Vol.141 医師の検査結果の誤報告による自己決定権侵害

~ 羊水検査結果の誤報告によるダウン症児の出生・死亡につき、検査を依頼した夫婦の家族設計の機会が奪われたとして、慰謝料請求が認容された事例~

-函館地裁平成26年6月5日判決(判例時報2227号104頁)-
協力:「医療問題弁護団」 工藤 杏平弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

(1)原告X1、X2は、亡くなったダウン症児Aの父母である。被告法人は、Bクリニック(以下「被告診療所」という)を開設しており、被告Yは、理事長かつ被告診療所の院長を務める産婦人科医である。
(2) 原告X2は、2011年3月15日(以下明記しない限り同年)、エコー検査の結果、胎児の首の後ろに膨らみがあることを指摘され、当時41歳と高齢出産となることも考慮して、被告診療所において羊水検査を受けた。
羊水検査の報告書の分析所見には「染色体異常が認められました。また、9番染色体に逆位を検出しました。これは表現型とは無関係な正常変異と考えます」と記載され、本来2本しか存在しない21番染色体が3本存在し、胎児がダウン症児であることを示す分析図が添付されていた。しかし、被告Yは、5月9日、上記報告書の内容を見誤り、原告X2に対し、羊水検査の結果はダウン症に関して陰性である旨、また、9番染色体は逆位を検出したが、これは正常変異といって丸顔・角顔といった個人差の特徴の範囲である旨告げた。この時点で、原告X2は、妊娠20週目であった(人工妊娠中絶が可能な時期は妊娠22週目まで)。
(3)原告X2は、9月1日の検診の際、胎児が弱っている、という理由から他病院での出産を勧められ、同日、C病院に救急搬送され、同病院においてAを出産した。Aは、出生時、自力排便もできない状態であったため、医師がカルテ情報を確認したところ、Aがダウン症児であることを示す検査結果が見つかり、原告らに同事実が伝えられた。
Aは、ダウン症の新生児期にみられる一過性骨髄異常増殖症(以下「TAM」という)を合併し、他院へと転院し、その後、TAMに伴って播種性血管内凝固症候群を併発するなどし、12月16日、TAMを背景とした肝線維症の発症等を直接の原因として死亡した。
(4) そこで、原告らは、検査結果報告に誤りがあったために中絶の機会を奪われてダウン症児を出産し、ついにはダウン症に伴う様々な疾患を原因として死亡するに至ったと主張し、訴訟を提起した。

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判決

裁判所は、以下の二つの争点について判断 した。

争点1  因果関係について

ア 誤報告と出生との間の因果関係について(否定)

判決では、羊水検査の目的(胎児の染色体異常の有無等を確定的に判断すること)からして、羊水検査の結果、胎児に染色体異常があると判断された場合には、人工妊娠中絶許容要件を弾力的に解釈することなどにより、中絶が行われている社会的な実態があることを認めつつ、しかしながら、中絶を行うか否かは、親となるべき者の社会的・経済的環境、家族の状況、家族計画等の諸般の事情を前提とした、極めて高度に個人的な事情や価値観を踏まえた決断に関わるものであり、上記の社会的実態から当然に羊水検査結果の誤報告との出生との間の因果関係の存在を肯定することはできないとした。

イ 誤報告による出生と死亡との間の因果関係について(否定)
ダウン症及びその合併症の発症原因そのものは、羊水検査結果の誤報告によりもたらされたわけではなく、また、ダウン症を有する者のうちTAMを発症するのは、全体の約10パーセントであり、早期死亡はそのうちの約20ないし30パーセントであること等の各事実からすれば、ダウン症児が合併症を発症して早期に死亡する者はごく一部であり、被告らの注意義務違反行為とAの死亡との間に因果関係を認めることはできないとした。

争点2 損害額について


ア 原告X2の入通院慰謝料 (否定)
上記の因果関係の判断(否定)を前提に、損害を否定した。

イ 原告らの選択や準備の機会を奪われたことなどによる慰謝料 (肯定)

原告らは、先天性異常の有無を主目的として羊水検査を受けたのであり、生まれてくる子どもが健常児であるかどうかは、今後の家族設計をする上で最大の関心事である。また、検査結果を正確に告知していれば、原告らは、中絶を選択するか、中絶しないことを選択した場合には、出生に対する心の準備やその養育環境の準備などもできたはずである。原告らは、被告Yの誤報告により、このような機会を奪われたといえる。加えて、我が子として生を受けたAが重篤な症状に苦しみ、遂には死亡するという事実経過に向き合うことを余儀なくされたこと等が認められ、その精神的衝撃は非常に大きなものであったと考えられるとして原告らの請求を認容した。

判例に学ぶ

1 被告の注意義務違反

医師は、医療に関する専門家として診療契約上または不法行為上の注意義務を患者に対して負っています。そして、本件の産婦人科医師Yも同様の義務を負い、具体的内容としては、ダウン症候群(ダウン症)の危険性の有無等を的確に診断する義務、危険性等について十分な説明を行い情報提供する義務、出産後に生ずる症状に適切に対処する義務などがあったものといえます。
本件では、原告X2がエコー検査の結果、胎児の首の後ろに膨らみのあることを指摘され、胎児の先天性異常に関する出生前診断の説明を受け、羊水検査を受けることとしたことからも、Yには、X1とX2に羊水検査の正確な結果報告義務があったものといえます。しかしながら、Yは、5月9日、内容を見誤り、ダウン症に関して陰性である旨、また、9番染色体は逆位を検出したがこれは正常変異といって丸顔、角顔といった個人差の特徴の範囲であるから何も心配はいらない旨告げるなどの誤報告をしてしまいました。
この誤報告に係る過失は、初歩的かつ基本的な事項に関するもので、極めて重大であったといえます。

2 誤報告による原告らの自己決定権の侵害について

本件では、原告らの人工妊娠中絶をするかしないかの選択や異常児の出産に対する諸々の準備の機会を奪われたことによる慰謝料が肯定されました。他方で、「誤報告と出生との間の因果関係」及び「誤報告による出生とダウン症に起因した疾患による死亡との間の因果関係」は否定されました。しかし、原告らは、羊水検査結果の誤報告により、そもそも人工妊娠中絶の必要性を検討することが出来ておらず、本来享受することのできる人工妊娠中絶をするかしないかの自己決定権を行使する機会そのものを奪われています。その結果、正常児が出生すると期待していたにもかかわらず、ダウン症児を出産したものとも考えられますので、人工妊娠中絶が行われている社会的実態の有無にかかわらず、羊水検査結果の誤報告とAの出生との間に因果関係がある、という結論もあり得たものと考えられます。

3 今後の展開について

医療現場からは「羊水検査で胎児の異常がすべて判るものではない」「胎児の障害を理由とする中絶は現行の母体保護法の明文上は認められていないことから、妊娠中絶を選択肢とすることには問題がある」などの指摘があり、今後さらなる議論が必要な分野と思われます。ただし、本件のように、初歩的かつ基本的な事項に関する事項に過失がある場合、法的責任を問われる可能性が高いことは常に念頭に置いておく必要があるでしょう。