Vol.149 合併症を伴う疾患を有する患者の診察時に医師に求められる検査義務

―結節性硬化症に罹患した患者が、脳腫瘍を疑われる症状を訴えていた場合、CTやMRIなどの検査を行わなかったことについて過失が認められた事例―

東京地裁平成22年3月4日判決・判タ1356号200頁
協力「医療問題弁護団」藤井 建徳弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

1997年6月4日、生後3ヶ月の患者Xは、げっぷをする際に眼球上転しながらけいれんするなどの症状で親権者と共にY病院を受診した。XはY病院で頭部MRI検査や脳波検査を受け、同年10月2日に結節性硬化症・ウエスト症候群との診断を受けた。Xはその後も継続して定期的にY病院で診察を受けていた。
2005年(以後注記なき場合は同年)1月8日、X(当時7歳)が「左足が震える」などの症状を訴えてY病院を受診し、その一週間後にも「歩いていて左足に傾く傾向があるような感じがする」「座るときも左足をかばうような感じがする」などの症状を訴え、Y病院を受診した。1月27日には上記左足の症状に加え「昨日朝より嘔吐があり、昨日2回、本日1回の嘔吐があった」などの訴えがあり、1月29日にも同様の嘔吐の症状が訴えられていた。
この日、Y病院の担当医はXを診察し、Xの意識が清明であること、心臓や肺、腸音が正常であること、胸部レントゲン検査では問題がないこと、腹部レントゲン検査では、小腸拡張は見られないことなどを確認し、Xに点滴を投与したうえでXを帰宅させた。この日、Xはけいれんが5分間続き、四肢に力が入らないなどの症状が見られていた。
1月30日になり、Xの母親が朝Xを見つけると、Xはだらんとしており、四肢に力が入らない状態だったのでXをY病院へ連れて行った。
XがY病院においてCT検査を受けたところ、脳室上衣腫が第3脳室を圧迫して水頭症になっている状態であり、対光反射が見られず、痛みの刺激にも反応しなかった。
2月2日にXに対して行われた頭部MRI検査では、Xの右側脳室内モンロー孔に60×55× 39㎜の腫瘍が発見された。1月30日以降の手術により腫瘍は摘出されたが、Xには回復困難な高次脳機能障害などの後遺障害が残り、四肢麻痺、失認、失語、両眼失明の状態で寝たきりの状態となった。
以上の事実経過から、XおよびXの親権者が、担当医には1月8日から1月29日までの間に、Xの状態やXの母親の訴えなどから脳腫瘍の存在を疑い、CTやMRI撮影をし、ドレナージなどの適切な治療を行う義務があるのにそれを怠った過失があるなどと主張し、Y病院に対し損害賠償の支払いを求めた。

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判決

争点
脳腫瘍の存在を疑い、CTやMRIを撮影するなどしてドレナージ術などの適切な治療を行う義務を怠った過失について


(1) 脳腫瘍の存在時期
Xには2月2日に60× 55× 39㎜の大きさの腫瘍があることが確認されているが、少なくとも1月29日の時点では、これと同程度の大きさの脳腫瘍が存在しており、水頭症も発症している状態であったと認められる。

(2) 結節性硬化症について
Xは生後間もなくY病院において結節性硬化症であると診断されている。そして結節性硬化症の患者の中には、10歳前後に脳腫瘍が見つかることが多く、その割合は一番低い文献で約5〜10%、一番高い文献で7〜23%である。
このように結節性硬化症の患者で脳腫瘍が発生する割合は決して低いものとはいえず、結節性硬化症の患者を診察するにあたっては、脳腫瘍の存在の可能性も念頭に入れた上で診察をすべきであり、特に脳腫瘍の存在を疑うべき訴えや症状がみられた場合には、より慎重に診察すべきであるといえる。

(3) 歩行に関する訴え
Xについて、Xの親権者は1月8日から1月27日まで「左足が震える」「歩いていて左足に傾く傾向がある」「座るときも左足をかばうような感じがする」「左足を引きずるような感じがする」などと訴えており、Xは実際に1月時点で、歩行に支障が生じるようになっていたものと認められる。
そして、水頭症の症状としては歩行障害、運動麻痺、歩行変化などが認められ、Xについての歩行に関する訴えは、これら脳腫瘍に伴う症状とよく整合する。

(4) 嘔吐に関する訴え
Xについては、2004年末ころから反復して嘔吐がみられ、特に1月26日からは4日間連続して嘔吐がみられている。
そして、水頭症の症状として嘔吐が認められ、頭蓋内圧亢進症状としても嘔吐が認められるため、Xが嘔吐するという訴えは、これら脳腫瘍に伴う症状とよく整合する。

(5) 排尿排便障害や体重減少、性格変化などについて
その他、Xに見られた排尿、排便障害や体重が減少していること、性格に変化があったことなどは、少なくともXに従前みられていた症候性てんかん以外の新たな病変を示唆する所見の一つであるといえる。

(6) 結論
以上からすれば、上記の他に脳腫瘍の存在の可能性を除外するに足る所見がない本件では、遅くとも1月29日には、脳腫瘍の存在を疑い、頭部CT検査やMRI検査を行う義務があったというべきである。

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判例に学ぶ

一般的に医療過誤事件は、手技のミスなどを過失として構成する作為型のものと、医療水準に沿った適切な治療行為を行わなかったことを過失として構成する不作為型のものがある。本件事案は後者の事案として位置づけられるが、医療過誤事件ではこのようなケースが少なくない。
本件では、①Xが生後間もなくY病院において結節性硬化症であると診断され、それ以後XがY病院医師の診察を受けていた こと、②結節性硬化症の患者は10歳前後に脳腫瘍を発症する確率が比較的高いこと(裁判における証拠によれば一番確率が低い文献でも約5〜10%とされている)、③X側からは「左足が震える」など歩行に支障が生じている訴えや、嘔吐が繰り返されるといった訴えがなされており、これらの症状が脳腫瘍に伴う症状とよく整合していることを主たる理由として、Y病院の担当医師には少なくとも1月29日までにCTやMRIなどの検査を行う義務があったとして、かかる検査を行わなかったことについて過失を認めた。
裁判所は、上記①〜③の事情がある本件では「脳腫瘍の存在の可能性を除外するに足る所見が見られるなど特段の事情がない限り」脳腫瘍を疑い、検査をする義務があると判断している。
Y病院側からは、「脳腫瘍の存在を疑う一般的な症状である頭痛という症状をXが訴えていなかった」こと、「Xに腱反射異常が認められておらず歩行障害が脳腫瘍による局所症状と疑うことはできなかった」ことなどの主張がなされているが、裁判所は、これについては脳腫瘍の存在の可能性を除外するに足りる所見とはいえないと判断した。
本件では、歩行障害や嘔吐などの訴えが家族や本人からあったことに加え、結節性硬化症の特徴として相応の確率で脳腫瘍が出現するという事実が脳腫瘍についての検査義務の肯定という判断に影響を与えたと考えられる。
このように相応の確率で合併症が発症する(本件でいえば医学文献レベルで5〜10%ないし7〜23%)疾患の治療にあたっては、患者の自覚症状を丁寧に聞き取り、合併症発症の可能性を念頭において治療にあたるべきであろう。その合併症が本件のような重篤な後遺障害を残したり、生命を脅かしたりする重大なものであればなおさらである。
そのような行為規範を医師に与えたという意味で医療事故紛争の予防という観点からも参考となる判例である。