Vol.148 がん患者に対して新免疫療法を行う際の説明義務の範囲

―がん患者に対して標準的治療とは異なる治療を行う際に、医師が説明義務を怠ったとして、自己決定権侵害についての慰謝料請求が認められた事例―

-東京地方裁判所平成24年7月26日判例タイムズ1395号246頁-
協力「医療問題弁護団」佐藤 光子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者は2003年3月、X病院で初期の食道がんと診断され内視鏡的粘膜切除術の治療の適応があると告げられたが、Y大学病院で内視鏡、CTなどの検査を受けた結果、がんの範囲が広く、内視鏡的粘膜切除術の治療の適応はなく、外科的手術であれば適応があること、放射線と抗がん剤治療の併用も可能であることなどの説明を受けた。しかし、患者は、免疫学を専門とする被告の開設するZクリニックを受診し、新免疫療法による治療を希望した。この際、被告は、標準的治療法との併用を勧めたが、患者は新免疫療法単独での治療を希望した。被告は、新免疫療法単独でしばらく経過を観察し、がんの進行が 認められれば標準的治療法との併用に切り替え、経過が良好であれば内視鏡手術の適応などを判断すると患者に説明した。患者は、新免疫療法の治療を継続していたが、翌年の検査で、ボールマンⅠ型病変に変化した腫瘍が認められ、X病院の担当医から標準的治療が提案されたが拒否した。さらに被告から診察を受けるように指示されたA大学病院の教授からも、外科的手術を受けるなら最後の機会であることを説明されたが、患者は手術を拒否した。その後、患者はY大学病院で放射 線治療と抗がん剤治療を受けたが、がんが進行し、死亡した。患者の相続人である原告は、新免疫療法には被告が公表するような治療効果はなく、一般的な治療法との併用の必要性などを説明しなかった被告には説明義務違反があるとし、損害賠償を請求した。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR'S MAGAZINEで毎月連載中

判決

1.新免疫療法についての説明義務違反について
判決は、未確立の治療法については、医学的に確立され一般に承認された治療方法とは異なり、当該治療方法によった場合の治療効果や治療に伴う危険などについて、医師は患者に対し、①患者の現在の状態の他に、②当該治療方法の具体的な内容及びその理論的根拠、③当該治療の長所及び短所、④当該治療を行った場合の過去の治療成績、⑤当該治療法を行った場合に予測される予後の見通しについて、可能な範囲で具体的な事前説明を行うべきであるとした。また、本件では、新免疫療法単独でしばらく治療することになったのであるから、患者の自己決定に必要な情報としては、新免疫療法単独での治療をした場合の治療効果を可能な限りで具体的に説明すべき義務があり、標準的な治療方法との併用を前提とした治療効果の説明のみを行ったとしても不十分とした。
すなわち、被告は、その当時、食道がんについて標準的な治療方法をやりつくした患者以外に新免疫療法単独で治療した経験はなく、したがって、その治療効果について、被告において証明可能なデータを十分に有しておらず、食道がんについて、新免疫療法単独で根治するとは考えていなかったのであるから、これらの事実を患者に説明すべきであったとした。確かに、被告は患者に放射線治療などの標準的な治療方法と新免疫療法の併用を提案し、がんの進行についても内視鏡やCT検査の受診によって経過観察が必要であること、がんの進行のあった場合には、標準的な治療方法との併用と切り替えることを説明していることから、新免疫療法単独での治療の危険性について、黙示的には患者に説明している。しかし、黙示的な説明がなされているからと言って前期の明示的な説明が不要とされるものではないとした。

2.病状の経過観察における説明義務違反について
判決は、被告は、新免疫療法を他の標準的な治療方法と併用せずに行う患者については、がんの病態を正確に把握できる検査方法である内視鏡検査、CT検査などによって経過観察を行う必要があり、これらの検査の必要性、検査内容を説明の上、検査可能な施設を紹介する義務があったとした。被告は、2003年8月以降の診療時において患者に具体的な指示をしたことはなく、診療情報提供書の作成も行っていないが、画像検査の必要性や検査内容については、ひととおり初診時に説明しており、検査の必要性や内容の概略自体は、患者において認識できたといえるとした。また、被告が診療情報提供書を作成して、より受診しやすくするよう配慮しなかった点が、診療行為上の義務に違反するとまではいえないと判示した。

3.説明義務違反と死亡との因果関係
判決は、患者は外科的手術について強い拒絶の意向を有していたと考えられ、放射線と抗がん剤の併用についても相当消極的であったと認定した上で、新免疫療法単独での治療が標準的な治療と併用する場合に比べ治療効果が不十分となる危険性は、患者も認識していたと考えられること、患者は新免疫療法により腫瘍の縮小がみられた段階で内視鏡下での手術を期待していたのであり、新免疫療法単独でのがんの根治を目指していたものではないことを合わせて考慮すると、被告から新免疫療法の具体的な十分な説明を受けていても、標準的な治療を受けたものとまで認定することはできないとし、死亡との因果関係を否定した。

4.損害
判決では、説明義務違反により侵害された利益は、がんの治療方法の選択にあたって新免疫療法を単独で行う場合のがんの進行の危険性について十分な説明がなされなかったことに係る治療選択における自己決定権にとどまり、慰謝料支払義務は100万円を相当とした。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR'S MAGAZINEで毎月連載中

判例に学ぶ

本件は、がんの標準的治療ではない新免疫療法単独で治療を行う場合の説明義務の範囲が問われたケースである。
本件で、被告の提示したパンフレットには、臨床成績において、他の治療との併用によるものが含まれていることが明記されており、被告は患者に標準的治療方法との併用を勧め、患者の併用拒否の後も免疫療法単独での治療後、がんの進行が見られれば標準的療法との併用に切り替えることを説明し、さらに新免疫療法によって腫瘍の縮小が認められた段階で内視鏡下の手術を行うことを期待し、そもそも新免疫療法単独でがんの根治を目指していたものでないことも患者に説明している。その意味では、新免疫療法単独での治療が標準的療法との併用の場合に比して効果が少ないという新免疫療法単独での治療の危険性について全く示されていない、という事案とは異なる。
しかし、判決は、このような説明では、新免疫療法単独での危険性の説明は黙示的にしか示されておらず不十分とし、説明義務の内容について厳格な立場を示した。そして、具体的に説明するとは、被告のように新免疫療法単独での治療実績につき、説明可能な十分なデータを持たない場合は、十分なデータがないことを患者に明示し、特に新免疫療法単独で根治が認められない場合はそれも明示して説明しなければならないとし、明確な説明を求めている。
この判断は厳しいように思えるかもしれないが、患者が、標準的治療に比べ身体的な侵襲が少ないという理由で希望観測的に新免疫治療に効果を求め、その効果を正確に理解せず、標準的治療のタイミングを逃すことの無いように、自己決定権を正確に行使させるためには妥当なものといえよう。標準的治療以外で単独の治療を行う場合は、このような危険性の説明の範囲については留意すべきであろう。