1 原審(秋田地裁平成14年3月15日判決)
原審は、「不妊治療は、通常の病気や怪我に対する治療とは異なり、日常生活を送るのに格別の支障のない患者に対して行われるもので、直ちに行うべき緊急性に乏しく、また、生命や健康の維持促進のための治療行為ではなく、妊娠・出産という一定の結果の発生を目的として行われるものである。しかも、不妊治療を受けようとする患者は、不妊治療の意図した結果である妊娠・出産に意識の重点があることが多く、不妊治療が成功しなかった場合に子供が持てないという以上に重大な結果を生ずるおそれがあることについて全く認識していないのが通常であるから、不妊治療を行おうとする医師は、患者が不妊治療を受けるべきかどうかを自らの意思で決定できるようにするため、妊娠・出産が期待できる適切な不妊治療方法や当該不妊治療を行った場合の危険性等について特に十分に患者に説明する義務があるというべきである。」と判示し、本件においては「不妊治療の前記特質に加え、本件では、原告夫婦の不妊の原因は原告にはなく、原告は全くの健康体であったことも考慮すれば、確率が低いとはいえ原告が発症する可能性のある合併症についても、説明義務の対象に含まれるというべきである」として、担当医の説明義務違反を認定、慰謝料300万円を認容した(他の主張は排斥)。これに対し、X、Y双方が控訴した。
2 本判決
本判決は、まず、Xの症状が悪化して大学病院に電話をしたものの担当医らに連絡が取れず、翌日の外来診察日まで待つことを余儀なくされた点につき、経過観察義務違反を認めたが、その時点で入院していればXに脳血栓症又は脳塞栓症が発症しなかった高度の蓋然性があるとは言えないとして、全損害との因果関係は否定した(慰謝料を認定:後述)。
説明義務については、「不妊治療を行おうとする医師には、不妊治療を行った場合の危険性について特に十分に患者に説明する義務があり、とりわけ、患者に重大かつ深刻な結果が生じる危険性が予想される場合には、そのような危険性が実現される確率が低い場合であっても、不妊治療を受けようとする患者にそのような危険性を説明する必要がある。」「そして、このような説明義務は、患者の自己決定のためのものであり、そのような危険性が具体化した場合に適切に対処することまで医師に求めるわけではないから、その危険性が実現される機序や具体的対処法、治療法が不明であってもよく、説明時における医療水準に照らし、ある危険性が具体化した場合に生じる結果についての知見を当該医療機関が有することを期待することが相当と認められれば、説明義務は否定されない」と判示した。
そして、当時の医療水準及び担当医の認識からすれば、担当医がXに対して本件の不妊治療を説明する際に、血栓症又は塞栓症発症の可能性や、血栓症又は塞栓症を発症した場合の症状についてひととおりの説明をする必要があったとして、担当医の説明義務違反を認めた。
損害との因果関係については、仮に説明義務が尽くされていたとすれば、Xが不妊治療を断念していた高度の蓋然性を認めることは出来ないとして全損害(後遺障害など)との間の相当因果関係は否定したものの、自己決定権が侵害されたことによる精神的苦痛、及び担当医らが経過観察を怠ったことによる精神的苦痛に対する慰謝料として、700万円の賠償責任を認めた。