Vol.120 急性心筋梗塞の鑑別診断における注意義務

~消化器内科を中心とする一般内科医が、急性心筋梗塞を含む急性冠症候群を疑わせる兆候を見落としたことについて、過失がないとされた事例~

-福岡高等裁判所・平成22年11月26日判決・判例時報2110号73頁-
協力:「医療問題弁護団」桑名 俊光弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者A( 42歳男性)は、平成17年11月18日午後3時ころ、食道・胃の痛み、胃のむかつき、気分の不快感を覚え、勤務先を早退し、午後 5時50分ころ、被告病院を受診した。
当直の看護師は、Aが「のどから胸にかけて痛みがある。午後3時ころから現在も続いている。」と訴えた内容をカルテに記載し、当直医のB医師(消化器内科を中心とする一般内科を専門としている内科医)に引き継いだ。
B医師は午後6時ころ、Aの診察を始め、胸痛の有無、部位、程度等を質問すると、A は、「特に今は痛みは感じない。」、「昼食後、寝ていて同僚に起こされたときに、胸がドキッとした。」「その後胸部に痛みが出た。」などと答え、痛みの性状については、「黄水が上がってくるような、何となく胸部に不快感のあるような痛み」と説明した。既往症は、うつ病と高血圧と述べた。問診後、B医師はAの胸部を聴診したが、異常音は聴取しなかった。さらに、B医師が心電図検査を実施すると、軽度のST上昇(0・1mV)があったものの、心電図の自動解析結果は「異常なし」であり、B医師はST上昇なしと判読した。問診、聴診及び心電図検査の結果に基づき、B医師は、Aの症状について逆流性食道炎の疑いがあると診断し、胃酸分泌物抑制剤を処方して、 Aを帰宅させた。
Aは午後6時35分ころ、歩いて帰宅の途についたが、まもなく、被告病院から約500m離れた場所の駐車場で倒れているのを発見され、午後7時に地域の高次医療機関であるC病院に搬送された。 C病院では、心肺停止状態のAに対して蘇生術を実施したが奏功せず、翌19日午後1時30分ころAは死亡した。

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判決

1 当事者の主張

Aの両親である原告らは、B医師がAの心電図所見の評価を誤った結果、急性心筋梗塞の発症を見落とし、抗凝固薬の投与、専門医への相談及び緊急心臓カテーテル検査・治療が可能な医療機関への転送義務を怠ったなどと主張して、被告病院に対して不法行為に基づく損害賠償を請求した。
これに対して被告病院は、被告病院受診時の心電図は急性心筋梗塞の診療ガイドライン上の典型的所見に該当せず、心電図の自動解析結果も異常なしだったこと、担当医が循環器専門医ではないことなどから、急性心筋梗塞を含めた急性冠症候群を疑うことは不可能であり、過失はないと主張した。

2 第1審判決(過失を肯定)

B医師は、診察の時点でAの胸痛症状が消失、軽減していたことや、心電図の自動解析結果が異常なしであったことを重視して、心電図が軽度のST上昇(約0・1mV)を示していたという異常所見を見落とし、安易に急性冠症候群の可能性を除外する診断をした。 B医師は、遅くとも心電図検査の結果が明らかになった時点で、急性冠症候群の発症を疑い、カテーテル治療が行えるC病院に Aを適時に転送し、適切な検査、治療を受けさせるべき義務があったのに、それに違反した過失がある。

3 本判決(控訴審判決…過失を否定)

本判決は、Aにみられた胸痛は、急性冠症候群の症状と推認されるとした上で以下のように述べ、第1審判決を取り消した。
「B医師は、Aの胸痛の強度、性状、発現の時期等について問診するとともに、意識状態、体温を確認し、聴診を行い、その上で心電図検査を施行したもので、胸痛を訴える患者に対する処置として、不合理な点は見当たらない。」
「Aの心電図所見は軽度のST上昇を示していたことが認められ、かかる所見に加えて、 Aに持続していた胸痛を考慮した場合、循環器専門医であれば、急性冠症候群の可能性を考慮して更に検査を進めた可能性が高かったといえるが、その一方で…心電図の自動解析装置結果も判定「-(正常範囲)」、解析結果「異常なし」であり、ガイドラインのいう典型的な持続性ST上昇の所見には該当していなかったこと…等からすると、循環器以外を専門とする医師が、臨床上、本件心電図から急性心筋梗塞を疑わせる徴候(軽度のST上昇の存在)を把握することは困難であるといわざるをえない。」
「B医師は、消化器内科を中心とする一般内科を専門とする医師であり、これまで急性心筋梗塞の診断や治療に携わった経験はなかったのであるから、B医師に循環器専門医と同等の判断を要求することは酷といえ、同人が心電図におけるAの急性心筋梗塞を疑わせる所見を見逃したことは、やむを得なかったというべきである。」

判例に学ぶ

1 医師の注意義務の判断基準となる「医療水準」

医師の注意義務の判断基準となるのは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準です(最高裁昭和57・3・30判決)が、この臨床医学の実践における医療水準は全国一律のものではなく、診療に当たった医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられます(最高裁平成7・6・9 判決)。第1審判決も本判決も共に、上記の医療水準論を前提としていると考えられます。

2 急性心筋梗塞等の鑑別診断における注意義務

急性冠症候群(急性心筋梗塞を含む)は致死率が高く、かつ緊急対応を要する胸部疾患であることから、医師には十分な問診等を尽くして鑑別診断を行うことが要求されます。近年の判例は、背部痛、心か部痛の自覚症状のある患者を診察する医師について、「まず、緊急を要する胸部疾患を鑑別するために、問診によって既往症等を聞き出すとともに、血圧、脈拍、体温等の測定を行い、その結果や聴診、触診等によって狭心症、心筋梗塞等が疑われた場合には、心電図検査を行って疾患の鑑別および不整脈の監視を行う」義務を認めました(最高裁平成12・9・22判決)。
本判決は、B医師が問診を尽くし、体温測定や聴診をしたうえで、心電図検査を施行したことは鑑別診断のためにする処置として不合理ではないと判断し、専門医でないB医師が軽度のST上昇を見落とした点はやむを得ないと判断しました。これに対して、第1審判決は、約3時間の持続した臨床症状からは急性冠症候群を疑うべきであり、心電図の自動解析結果が異常なしであったこと等から急性冠症候群の可能性を除外したのは安易であったと判断しており、同じく医療水準論を前提としながらも、疾患の鑑別にどこまでの慎重さが求められるかについて考え方が分かれたものと見ることができます。

3 専門分野外の疾患について

また、上記1の医療水準の考慮要素の一つとして、「診療に当たった医師の専門分野」が挙げられていますが、裁判例においても、問題となった疾患が専門分野外の疾患である場合には当該医師の注意義務がやや軽減される傾向にあるといえます。本判決も「(当直に当たっていた一般内科医の)B医師に、循環器専門医と同等の判断を要求することは酷」と述べており、その傾向がみられますが、専門分野外という一事をもって、広く免責が認められた訳ではない点には注意が必要です。
他方で、急性心筋梗塞のように放置による生命への危険が大きい疾患については、危険性に照らしてその除外診断には慎重さが求められますが、それが専門分野外の疾患である場合に「専門医でなければなおさらのこと(除外診断には)慎重さが要請される」(第1審判決)という指摘も可能でしょう。本判決では、 B医師が一応の処置を尽くしたこと、心電図異常の程度が軽度だったこと等の諸事情が考慮され、結果としては過失が否定されました。しかし、同じ事件の第1審判決では一旦は過失が認められたという経緯をも考えれば、専門分野外の疾患について緊急対応を要するものかどうかに疑いが残る場合には、専門医への相談(コンサルテーション)はもちろん、緊急入院や転送も含めた慎重な対応が求められると言ってよいでしょう。