・5センチメートル、体重50キログラムであったから、投与量に関する本件プロトコールの規定をこれに当てはめれば、1回の投与量は約140ミリグラムとなるが、適正量の投与は最初の1回だけであり、その余はいずれも適正量の1・25倍ないし1・8倍の量が投与された。投与間隔も本件プロトコールの規定に適合しないほか、時期によっては、本件プロトコールの定める禁止事項である他の抗癌剤ブレオマイシン及びビンブラスチンと併用する使用方法が採られた。

2 プロトコール違反の違法性

患者を被験者とする第二相の臨床試験は、人体実験の側面を有するものであって、医療行為の限界に位置するから、専門的科学的検討を経て策定されたプロトコールに基づき、被験者の保護に配慮し慎重に実施される必要があり、とりわけプロトコール中被験者保護の見地から定められた規定に違反する行為は、特別の事情がない限り、社会的にも許容することができず、社会的相当性を逸脱するものとして違法と評価されるべきである。
そして、被告担当医の本件プロトコール違反行為を見れば、第一相の臨床試験の結果判明した本件治験薬の骨髄毒性から被験者を保護するため、本件プロトコールが症例選択の条件、投与量、投与方法等について定めた重要な規定に違反したものであり、その違反の程度も重大であって高度の危険性があり、かつ、右違反行為によって侵害された法益も重大であるから、当該行為の利益侵害行為としての態様及び被侵害利益の重大性の観点から考察しても、私法上違法性を帯びるものであることが明らかである。
なお、治療目的で薬事法の承認前の治験薬を使用する場合であっても、特別の事情がない限り、被験者保護の見地から設けられたプロトコールを遵守しないことが、医師の裁量権の範囲内にあるものとはいえない。

3 本件プロトコール違反についての医師としての過失

被告担当医は、本件プロトコール作成に関与しており、右違法行為を敢行するにつき故意又は過失があったことが明らかである。

4 プロトコール違反とインフォームド・コンセント原則

あえて、本件プロトコール中被験者保護の各規定に反する危険な医療行為を実施しようとする場合は、その旨及びその必要性、高度の危険性について具体的に説明し、被験者がその危険性を承知の上で選択権を行使するのでなければ、被験者の自己決定権を尊重したことにならない。
本件では、本件患者の身体状態が本件プロトコールの定める症例選択の条件を具備していなかったこと、被験者保護の見地から設けられた本件プロトコールの規定に違反する投与量、投与方法をあえて採用することの説明がなかった。

5 過失及び因果関係に関する結論

被告担当医は、医師として、本件患者の疾病に関する当時の医療水準に適合する診療行為を行い、かつ、患者の危険防止のため当時の医学的知見に基づく最善の措置を採るべき注意義務に違反したほか、臨床試験のため治験薬を使用する化学療法を行う場合に尽くすべき注意義務にも違反し、かつ、インフォームド・コンセント原則にも違反し、その結果本件患者を死亡させたものであるから、不法行為責任に基づき、損害を賠償すべき義務がある。

判例に学ぶ

本判例は、まず被告担当医の治療行為が診療契約上の債務の不完全履行に当たることを述べた後で、プロトコール違反、インフォームド・コンセント原則違反などの争点については、医師としての注意義務違反の程度及び態様がより明確になるなどの観点から検討している。インフォームド・コンセント原則については、1997(平成9)年4月1日施行の新GCPにより確立したとの評価もあり、本稿では、専らプロトコール違反の点を中心に取り上げた。
本判例は、(1)第二相の臨床試験が人体実験の側面を有し医療行為の限界に位置すること、(2)それゆえ、プロトコールに基づき被験者の保護に配慮し慎重に実施される必要があること、(3)とりわけプロトコール中被験者保護の見地から定められた規定に違反する行為は、特別の事情がない限り、違法と評価されることを述べ、本件では、違反した規定の重要性、違反の程度の重大性、高度の危険性、及び被侵害法益の重大性を強調して、被告担当医の治療行為の違法性を認定している。
医師が医薬品を使用するに当たって添付文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される、とした最判平成8年1月23日民集50巻1号1頁と同様の判断枠組みである。
このように、臨床試験においては、プロトコールが医師の裁量を限界づけるが、留保された「特別の事情」が具体的にどのようなケースにあたるのかは問題である。
この点、「実務上、個々の患者の診療経過中には、医学的必要性や患者の希望などによって、プロトコールからの些細な逸脱は少なからず生じ得る」との指摘もあり(古川俊治「治験におけるプロトコール違反」年報医事法学 17号143頁)、医学的必要性や逸脱の程度等につき、被験者保護の趣旨を没却しないよう慎重な検討が必要と考えられる。
なお、「患者の希望」を考慮する際には、本判例の述べるとおり、具体的な説明のもとに、「被験者がその危険性を承知の上で選択権を行使」すべきは当然のことであり、医療者側には患者にとって十分理解しやすい説明が求められよう。