Vol.145 髄膜腫摘出手術における術者の裁量の範囲

―内頸動脈付近まで腫瘍を摘出しようとして出血し、重篤な後遺障害が残った場合に、腫瘍の摘出範囲についての過失、安全性確認の方策についての過失、説明義務違反が問題となった事例―

-神戸地方裁判所平成19年8月31日判決判例時報2015号104頁-
協力「医療問題弁護団」 笹川 麻利恵弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者A( 59歳・女性)は、1998年4月頃から頭痛やめまいの症状が生じ、5月頃に歩行障害が顕著となった。5月27日にX病院の内科を受診し、CT上、右前頭葉に腫瘍病変(右前頭葉に直径約6センチメートルの腫瘍とその周囲の浮腫)が認められ、脳神経外科を紹介された。
5月29日、Aは脳神経外科で診察を受け、蝶形骨縁髄膜腫の疑いで入院となった。Aの意識は清明であり、見当識障害や発語障害はなかった。午後のカンファレンスにおいて、同日のうちに手術が行われることが決定された。AはMRI検査、脳血管造影等の各種検査を受けた。
術前の説明では、Aの右前頭葉に巨大な脳腫瘍(良性)が存在し、切迫テント切痕ヘルニアの状態となっていること、放置すると脳ヘルニアを来し生命の危険があること、開頭による腫瘍摘出術を行うが腫瘍の一部が残った場合には再発することが多いこと、手術の危険として腫瘍が血管を巻き込んでいることから術中に損傷する恐れがあること、損傷が起こると麻痺や意識障害などが生じる可能性があること、手術には生命の危険もありうること等が説明された。なお、Aは手術説明書や同意書などに署名押印することはなかった。Aは午後5時半頃、脳血管造影検査を受け、午後8時、手術室へ向かった。術中、腫瘍を内頸動脈から剥離する作業の途中で内頸動脈の内側部から出血が生じたため、出血部の前後で血流を遮断して止血した。また、末梢側の内頸動脈及び前大脳動脈の周囲は強く癒着し摘出困難であり、摘出は断念された。
術後麻酔覚醒不良等あり、頭部CT撮影がなされ、中大脳動脈領域は全体として低吸収域だった。Aには失語症による言語機能喪失及び左片麻痺による左上下肢機能全廃の後遺障害が残った。
Aが原告となり、内頸動脈付近まで手術を行った過失、腫瘍摘出に際して安全性確保の方策をとらなかった過失、説明義務違反などを主張して、不法行為又は債務不履行に基づき、損害賠償を求めた事例である。


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判決

1.内頸動脈付近まで手術を行った過失について
腫瘍の摘出範囲については、術者が手術を行い、実際にこれを進めていく過程において得られる情報をもとに、決するべきであると考えられるが、術者の裁量の範囲については、合理的な範囲内に限られるとの考え方が前提として示された。そのうえで、本件では、術者は視神経周辺の腫瘍を残置させるという選択をしたことから、内頸動脈周囲の腫瘍までも除去する必要性が高かったとはいえないこと、同部位は除去が容易ではない部位であり、位置関係の正確な把握と、くも膜に沿った形の剥離が必要であり、操作を誤った場合の危険性が高いこと(しかも、側副血行路の確認がなされておらず、その危険は一般以上に高かった可能性があること)、代替的手段(ガンマナイフ治療及び二次的手術を代替的手段として認めた)もあったこと、明確なくも膜を確認することのないまま比較的硬かった腫瘍に対して操作を加えたこと等の事情を総合し、裁量の範囲を超えて、操作をするべきではなかった部位についても操作を加えた過失が認められると判示した。

2.腫瘍摘出に際して安全性確保の方策をとらなかった過失について
内頸動脈が腫瘍に取り囲まれている場合には、手術中の内頸動脈からの不慮の出血を考慮して、脳血管撮影時に、側副血行路の状態を確認する必要があった(そして、そのための方策のすべてが危険性を伴うとはいえず、安全で有用な危険性が存在した)と認めた。

3.手術順序を誤った過失について
腫瘍摘出術においては、腫瘍の場所、大きさ、癒着の有無ないし程度などの条件によっては、手術における手順も異なり得る等として、過失を認めなかった。

4.説明義務違反の過失について
医師は、術中の状況に応じて、適宜合理的判断を加えた上で、その手技の選択を行うものであると考えられるが、当該手術の重要部分であって、術中に選択を行うことが術前に強く想定される範囲については、その選択可能性等を説明する義務があると判示した。
そして、本件では、摘出範囲等の決定を最終的には術者が行うことを説明した上で、全摘出をしないで部分摘出に至るのはどのような場合か、部分摘出にとどまった場合には後にいかなる治療方法があるのか、その治療方法の有効性及び危険性について説明する義務があったとして、説明義務違反を認めた。

5.因果関係について
1の過失については損害との因果関係を認めたものの、2と4の過失については因果関係を否定した。
2(安全性確保の方策をとらなかった過失)については、Aの症状の直接の原因が内頸動脈の圧迫なのか出血なのか不明とし、安全性確保の方策をとっていたとしても本件出血を回避できたとはいえないとした。4(説明義務違反)については、説明したとしてもAが内頸動脈周囲の腫瘍については手を付けない ように術者に申し出たとは認められないとした。



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判例に学ぶ

1. 手術は、術中の状況に応じて、術者の経験や技量も踏まえ、術者の高度な判断によってなされるべきであるのは当然です。もっとも術者の裁量は無制限ではなく、「合理的な範囲」に限られます。この裁判例は術者の裁量が「合理的な範囲」を超えるか否かについての判断要素を抽出し、詳細に検討しています。

2. 髄膜腫は外科的摘出度が術後再発率、生存率に大きく関与するとされるために全摘出を目指すものであるとされます。裁判所は摘出度と再発率に関する医学的知見についても検討しています。そのうえで、裁 判所は、術中の具体的状況を踏まえ、術者の裁量が合理的範囲を超えていたと認定しました。なお、この裁判では術者である医師の証言が得られず、術者が認識していた情報とそれに基づく判断が明らかとならず、仮定的に認識内容を場合分けした判断がなされています。医師の証言があれば結論は変わり得たかもしれません。

3. 医療の現場では、危険を冒しても達成する利益がある場面が少なくないだろうと思います。裁判例の結論については意見が分かれ得ると思いますが、判断が難しい場面に術中に遭遇するとき又は遭遇が予想されるときに、前述の判決1で検討されたような必要性、危険性、代替的手段等のファクターの抽出と評価は、リスクとベネフィットをバランスよく考慮するうえで参考になると言えるでしょう。

4. この裁判例は術中の選択可能性に関する説明義務についても踏み込んだ判断をしています。もっとも、説明義務違反と結果との因果関係は否定していますので、その点の責任は問われていません。
実際にも、術者の高度な判断に委ねられる部分について適切な説明をした際に、患者がストップを出すだろう場面は限定的でしょう。高度な判断であるほど医師に委ねることになるのが現実のように思います。とはいえ、患者にとっては重要な自己決定の対象となる事柄ですし、「その点は術者に委ねる」というのもひとつの意思決定です。選択可能性等についての十分な説明をなすことが、後の紛争を防ぐためにも重要となるのではないでしょうか。