Vol.121 手術の合併症について医師が法的責任を負う場合

~全身麻酔下で豊胸手術を受けた患者が、麻酔から覚醒する前に異常を生じ、低酸素脳症による植物状態となってしまったという医療事故において、患者の低酸素脳症の原因が医師の主張するとおり悪性高熱症であっても、医師に麻酔管理の過失があるとされた事案~

-東京地方裁判所・平成15年11月28日判決・ウエストロージャパン(美容外科)-
協力:「医療問題弁護団」高梨 滋雄弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者が、美容外科医院において、全身麻酔下で豊胸手術を受けたところ、手術終了後、意識が回復せず、震え、筋強直も生じ、ETCO2は70ないし75台と異常値を示して、体温も40℃に上昇するという異常が生じ、結果的に低酸素脳症による植物状態となった。
患者及びその家族は、医師に対して患者が植物人間になったのは低酸素血症及び高炭酸ガス血症が原因であり、医師には麻酔管理の過失があるとして損害賠償を求める裁判を提起した。
裁判において医師は患者が低酸素脳症になった原因は、極めて希な疾患である悪性高熱症であり、その発症の予見はほとんど不可能であって、悪性高熱症の対応として行うべきことは全て行っているのであるから麻酔管理には過失がないと反論した。
これに対して、患者は、仮に低酸素脳症の原因が悪性高熱症によるものであったとしても、その治療薬であるダントロレンナトリウムの投与を怠ったのであるから、過失があると再反論をした。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

裁判所は、手術終了後、患者に生じた異常につき医師は、アルコールによる全身清拭や輸液等による体温冷却の措置をとって高熱状態を改善させ、震え、筋強直、ETCO2の異常な上昇の原因をさぐってその改善措置をとるべきであり、それができないときは直ちに高次救急医療機関に搬送すべきだったのにこれを怠って、患者を低酸素脳症による植物状態に至らせたのであるから過失があるとした。
また、仮に患者の低酸素脳症の原因が、医師の主張するとおり悪性高熱症であっても、医師は、患者に筋強直がみられ、40℃の高熱を発していることを認識した時点で、積極的に全身冷却を行い、100パーセント酸素で過換気を行うとともに、悪性高熱症の治療薬であるダントロレンを常備した高次救急医療機関に直ちに救急搬送すべきだったのにこれを怠ったのであるから、やはり過失があるとした。
そして、この医師の過失と患者が低酸素脳症により植物人間になったことには因果関係があるとして医師に患者が植物人間になったという被害を受けたことにつき損害賠償責任を認めた。

判例に学ぶ

1.悪性高熱症とは
この裁判で問題になった悪性高熱症は、常染色体優性遺伝の潜在的な筋疾患です。揮発性吸入麻酔薬や脱分極性筋弛緩薬によって誘発され、骨格筋細胞の小胞体のカルシウム放出チャンネル(リアノジン受容体:RYR1)の機能異常(遺伝子異常)により、細胞内のカルシウムイオン濃度が異常に上昇して代謝が亢進することによって、呼吸性・代謝性アシドーシス、高熱、筋硬直、頻脈、不整脈、高血圧・低血圧などの循環変動、高カリウム血症、高CK血症・ミオグロビン尿症などの多彩な症状を呈します。
悪性高熱症が進行してくると中枢神経障害、急性腎不全、DIC、肺水腫、肝不全などを呈して多臓器不全になります。
劇症型悪性高熱症の死亡率は、男性で30.6%、女性では24.1%で、死亡原因は、悪性高熱症発症から早期では心室細動、数時間以内では肺水腫、DIC、数日では低酸素による中枢神経障害、脳浮腫、ミオグロビン尿による腎不全が多くなります。
有効な治療法は、ダントロレンナトリウムの投与で、速やかに投与された場合には救命率が高くなります。


2.合併症については法的責任を負わない?
医師の方とお話しをさせていただきますと、「合併症なのだから(法的)責任は無い」「合併症について(法的)責任を負うというのは結果責任を負うというのと同じである」という御意見をいただくことがあります。
しかし、生じた悪い結果が合併症を原因とするものであるから、それだけで過失はなく法的責任を負わないということにはなりません。
合併症には、発生の回避が可能な合併症と、発生を回避することが困難な合併症に大別することができます。
例えば歯科インプラント治療の合併症として下顎神経の損傷があります。これは下顎骨にドリリングをしてインプラント体を埋入する際にドリリングまたはインプラント体によって神経が傷つけられてしまうことによって生じるものです。
この歯科インプラント治療による下顎神経の損傷は発生の回避が可能な合併症です。術前にCTまたはレントゲン撮影によって歯槽骨頂から下顎神経までの距離を正確に測定したうえでドリリングとインプラント体の埋入を下顎神経から2㎜以上余裕をもって実施すればよいのです。
したがって、術前にCTまたはレントゲン撮影によって歯槽骨頂から下顎神経までの距離を正確に測定しないまま歯科インプラント治療を実施し、下顎神経の損傷を生じさせた場合には、下顎神経の損傷を予見でき、かつ、これを回避できたにもかかわらず、これを怠ったものとして法的には過失があると評価されると考えられます。
このように発生の回避が可能な合併症については、その発生を予見し回避できたのにもかかわらず、これを怠ったときには過失があるとされ法的責任を負うことになるのです。


3.発生の回避が困難な合併症でも適切に対応しなければ法的責任を負うことがあります
それでは、発生の回避が困難な合併症についてはどうでしょうか。悪性高熱症は揮発性吸入麻酔薬によって誘発されるものですから、麻酔の合併症といえます。そして、悪性高熱症は、常染色体優性遺伝の潜在的な筋疾患で、事前にその発症を予見することは困難ですので発生の回避が困難な合併症であるといえます。
このような発生の回避が困難な合併症については、当然、発生したことだけで法的責任を負うということにはなりません。法的責任は、結果の発生を予見でき、かつ、これを回避できたにもかかわらず、これを怠ったという過失があるときに負うものだからです。
したがって、患者が麻酔によって悪性高熱症を発症したというだけで医師が法的責任を負うということはありません。
しかし、合併症が発生したときは、その重篤化を防ぐことが求められます。悪性高熱症についても、これが進行すると中枢神経障害、急性腎不全、DIC、肺水腫、肝不全などを呈して多臓器不全となり、死に至る危険がありますので、適切に対応してその進行を防ぐことが求められます。
具体的には悪性高熱症は、筋生検をしなければ確定診断をすることはできませんが、これは容易ではなく、他方、治療上、ダントロレンナトリウムが有効で早期投与が救命に欠かせないため、高熱、筋硬直などの症状から悪性高熱症の発症が疑われるときにはダントロレンナトリウムを投与することが求められます。
それゆえ、悪性高熱症の発症を回避することは困難ですが、医師は、患者が悪性高熱症を発症したと疑われるときは、その進行による重篤化の危険を予見でき、かつ、治療に有効なダントロレンナトリウムを投与して重篤化の危険を回避できるのですから、これを怠って、患者の悪性高熱症を重篤化させたときには法的には過失があると評価されることになるのです。
これはアナフィラキシーショックや大腸内視鏡術の際の穿孔などの他の発生を回避することが困難な合併症についても同様です。
むしろ、発生を回避することが困難な合併症については、術後の経過観察を慎重に行って、合併症に対して早期診断、早期治療をすることにより重篤化を防止することが求められることに御留意ください。