Vol.116 非専門医に求められる注意義務としての医療水準

~非専門医でも一般的な医学書に記載されている程度のTIAの知識は得ておくべきとして過失が肯定された例~

-福岡地方裁判所・平成24年3月27日判決・ウエストロージャパン(脳神経科)-
協力:「医療問題弁護団」梶浦 明裕弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者(女性・当時70歳・飲酒歴あり・喫煙は1日20本を30年間)は、本件の約20年前から被告病院(多数の診療科を有し救急告示病院、精密検査実施医療機関等の施設登録)に通院し、高血圧症の治療を受けていた。平成21年3月3日の21時ころ、患者は、左手に違和感を覚え、居酒屋で硬貨を拾っては落とすという行動を繰り返し、顔面の片側が垂れ下がっている状態が見られた。間もなく救急隊が到着、同隊の聴取結果に基づき、患者は、意識等は正常だが、歩行不能、一過性脳虚血発作(以下「TIA」という。)疑いとして、駆けつけた患者の夫Aも同乗し、被告病院に救急搬送された。
当直医のB医師(専門は消化器外科)は、21 時15分ころ、患者を診察し、右記居酒屋での経過を聴取するも、その余の詳細な聴取もAからの聴取もしなかった。この時患者は、意識清明で、痙攣や麻痺、歩行障害等もなかったところ、B医師は、当時、意識障害があるのがTIAだと思っていたため、患者はTIAではないと判断し、患者が翌日被告病院受診予定だったため、異常時は再診するように伝え患者らを帰宅させた。
翌3月4日、患者は被告病院を受診、C医師(患者の主治医で専門は循環器科)は、前日のカルテに基づき、急性脳梗塞の有無を診断すべく、脳の単純MRI、脳動脈のMRA、DWIの各検査を依頼した。もっとも、C医師も、当時、一過性の意識障害がTIAと誤解していた等の事情から、患者に現症状の異常がないことの確認をしたに留まり、それ以上の聴取をしなかった。右記検査の結果、右側に陳急性小梗塞、両側小脳半球にも陳旧性梗塞巣が認められ、その他異常所見はなく、以上を踏まえ、患者は、陳旧性脳梗塞、多発性脳虚血と診断された。C医師は、心電図検査を実施することはなく、TIAの疑いとの診断をせず、従前と同様、約1か月後の診察予約をして、指示なく患者を帰宅させた。
3月17日夜、患者には、ろれつが回らない症状が見られ、翌18日早朝、自宅で倒れ、搬送先の病院(被告病院とは別)で、脳梗塞急性期と診断され、緊急入院した。その後、患者は、同病院で治療とリハビリを受け、症状の増悪はないが、要介護3級の認定を受けるに至った。

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判決

1 非専門医に原因検索及び治療開始義務違反を認める

被告病院は、同病院は脳卒中の専門医療機関ではなく、B医師もC医師も脳卒中の専門医ではないから、被告病院とB医師及びC医師とって、適切な問診を行ってTIA又はその疑いがあることを診断すること、さらに機序を確定(原因を検索)し、治療を開始することは医療水準ではなく、したがって、過失はないと主張した。
しかし、裁判所は、TIAに関する医学的知見の内容、具体的には、TIAが一過性の意識障害ではなく一過性の神経障害を伴う脳虚血症状であること、TIAの診断においては過去の症状についての問診が重要であること、TIAが疑われた場合には、速やかに原因を検索し、治療を開始すべきことは、一般的な医学文献に記載され、特に、新規なものではないから、脳卒中の非専門医でも認識しておくべき内容、すなわち、非専門医にとっても医療水準であったと判断した。その上で、裁判所は、まず、B医師については、TIAを否定した診断は不適切としつつも、医師はTIAの患者を即日入院させる義務までは負わないとし、原因検索及び治療開始義務違反は否定した。他方で、C医師については、TIAに否定的な診断を不適切とし、かつ、その誤診によってさらなる原因検索(特に心臓に原因があるかどうかの検討)を行わず、特段の注意を与えることなく帰宅させたことについて、原因検索及び治療開始義務違反(過失)があると判断した。
なお、被告病院は、TIAに関する治療について定めた脳卒中治療ガイドライン2009が本件当時発行されていないことも指摘したが、裁判所は、TIAに関する医学的知見は同ガイドラインを待つまでもなく極めて一般的な医学文献で認定できるとして、これを排斥した。

2 因果関係は否定(ただし慰謝料を肯定)

裁判所は、患者はC医師診察時無症状であったからその後患者が理解を示さず3月18日までに検査が終わらなかった可能性もあること、心房細動が発見されたのは患者入院 3日目の1回のみであるから入院が早まっても発見されたとは限らないこと、抗凝固療法が開始されたとしても同療法が 100%脳梗塞を防ぐものではいことを理由に、前記義務違反と脳梗塞発症との間の因果関係(同義務違反がなければ脳梗塞を防止し得た「高度の蓋然性」)は否定した。
もっとも、裁判所は、同義務違反がなければ脳梗塞を防止し得た相当程度の可能性はあるとして、慰謝料 400万円と弁護士費用 40万円の限度で支払いを命じる判決を下した。

判例に学ぶ

1 過失(注意義務違反)を画する「医療水準」の判断

周知のとおり、医師の注意義務の基準となるのは「医療水準」です(最高裁昭和57・3・30 判決)が、この医療水準は、問題となっている医学的知見の普及度により判断されます。 そして、医療水準は、医療機関の規模等により異なる相対的なものであり、また、実際にその知見を有していたかではなく有することが期待されたかにより判断されます(最高裁 平成7・6・9判決)。さらに、医療水準は、医師が実際に行っている医療慣行とは必ずしも一致しません(最高裁平成8・1・23判決)。
本判決でも、担当医2名は、事故当時、TIAに関する正確な医学的知見を有していませんでしたが、有していることが期待されていたという考えのもと、医療水準である旨判断され、また、被告病院側主張は、医療慣行と医療水準は異なるとの視点からも排斥されています。

2 非専門医にも要求される「医療水準」とは

医療水準は相対的なものであるという最高裁の考え方からすれば、専門医と非専門医とで、求められる医療水準は異なることになりますが、これは、医療の現場から見てもあまりにも当然のことでしょう。
もっとも、非専門分野についても、基本的な知見すら欠いてよいことにはならないのもまた当然であり、本判決も、この観点から、医療水準を画して注意義務違反(過失)を肯定しています。この点、最高裁も、医師は置かれた状況の下で最新の添付文書を参照するなどして可能な限りの最新情報を収集する義務があると判断しているところです(最高裁平成14・11・8判決)。このように、非専門医にとっても、第1に、基本的な医学文献で指摘されているような基本的な医学的知見は医療水準となることに留意が必要です。
そして、第2に、当該知見が非専門医にとって医療水準ではない場合も、次に留意すべきは、転医(科)義務です(最高裁平成7・6・9 判決)。そして、この転医義務は、特定の疾病を疑えなくても、自らが適切に対処できない何らかの重大で緊急性のある疾病の可能性を疑った際に発生するとされています(最高裁 平成15・11・11)。

3 医療水準とガイドラインの位置付け

ガイドライン記載の医学的知見は、一般的に医療水準を画するものとして重視される傾向にあります。
しかし、ガイドラインは医学的知見の普及度合いを示す一つの資料に過ぎず、ガイドラインが医療水準を画する訳ではありません。医療水準は、本判決のように、ガイドラインほか医学文献(場合によっては、これに加えて臨床に携わる医師の意見・鑑定)によって判断されるものであり、あくまでも当該医学的知見の「普及度」が判断基準ですので、留意が必要です。