Vol.118 入院患者の失踪と転落死

~転落死の予見可能性、危険行動防止措置義務、捜索義務、施設管理義務などが問題となった裁判例~

-東京地方裁判所判決・平成21年6月25日/判例タイムズ1328号掲載-
協力:「医療問題弁護団」笹川 麻利恵弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者(63歳・男性)は、平成17年2月23日(以下、年の記載を省略)に食道がんの治療のためA病院に入院し、3月8日に食道亜全摘手術を受けた。退院後、胃管の吻合部狭窄や縫合不全が認められ、7月26日に頚部食道皮膚ろう造設術、胸骨後膿瘍洗浄ドレナージ及び胃管縫合閉鎖術を受けた(以下、「第2回手術」という)。
7月30日午前0時40分頃病室にいたのが確認されたのを最後に、午前0時55分頃までの間に失踪した。病院内等の捜索や家族への連絡がなされたが、同日午後12時30分頃A病院内に併設された看護師宿舎の屋上から転落しているのが発見され、死亡が確認された。
患者の相続人らが、A病院の医療従事者らにおいて、1,患者は術後せん妄を発症しており、自殺を含めた危険行動に出ることが予見できたのに予見しなかったと主張し、そのうえで、2,術後せん妄による危険行動を防止するために患者の体幹・両上肢の抑制等を実施する義務、3,失踪した患者を適切に捜索する義務、4,患者が失踪したことに気付いた時点で、家族に連絡する義務、5,失踪した患者が病棟の外に出ないように出入口を施錠し、警備員に監視させるなど病院施設を適切に管理する義務があったのに、これらの義務を怠ったと主張して、不法行為又は診療契約の債務不履行に基づく損害賠償を求めた事例である。

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判決

1 転落死の予見可能性について

(1)原告側は、患者が呈していた症状等により患者が術後せん妄を発症することを予見できた以上、患者の転落死を予見することができたと主張した。
(2)判決は、術後せん妄の症候、診断についての医学的知見を認定し、第2回手術後における患者の診療経過を詳細に認定した。そのうえで、原告らが主張している事情(手を振戦させて片付けをする等)の中には、術後せん妄発症の若干の疑いを生じさせるものもあるが、術後せん妄の中核的症状は意識障害とされ、術後せん妄の症候や診断基準でも患者に認知の変化が出現することが挙げられるものの、第2回手術後の患者に認知の変化にかかる症状が発現したものとは認められないとした。
むしろ、失踪直前の患者の落ち着いた様子(にこやかな表情を浮かべ、うちわでゆっくりと顔をあおぐ等)等から、A病院の医療従事者らにおいて、患者が術後せん妄を発症していることを認識することができたとか、上記各事情の存在時と近接した時期に患者が術後せん妄を発症することを具体的に予見すべきであったとはいえず、まして、患者が術後せん妄によって危険な行動をとり、転落死することを具体的に予見すべきであったということもできないと判断した。

2 危険行動防止措置義務違反について

(1)原告らは徘徊などを防止するため、患者の体幹・両上肢の抑制を実施すべき義務があったと主張した。この点、判決は、身体拘束の適用対象についての医学的知見を認定したうえ、事故が予測される場合に限って患者の行動制限が実施できると解した。
(2)そして、前述のとおり患者に術後せん妄発症の予見可能性が認められないことから、術後せん妄の発症により事故が予想される場合として、患者の体幹・両上肢の抑制を実施すべき義務があるということはできないと判断した。
(3)なお、身体拘束については、患者の生命リスクを勘案して身体拘束が必要な場合があることは否定できないとしても、実施については患者の人権を尊重するために極めて限定的になされるべきとも解している。
(4)また、原告らはレンドルミン投与後に患者を監視・観察する義務違反や患者の身辺から鋏を撤去すべき義務(患者はドレーン等を抜去して失踪)等についても主張したが、患者に術後せん妄発症の予見可能性がない等としていずれも否定されている。

3 捜索義務違反について

発見まで12時間弱かかったこともあり、原告らは、患者の血痕を手掛かりに推測される地点付近を捜索すべき義務があったとも主張した。
なお、A病院には医療安全マニュアルが存在し、患者が行方不明になった場合にとるべき対応が定められている。
判決は、病院建物の配置、構造、捜索の状況等を詳細に認定したうえ、当該マニュアルの内容に照らしても、A病院として必要と考えられる捜索が実施されており、捜索義務違反はないと判断した。

4 家族に対する連絡義務違反について

失踪に気付いた時点で家族に連絡すべきであったかも問題となった。判決は、失踪判明が深夜であり、病院内で捜索を尽くしても患者が発見されず自宅へ帰宅する可能性が考えられた時点で家族への連絡を検討するとしたA病院の対応は社会一般の常識から外れたものとは言い難いとして、連絡義務違反はないと判断した。

5 施設管理義務違反について

術後せん妄状態の患者が病棟の外に出ないように施錠や監視等する義務も問題となった。判決は、病棟の外に出さないようにするには、病棟の出入口全てを施錠するか、全ての出入口を警備員に常時監視させなければならないが、それは容易でなく現実的でもないこと、かかる措置を講ずるべきとする公的な基準もない等として、これを否定した。

判例に学ぶ

精神疾患等を来した入院中の患者が病院施設内で自殺ないし事故死した事案では、自殺や事故死を具体的に予見することが可能であったか(予見可能性)が争点となります。
この点、本件は術後せん妄が問題となる事案でしたので、まずは術後せん妄「発症」の予見可能性が争われ、そのうえで、術後せん妄により危険な行動をとり転落死することの予見可能性が争われたという構造となっています。
自殺や事故死の予見可能性の判断では、事件当時の病状の推移を事案ごとに検討して、当該患者の自殺や事故死に至る危険性の程度を個別に判断することになるでしょう。定型的な基準があるわけではなく、個別具体的な検討がされ、きめ細やかな事実の認定を伴う判断となります。患者の希死念慮等の具体的な病状、診療の経過、患者の診療についての希望、親族の受入れ体態勢等諸般の事情を考慮して、開放的処遇を採るのか、むしろ自殺防止等の安全措置に相対的に比重を置くのかを、その裁量の範囲内において、決定すると考えられます(秋吉仁美編著「医療訴訟」参照)。
本件でも診療経過等が詳細に認定されたうえで、転落死の予見可能性の判断がなされました。また、転落死の予見可能性だけではなく、危険行動防止措置義務、捜索義務、家族への連絡義務、施設管理義務といった注意義務についても判断されており、事例的意義のある判決といえるでしょう。
なお、病院施設内で自殺・事故死した事案では、個別の医療従事者の過失としてではなく、病院側の看護体制や安全管理体制といった体制が問題となる場合もあります(名古屋高裁金沢支部平成23年9月12日判決参照:病院側に看護体制の過失を認めた事例)。
本件でも、医療安全マニュアルの内容が具体的に認定され、それらに照らし、A病院として必要と考えられる具体的対応(捜索や家族への連絡等)がとられたかの検討がされています。
自殺・事故死の危険性のある患者に対する個別の注意だけではなく、安全体制・管理体制を病院として整え、医療従事者に周知徹底できているか否かはこれからの裁判でより重要視されるのではないでしょうか。