Vol.128 脂肪溶解剤の注射治療において滅菌消毒処置を怠った注意義務違反の認定

-東京地判平成24年10月31日判時2173号45頁-
協力:「医療問題弁護団」 川見 未華弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者Aは、平成18年6月30日、被告の開設する診療所(以下、「本件診療所」)において、美容目的で、脂肪溶解剤を皮膚又は皮下脂肪層に注射する治療(以下、「メソセラピー」)を受け、その後も、3回にわたり、被告の施術によるメソセラピーを受けた。患者Aには、4回目である同年12月4日の施術を終えた同月下旬頃、4回目の下腿注射部位に紅色の斑点がみられるようになった。その後も紅斑は注射部位に一致して次々と現れ、腫脹へと変化し、両そけい部のリンパ節の腫脹も見られるようになり、全身の倦怠感、強い吐き気が生じるようになった。翌19年1月初めには、上腕の注射部位にも発赤が出現するようになった。患者Aは、本件診療所のほか他病院も受診したものの、症状改善はみられず、原因の特定には至らなかったが、同年10月、ようやく、皮膚病変部組織の培養検査により、「マイコバクテリウム・ケロネイ」という菌が検出され、翌20年4月4日、非結核性抗酸菌感染症と診断された。
患者Bは、平成19年1月5日に本件診療所を初診し、翌6日及び同年2月2日に、本件診療所において、両大腿部にメソセラピーを受けたが、その後、注射部位の発赤やしこりが生じ、同年7月には患者Aと同じ病院で診察を受けるようになったが、その頃には両大腿に10数カ所に腫瘍がみられ、同部分に炎症を起こし、痛み、発赤、硬結がみられるなど、患者Aと同様の症状が生じていた。患者Bは、非結核性抗酸菌は検出されなかったものの、患者Aと近接する時期に同一の医療機関でメソセラピーを受け、患者Aと同様の症状を発症していること等から、患者Aと同様「マイコバクテリウム・ケロネイ」による感染症であると診断された。
なお、患者Aは、平成19年3月21日、被告との間で、解決金80万円の支払いを定める合意書(以下、「本件合意書」)を締結し、同日以降、本件診療所での治療を中止した。本件合意書の中には、本合意により、一切が円満解決したものとし、今後いかなる名目を問わず一切の金銭請求をしない等といった条項(以下、「清算条項」)が記載されていた。

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判決

1 非結核性抗酸菌に感染させた注意義務違反について

患者(原告)らは、被告は、メソセラピーを行う際、注射器等の診療用具及び注射液である脂肪溶解剤について非結核性抗酸菌に汚染されていないことの確認を行わずに注射をしたとして、非結核性抗酸菌に感染させた注意義務違反があると主張したが、被告は、本件施術においては使い捨ての器具等を使用し、施術部位の消毒も実施しているから、注意義務違反はないとした。
裁判所は、患者らの施術後の症状は、本件診療所でのメソセラピー施術の際に非結核性抗酸菌が注射液等を通して感染したことにより生じたものであると認定した上で、1.本件診療所におけるメソセラピー注射液について、すべて使い捨ての薬剤が使用されていたものではないこと、2.注射液の混合の過程において菌の混入が生じ得るものであること、3.複数の患者について、近接した時期に反復して類似の感染が発症していること、4.通常の滅菌消毒処置を行っていれば、本件の患者らに生じたような大量の感染を起こすことは考えにくいことからすると、患者らがメソセラピーにより、非結核性抗酸菌への感染を生じたのは、被告において、薬剤のバイアル及び生理食塩水の保管過程や、注射液の混合の過程において、十分な滅菌消毒処置を怠ったためであると推認することができるとして、被告の注意義務違反を認めた。

2 本件合意書の清算条項の効力について

裁判所は、患者Aが本件合意書に署名した当時、メソセラピー施術後に患者Aに生じた病変の原因は、患者A及び被告のいずれにとっても不分明で、今後の治療に要する具体的な期間や費用、治療効果等を予測することは困難な状況であったこと等から、本件合意書において和解の対象とされたのは、あくまで患者Aが本件診療所に通院していた間に生じた損害についてのものであり、その当時、具体的に認識できなかった他院での通院等によって生じる損害についてまで、賠償請求権を放棄した趣旨と解するのは、当事者の合理的意思に合致するものとはいえないとした。

判例に学ぶ

1 注射における消毒処置に関する注意義務違反の認定方法

本件では、被告の薬剤のバイアル及び生理食塩水の保管過程や注射液の混合過程における滅菌消毒処置が不十分であった過失により、患者らが非結核性抗酸菌に感染したことが認められました。過失の内容(どの過程の滅菌消毒処置が不十分であったのか)を限定せず、一定の幅を持たせた点が特徴的であるといえます。
ここで、民事訴訟においては、医療過誤による損害賠償請求をしている患者側が、医療行為に過失(=注意義務違反)があったことを主張立証しなければなりません。しかしながら、医療は専門的かつ特殊な分野であるため、医療について素人で知識がない患者が、具体的な注意義務違反の内容を詳細に主張立証することは困難です。
この点に関して、最高裁は、麻酔注射に際して消毒が不完全であった過失が問題になった事案において、注射器具、施術者の手指あるいは患者の注射部位のいずれについて消毒が不完全であったのかを明示していなくても、「これらの消毒の不完全は、いずれも、診療行為である麻酔注射に際しての過失とするに足るものであり、かつ、医師の診療行為としての特殊性にかんがみれば、具体的にそのいずれの消毒が不完全であったかを確定しなくても、過失の認定事実として不完全とはいえないと解すべきである」と判示し(最判昭和39年7月28日民集18巻6号1241頁)、注意義務違反となる事実が一定の限度で特定されていれば、過失が認められるとしました。このような認定手法は、「概括的認定」と呼ばれています。
本判決でも、被告の過失としては、薬剤のバイアル及び生理食塩水の保管過程や注射液の混合過程における滅菌消毒処置が不十分であったという限度で特定されていれば足りるとの考え方に立ったものと考えられます。内容が専門的であり、資料が医療機関側に偏在していることが多い医療過誤事件につき、患者側の立証負担を軽減したものといえるでしょう。

2 合意書の清算条項の効力

一般に、損害賠償に関する合意において、解決金を定め、被害者がそれ以外の賠償請求権を放棄したときは、被害者は、合意後にそれ以上の損害が生じたとしても、賠償請求できないのが原則です。
しかしながら、合意締結当時に予期していなかった損害についてまで、合意後一切請求できないとするのは、被害者にとって酷です。最高裁も、「全損害を正確に把握し難い状況のもとにおいて、早急に小額の賠償金をもって満足する旨の示談がされた場合においては、示談によって被害者が放棄した損害賠償請求権は、示談当時予想していた損害についてのもののみと解すべきであって、その当時予想できなかった不測の再手術や後遺症がその後発生した場合その損害についてまで、賠償請求権を放棄した趣旨と解するのは、当事者の合理的意思に合致するものとは言えない。」と判示しているところです(最判昭和43年3月15日民集22巻3号587頁)。
本判決も、上記判決の趣旨に沿い、本件合意書を作成した経緯や合意当時の状況を踏まえた上で、当事者の合理的意思を推認し、本件合意書において和解の対象とされたのは、本件診療所への通院期間中に生じた損害のみであり、合意当時具体的に認識できなかった他院での通院等によって生じる損害についてまで賠償請求権を放棄したものではないと判断しました。合意書の形式的な文言にとらわれることなく、当事者の意思に即した判断をしたものといえるでしょう。