Vol.137 妊娠高血圧症候群患者に求められる血圧等の管理

~ 妊娠高血圧症候群の管理目的で入院した患者がHELLP症候群、子癇により死亡し、帝王切開後の管理が不十分であったとして過失が認められた事例 ~

-名古屋地裁平成21年12月16日判決・名古屋地裁平成19年(ワ)第2969号、判例タイムズ1323号229頁-
協力:「医療問題弁護団」 大森 夏織弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件は、妊娠高血圧症候群(以下「PIH」)の管理目的で入院した患者が、HELLP症候群、子癇を発症した後に死亡し、PIHに対する管理を怠った責任等が問われた事案である。
診療経過は次のとおりである。
早発型PIHと診断され、妊娠高血圧腎症を合併した妊婦が、妊娠30週6日である2006年1月6日に被告病院(病床数500を超える地域の中核病院)に紹介入院。
16日0時10分に帝王切開終了、同日午後以降、収縮期重症高血圧数値が持続傾向も鎮痛剤筋注対処。
17日6時20分に痙攣発作、8時過ぎに医師が診察し血液検査とMRI撮影指示、同日重症HELLP症候群およびDIC発症を診断。
18日に頭部CTで脳出血と脳浮腫確認後に自発呼吸停止、2月13日に死亡。
争点は多岐にわたるが、本稿との関連では①死亡機序、②帝王切開後の管理の適否、③因果関係の各争点に対する判断を紹介する。

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判決

①につき、早発型PIHが1月6日の入院以降悪化、HELLP症候群の前段階である パーシャル(partial)HELLP症候群発症、帝王切開による一定の小康状態を経て、16日中にはHELLP症候群に移行するとともに、子癇、DICを併発して死亡したと認定し、被告による、帝王切開後の17日にHELLP症候群を突如発症した、との主張を退けた。
②につき、PIHおよびHELLP症候群は妊娠終了により確実に全身状態が改善するとは限らず、帝王切開後2日程度は、血圧・脈拍・尿蛋白・一般血液検査・生化学検査等の経時的測定を行い、必要に応じて降圧剤を投与する、といった厳重な管理を継続すべきであったとし、重度の早発型PIHであった患者は、帝王切開後も16日午後以降の重症基準を満たす収縮期高血圧持続により、HELLP症候群や子癇といった重篤な合併症の生じるリスクが存在し、血液検査を実施すべきところ検査を怠ったと認定、また、分娩後における降圧剤は重症PIHの基準を満たす血圧を示したとき(160/110㎜Hg 以上)が投与する目安であるとして、16日14時に178/108㎜Hg 、15時に160/8 0㎜Hg 、15時30分に164/98㎜Hg 、19時30分に178/110㎜Hg との血圧推移において、その間鎮痛剤ペンタジン投与を優先させていたことに過誤はない、という被告の主張を排斥し、遅くとも19時30分には投薬治療を開始すべきだったと認定した。
③につき、帝王切開後、遅くとも16日19時30分までに降圧剤を投与していればPIHのさらなる重症化とHELLP症候群の発症を防止できた可能性がそもそも高く、さらにHELLP症候群を発症したとしても子癇発作までの間に診断がなされていれば同病態の管理が行えたはずであったとして、帝王切開後の管理懈怠と死亡の間に因果関係を認定した。

判例に学ぶ

本事案では、診療経過そのもの、死亡までの医学的機序、各段階での過失、過失と死亡の因果関係など多くの争点があったものの、本稿では、前記の①ないし③の争点に関連し、PIHのリスク管理に関する教訓を述べる。

1 PIHにおける血圧監視と降圧治療の重要性

本事案は、2006年1月発生である。その前年に妊娠中毒症からPIHへと名称変更され、病態の定義や管理基準などが関連学会から提示されていた。
本事案発生時点の医学的知見として、PIHの重症化による子癇やHELLP症候群、脳出血等の合併が、妊産婦の主要な死亡原因の一つとされるとともに、血圧監視や必要な諸検査と治療の実施による合併症発症予防の必要性や、臨床症状に対する正確な病態鑑別の必要性は、古くは1980年代からの厚生省(当時)研究や諸処の学会誌やガイドラインを含む医学文献で一貫して指摘され、いずれも周知されていた。
なお、本事案の患者はPIHのみならず、妊娠高血圧腎症も発症していた。日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会の編集・監修にかかる『産婦人科診療ガイドライン』2008年版、同2011年版で、いずれも同病態について取り扱いガイドラインが記載され、さらに2014年版では、腎症合併のないPIHについても一定の取り扱いが記載されるようになった。
本判決では、本事案発生当時の降圧治療のスタンダードとして「分娩後の降圧剤の投与について、重症PIHの基準を満たす血圧を示したとき(160/110㎜Hg 以上)が投与する目安といえる。また、分娩後においては、胎児への影響を考慮する必要がなくなるため、140/90㎜Hg 以下あるいは妊娠初期のレベルまで降圧すべきとの見解もあるが、少なくとも140〜150/90〜100㎜Hg 目標とすべき」と認定するなど、とりわけ産褥期においては、少なくとも収縮期ないし拡張期において重症PIH数値の持続に対し積極的降圧治療が必要とされる、ということを明確に指摘する。
関連する判例として、PIHに合併した脳出血による半身麻痺後遺症発症に対し血圧監視と降圧剤投与の懈怠責任を認めた東京高裁平成13年1月31日判決(判例タイムズ1071号221頁)等があり、この東京高裁判決は、2003年の日本妊娠中毒症学会(現在は日本妊娠高血圧学会)で医療界に発表され、学会誌上報告では「こうした不慮防止のために分娩時並びに産褥早期の高血圧診断の位置づけを疎かにしてはならない」と指摘されている。

2 PIHの合併症に対する早期診断と診療科連携の重要性

さらに前記の研究成果と知見の共有に加え、本事案発生後ではあるが、2006年8月発生のいわゆる奈良県大淀病院事件、2008年10月発生の東京都立墨東病院事件を経て、妊産婦のPIH合併症に対する早期診断と治療の重要性における、産婦人科と脳神経外科等他科の連携、地域医療機関の連携など母体救命体制整備に向けた関連諸学会の提言と努力については、報道によって私たち一般市民にも記憶に新しいところである。
このような医療界の努力に鑑みても、本事案はじめ、高度医療機関の入院管理下における妊産婦が、血圧コントロールなど基本的な管理の懈怠により、PIHの重症合併症を発症させたり増悪させたりして当該患者の死亡や重度後遺症をきたす実例は、極めて残念なことであろう。
筆者もこのような案件を取り扱っているが、各医療機関、各医療従事者の基本的な知見の実践により、一人でも多くの妊産婦の死亡や重度障害残存を減らすことが、より一層求められよう。