Vol.122 大動脈解離の鑑別診断における 注意義務

~大動脈解離の発症を鑑別するために、転医の上造影CT検査を受けさせる義務の有無が問題となった裁判例 ~

-横浜地方裁判所平成24年1月19日判決(平成20年(ワ)第3650号)LLI/DB 判例秘書登載-
協力:「医療問題弁護団」星野 俊之弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者A(44歳・男性)は、平成19年11月24日(土曜日)午前6時45分に胸痛発作を感じ、救急車でY病院に搬送された。問診において、胸からのどにかけて締めつけるような胸痛を5分ほど感じたこと、高血圧の既往があること等が医師に伝えられた。Aの血圧は173/92mmHg、脈拍は67回/分、SPO2は97%であった。その他、心電図検査、血液検査、胸部レントゲン検査、経胸壁心エコー検査が行われ、血液検査においてDダイマーが10.70μg/mlと高値を示したが、その他の検査では異常所見は見られず、Aは狭心症疑いと診断され、同日午前9時20分に入院となった。入院時の血圧測定では左右差が認められた。なお、当時Y病院のCT検査機器は、メンテナンス中で使用できなかった。
同日午後0時20分、Aは背部痛を訴えてニトロペンの投与を受けたが服用後30分程痛みが治まらなかった。さらに午後3時10分頃、Aは背中から腰にかけて痛みを覚え、寝返りをうつこともできなくなり、動くと動悸を覚える状態となった。
翌11月25日午前3時24分、Aは呼吸が停止し、脈拍が触れない状態になっていたのを発見された。その後救命措置が行われたが、Aは同日午前5時10分に死亡が確認された。解剖の結果、死因は大動脈解離に伴う心タンポナーデによる心原性ショックと判断された。

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判決

過失論の中心的な争点としては、1.入院前の外来診察時に大動脈解離の発症を疑い、直ちに鑑別診断のため転医のうえCT検査を受けさせる義務があったか、2.入院後の11月24日の正午ころまでにはAの症状が大動脈解離によるものである可能性を疑い、鑑別診断のため転医のうえCT検査を受けさせる義務があったかが問題となった。

判決は1.について、患者が当初感じた痛みの性状や、聴診において4音ギャロップが認められたことは大動脈解離よりも狭心症を疑わせるものであったこと、Dダイマーは大動脈解離診断との関係では特異度が低いことからその異常値をもって直ちに大動脈解離の診断をすべきとはいえないこと等からすると、外来診察時にAを転医させてまでCT検査を実施させる義務があったとはいえず、経過観察と精査のため入院措置を講じたことをもって過失があったとはいえないと判断した。
他方、2.については、(ア)午前9時20分の血圧測定で左右差が認められたこと、(イ)午後0時20分ころには背中の痛みという新たな痛みが生じ、狭心症の治療薬であるニトロペンを服用しても、通常であれば効果が生じるはずの5分以内に痛みが消失しなかったこと、(ウ)午後3時10分には再び背中から腰にかけて痛みが発生し、起きることも寝返りをうつこともできない状態となり、ボルタレンの投与を受けた後もそれが継続したことを指摘し、CT検査が行われておらず大動脈解離の除外診断もできていなかったことも考慮すれば、遅くとも午後3時10分ころには、改めて大動脈解離の可能性を含めた鑑別診断を行うため、Aを転医させてCT検査を受けさせるか、そうでなくても最低限Y病院で再び経胸壁心エコー検査を実施し、疑わしい所見が認められた場合にはCT検査を受けさせるために転医をさせる(所見次第では直ちに治療を開始する)義務があったのであり、これを怠った点で過失が認められると判断した。
なお、過失と逸失利益との因果関係については、文献上、大動脈解離の急性エピソードで死亡に至らなかった患者の生存率が5年で60%程度、10年で40~56%程度にとどまっていることを考慮し、結論として60%の限度でのみ因果関係を認めた。判決で認められた損害額は、合計約7200万円である。

判例に学ぶ

1.大動脈解離の鑑別診断においては造影CTの実施が重要であり、造影CTが行われさえすれば、100%に近い症例で鑑別診断が可能であるとされています。
これまでの裁判で大動脈解離の見落としが問題となった事案も、その多くは造影CTが行われないままに患者が死亡した事案で、当時の身体所見や血液検査、問診内容等から大動脈解離を疑い、造影CTを実施すべきであったのにそれを怠ったという点が過失の内容として問題とされています。
本件も、造影CT検査をすべき義務の存否が問題となっている点では他の裁判例と類似したケースですが、特殊な事実関係として、当時Y病院のCT検査機器が、メンテナンス中で使用できず、造影CT検査を受けさせるには転医させるしか方法がなかったという点があります。
判決では、結論として、遅くとも平成19年11月24日午後3時10分までに、担当医はAを転医させてCT検査を受けさせるべきであったと判断して、原告の請求を一部認めました。この判断については、当日が土曜日であったことも考慮すると、病院側にとっていささか厳しい判断であると感じられる方もいらっしゃるかと思います。

2.本件では、いわゆる転医義務が問題となっています。転医義務とは、自己の専門外科目又は人的・物的設備の不足などにより、医療水準に従った診療を自らすることができない場合に、専門の医師に相談したり、医療水準に従った診療が可能な医療機関へ患者を転医させるべき義務をいいます。
転医義務については、リーディングケースとされる最高裁昭和57年3月30日判決以降、数多くの裁判で問題とされています。それらの裁判例の分析から、転医義務が発生するか否かの判断要素は次のように整理されています(秋吉仁美編著、医療訴訟328頁)。(a)重大で緊急性が高く、進行すれば予後不良であることなど、これに対する診療が必要な疾患が存在すること、(b)医師が上記(a)を現に認識し又は認識し得ること、(c)患者の疾患が医師の専門外又はその疑いがあるか、当該医療機関では人的・物的設備が十分でなく、当該患者に求められる診療が困難であること、(d)患者の疾患について、より適切な診療が存在し、それが医療水準に照らして是認されること、(e)転医先が時間的・場所的に搬送可能な場所に存在すること、(f)転医先が患者の受入れを許諾していること、(g)患者が転医のための搬送に耐え得ること、(h)転医することによって患者に重大な結果の回避可能性があること。

3.大動脈解離という疾患の特殊性を考えると、特にStanfordA型の大動脈解離は自然予後が極めて悪く、見落とされて放置されると発症から1時間あたり1~2%の割合で致死率が上昇していくとされています。
他方で、文献上、大動脈解離に対する外科手術成績は年々向上しており、解離の部位や範囲によりバラツキがあると考えられるものの、適時に外科手術を受けられれば短期救命率は9割を超えるともいわれています。
つまり、大動脈解離は見落とされれば致死率の高い危険な疾患ではあるものの、造影CTさえ実施されれば鑑別診断は容易であり、しかも適時に外科手術を受けられれば救命可能性が高い点に特徴があるといえます。見落としが文字どおり致命的結果を引き起こすが、発見できれば助けられる疾患であるだけに、大動脈解離を疑うに足りる症状が見られる場合には、病院側には極めて慎重な対処が要求されるものと考えられます。
判決文を読む限り、本件では少なくとも前記判断要素の(a)(b)(c)(d)(h)を充足していると考えられ、特に大動脈解離の特徴から(a)及び(h)の要素が他の疾患に比べて強く認められるものと考えられます。
本件の判決においては、前記大動脈解離特有の事情も考慮した上で、結論として、Aを転医させてでも造影CTを実施し、大動脈解離発症の有無について確実な鑑別診断をすべきであったと、病院側にはやや厳しいとも思われる義務を認めたものと考えられます。