Vol.130 不妊治療における医師の説明義務

~ 排卵誘発剤の副作用である卵巣過剰刺激症候群(OHSS)を発症した事案について、説明義務違反を認定した事例 ~

-仙台高裁秋田支部平成15年8月27日判決(確定)(判例タイムズ1138号191頁)-
協力:「医療問題弁護団」 三枝 恵真弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく 、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

X(当時31歳)及びその夫は、懐胎を望んでYが開設する大学病院を受診、平成4年、排卵誘発剤(hMG及びhCG)を使用した体外受精を受けた。治療に際し、大学病院の担当医は、Xに対し、体外受精は特にそれほど 危険なものではないが、普通の一般的な盲腸炎の手術程度の危険性は認識しておいてほしいと説明した。
Xは受精卵4個を体内に戻され、その6日後に大学病院医師の診察を受けたところ、腹満が増大しており、卵巣過剰刺激症候群(OHSS)(排卵誘発剤の使用に付随して発生する医原性疾患)の診断を受けて、安静と水分摂取の指示を受けて帰宅した。Xは、その3日後に症状が悪化して大学病院に電話をしたが、担当医らに連絡を取ることができず、翌日に予約されていた外来診療を待って受診、同日に大学病院に入院した。入院4日目に左片麻痺が出現し、検査の結果、血栓症または塞栓症による両側内頸動脈の閉塞が確認され、脳外科へ転科して外科的手術を受けるなどしたが、左上肢の機能全廃及び左下肢機能の軽度障害の後遺障害が残存した事案である。
Xは、Yに対し、排卵誘発剤による体外受精の方法を選択した誤り、説明義務違反、OHSSの重症化を予防する注意義務違反、脳血栓症の発症を予防する注意義務違反があったとして損害賠償請求訴訟を提起した。

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判決

1 原審(秋田地裁平成14年3月15日判決)

原審は、「不妊治療は、通常の病気や怪我に対する治療とは異なり、日常生活を送るのに格別の支障のない患者に対して行われるもので、直ちに行うべき緊急性に乏しく、また、生命や健康の維持促進のための治療行為ではなく、妊娠・出産という一定の結果の発生を目的として行われるものである。しかも、不妊治療を受けようとする患者は、不妊治療の意図した結果である妊娠・出産に意識の重点があることが多く、不妊治療が成功しなかった場合に子供が持てないという以上に重大な結果を生ずるおそれがあることについて全く認識していないのが通常であるから、不妊治療を行おうとする医師は、患者が不妊治療を受けるべきかどうかを自らの意思で決定できるようにするため、妊娠・出産が期待できる適切な不妊治療方法や当該不妊治療を行った場合の危険性等について特に十分に患者に説明する義務があるというべきである。」と判示し、本件においては「不妊治療の前記特質に加え、本件では、原告夫婦の不妊の原因は原告にはなく、原告は全くの健康体であったことも考慮すれば、確率が低いとはいえ原告が発症する可能性のある合併症についても、説明義務の対象に含まれるというべきである」として、担当医の説明義務違反を認定、慰謝料300万円を認容した(他の主張は排斥)。これに対し、X、Y双方が控訴した。

2 本判決

本判決は、まず、Xの症状が悪化して大学病院に電話をしたものの担当医らに連絡が取れず、翌日の外来診察日まで待つことを余儀なくされた点につき、経過観察義務違反を認めたが、その時点で入院していればXに脳血栓症又は脳塞栓症が発症しなかった高度の蓋然性があるとは言えないとして、全損害との因果関係は否定した(慰謝料を認定:後述)。
説明義務については、「不妊治療を行おうとする医師には、不妊治療を行った場合の危険性について特に十分に患者に説明する義務があり、とりわけ、患者に重大かつ深刻な結果が生じる危険性が予想される場合には、そのような危険性が実現される確率が低い場合であっても、不妊治療を受けようとする患者にそのような危険性を説明する必要がある。」「そして、このような説明義務は、患者の自己決定のためのものであり、そのような危険性が具体化した場合に適切に対処することまで医師に求めるわけではないから、その危険性が実現される機序や具体的対処法、治療法が不明であってもよく、説明時における医療水準に照らし、ある危険性が具体化した場合に生じる結果についての知見を当該医療機関が有することを期待することが相当と認められれば、説明義務は否定されない」と判示した。
そして、当時の医療水準及び担当医の認識からすれば、担当医がXに対して本件の不妊治療を説明する際に、血栓症又は塞栓症発症の可能性や、血栓症又は塞栓症を発症した場合の症状についてひととおりの説明をする必要があったとして、担当医の説明義務違反を認めた。
損害との因果関係については、仮に説明義務が尽くされていたとすれば、Xが不妊治療を断念していた高度の蓋然性を認めることは出来ないとして全損害(後遺障害など)との間の相当因果関係は否定したものの、自己決定権が侵害されたことによる精神的苦痛、及び担当医らが経過観察を怠ったことによる精神的苦痛に対する慰謝料として、700万円の賠償責任を認めた。

判例に学ぶ

結婚年齢の高齢化に伴い、生殖補助医療(ART )は増加の一途を辿っており、2009年の段階で全出生児数のうち、ARTにより出生した児は約2・5%(約40人に1人)を占めるとされる。
このような不妊治療の増加とともに、トラブル例が増加することも予想されるため、今回は不妊治療において医師の説明義務違反を認定した裁判例を取り上げた。不妊治療にまつわる裁判例は多くはないが、本判決のほかに、不妊治療により品胎の妊娠をした女性が重度のOHSSに罹患し、急性肺水腫を原因とする心不全により死亡した事案につき、不妊治療をした病院の医師の過失は否定したものの、転院先の病院の医師らの容態観察義務違反を認めた裁判例(横浜地裁川崎支部平成16年12月27日判決)等がある。
医療行為を実施する際、医師が患者に対して十分な説明を行った上で患者の同意を得る必要があることは、「インフォームド・コンセント(医師の説明と同意)の法理」として今日確立しており、医師の説明義務の実定法上の根拠は診療契約(民法上の準委任契約)の報告義務に求められている。本判例集においても、様々な治療の種類、場面における説明義務について取り上げてきた。
一般に、予防的医療や美容外科などは、当該医療行為を実施すべき必要性・緊急性が高くないことから、患者の自己決定に対する要請が高まり、説明義務が加重されると考えられている。本判決も、医師の予見可能性を肯定した上、不妊治療の特質を考慮し、副作用・合併症の発症・重篤化の発生確率が低い場合であっても説明義務は否定されないとした点に特徴がある。加えて、患者の自己決定権を保障するための説明義務の場合、その前提とする医療水準は、危険性が具体化した場合に生じる結果についての知見が普及していれば足りるとし、その危険性が実現される機序や具体的対処法、治療法が不明であってもよいと判断しており、治療行為に関する注意義務の前提とされる医療水準と区別した点にも特徴がある。
以上を踏まえると、不妊治療を行うにあたっては、患者の自己決定権を重視し、不妊治療に伴う合併症などに触れるだけでなく、その危険が実現化したときの症状等についても具体的に説明するべき必要があると考える。