1 判断の概要
本判決は、①本患者に対し、本件手術の適応を認めたことについて、本件病院の医師に過失があったとは認められないとしたが、②プルスルー法特有の対麻痺発生に係る危険性、対麻揮の重篤性を考慮すると、患者の同意の有無を確認することなくプルスルー法を採用することは医師の裁量の範囲を超え、不適切であって許されないとして、医師に過失があったとして、Y法人の損害賠償責任を認め、Xらの本件請求を認容した。
2 人工血管置換術の手術適応について
(1)Xらの主張は、胸部下行大動脈瘤については、瘤径60㎜以上の場合に手術適応を肯定するのが医学的コンセンサスであり、瘤径がそれに満たない本件では、検査頻度を高めて慎重な経過観察を行い、60㎜に達したときに速やかに手術で対応すべきであったというものに対して、Y法人の主張は、本件大動脈瘤は手術時点での瘤径及び拡大速度の点から考えて手術適応があったというものである。
(2)裁判所は、本件手術当時、胸部大動脈瘤については、痛径の大きさが手術適応判断の一応の基準であり、対麻揮のリスクを考慮して、最大短径60㎜以上の大動脈瘤に対しては人工血管置換術(外科手術)を行うという見解が一般的であるとしつつ、最大短径55㎜から60㎜で痛みのない胸部大動脈癌については、人工血管置換術の適応を認めるか議論があるものの、相対的に有用性・有効性を支持する意見が多い状況であり、最大短径が60㎜以下でも、半年ないし1年で5㎜の痛径の拡大がある場合には、手術適応を認める見解が一般的であると認定した。
その上で、本件大動脈瘤の瘤径が約55㎜であり、1年で約5㎜の拡大が認められたことからすれば、本件大動脈瘤に人工血管置換術の手術適応を認めたことも、医師の裁量の範囲内というべきであり、過失とは認められない、と判示した。
3 プルスルー法を用いる手術適応について
(1)Xらの主張は、プルスルー法を用いて人工血管に置換した範囲の肋間動脈は再建できないところ、プルスルー法と本件手術当時の標準的な術式(アダムキービッツ動脈を分枝する肋間動脈を同定してそれを再建する)と根本的な術式の違いがあるから、患者の希望がない限り、プルスルー法による手術はできないというものに対して、Y法人の主張は、本件大動脈瘤に対して2回目の手術を行える保証がなかったことからしても、術中の出血によりプルスルー法を選択したことは、過失とはいえないというものである。
(2)裁判所は、まず、本件大動脈瘤の手術の必要性について、本件大動脈瘤がかつて解離を起こしたことや瘤の拡大速度を考慮しても、手術の必要性は議論のあり得るところであり、手術適応が異論なく認められる事例ではなかったとする。続けて、本件手術におけるプルスルー法の危険性について、本件病院の医師としては、本件大動脈瘤に対してプルスルー法を用いた場合には、第八肋間動脈が大動脈から遮断されるおそれがあり、また、第七肋間動脈は大動脈から完全に遮断され、そこからの側副血行路は確実に影響を受けて、対麻揮が発生する危険性が高まると考えるべきであった、と述べる。
さらに、裁判所は、プルスルー法を選択する際の必要条件について、プルスルー法特有の対麻痺発生に係る危険性、対麻痺の重篤性を考慮すると、本件において、肋間動脈を再建するという一般的な術式を採る考え方とプルスルー法という術式を採る考え方との間には、対麻痺の発生原因や治療戦略等について根本的な考え方の違いが存在し、この違いや、本件動脈瘤に対する手術の必要性、肋間動脈を再建しないという点ではプルスルー法と類似するステントグラフト治療については患者の希望を考慮すべきとされていることに照らすと、本件において、プルスルー法を採用するにあたっては、患者の同意の有無を確認する必要があり、患者の同意の有無を確認することなくプルスルー法を採用することは医師の裁量の範囲を超え、不適切であって許されない、と判示する。
そして、本件で、本患者にプルスルー法について説明をされておらず、その同意の有無が確認されたこともないから、本件病院の医師らがプルスルー法を採用することは不適切であり、それにもかかわらず本件大動脈瘤に対してプルスルー法を用いた本件病院の医師らには、その裁量の範囲を超えた過失が認められる、と述べる。