1 争点
主な争点は、(1)網膜剥離を発症するに至った機序、(2)過失の有無(レーザー光凝固治療・硝子体手術を行うべき注意義務違反、転送義務違反)、(3)注意義務違反と結果との因果関係、(4)相当程度の可能性の侵害であるが、本稿では転送義務違反に関する(3)及び(4)について検討する。
2 注意義務違反と結果の因果関係
「原告の右眼の視力低下の大きな原因は、BRVOの進行による網膜剥離であるといえるが、最終的に光覚なしとなった原因としては、術後の眼圧上昇等の他の原因が影響を与えた可能性も否定できない」
「6月22日の時点で、B医師(筆者注:被告医院の医師)が、硝子体手術等を実施できる医療機関に対して転送をしていた場合には、本件手術が行われた8月3日よりもある程度早い段階で硝子体手術が行われた可能性が高い。しかし、6月22日の時点で網膜剥離が既に生じていたかどうかは不明であり、8月3日よりも早い段階で硝子体手術が行われたとしても、その際の網膜の状態がどのような状態であったかも確定できないのであり、術後の網膜の状態が良好であったとは必ずしもいえない。これに加えて(中略)、最終的に視力が喪失した原因については、眼圧の上昇など他の原因も寄与していることからすれば、6月22日の時点で転送していたとしても、原告の右眼を失明しなかった高度の蓋然性があるということはできず、転送義務違反と右眼の失明について因果関係を認めることはできない。」
3 相当程度の可能性
一眼の失明は、重大な後遺症に該当するとした上で、「医師は、適切な検査、治療を受けていれば生命健康を維持することができる相当程度の可能性がある患者に対して、その治療等を実施することによりその可能性を保護する義務を負っているものということができるから、適切な治療等を怠って前記可能性を侵害した場合には、医師に不法行為責任又は債務不履行責任が生じるというべきである。」
「B医師が、6月22日に、原告を適切な医療機関に対して転送していれば、早期に網膜剥離の有無についての検査が行われ、8月3日よりも早い時期に硝子体手術が行われたものと推認できる。そして、疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり(最高裁平成14年(受)第1937号同16年1月15日第一小法廷判決・民集213号229頁参照)、本件において(中略)、6月22日に、原告を適切な医療機関に対して転送していれば、原告が右眼を失明しなかった相当程度の可能性を認めるのが合理的である。」
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判例に学ぶ
ある時点における医師の不作為(注意義務違反)と結果との因果関係が認められない場合であっても、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わず、当該患者に死亡あるいは後遺障害が発生した時点においてなお生存していたあるいは重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときには、逸失利益等は認められないが、患者がその可能性を侵害されたことによる慰謝料が認められる。(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁、最高裁平成14年(受)第1257号同15年11月11日第三小法廷判決・民集57巻10号1466頁参照)
本件では、一眼の失明が重大な後遺症に当たると認定した上で、硝子体出血が増強して眼底の透見が悪くなっており、視神経乳頭がぼんやり透見できたような状態にあった6月22日時点において、被告医院の転送義務を認めたが、転送義務違反と結果との因果関係を否定し、原告が右眼を失明しなかった相当程度の可能性のみを認めた。
相当程度の可能性があったことの立証責任は、通常原告が負う。しかし、本件では、「被告において、適切な医療機関に転送していても治療が奏功しなかったことを窺わせる特段の事情を主張立証」すべきとした。
このように、被告に「特段の事情」を立証させることとしたのは、本件においては、6月22日に転送されていたとしても、実際には7月21日まで網膜剥離及び網膜裂孔の有無を確認するための超音波検査等がなされていない以上、その1ヶ月の間のどの時期に検査が実施され、その時の病状が不明であることから、いつの段階でどのような手術が行われていたかについて原告に立証責任を負わせるのが不当と判断されたためである。
また、各鑑定人からも早期に手術を行っていたとしても結果が良好であったとは限らない旨の意見が述べられていたが、これらは手術の合併症や網膜剥離が発症した箇所などあらゆる抽象的な可能性を考慮した見解であり、具体的な事情を述べるものではないとしている。
現実には行われなかった内容の手術等に関する判断である以上、さまざまな可能性を考慮して判断せざるを得ないとも思えるが、相当程度の可能性の判断においては、高度の蓋然性の証明を必要とする因果関係の場合と比較して、より具体的な事情をもって判断していることが見て取れる。
判決文からは、原告が相当程度の可能性についてどの程度の立証を行ったのか不明であるが、被告に治療が奏功しなかったことについての立証責任を負わせるとした事案として参考になると思われる。
また、相当程度の可能性が認められた場合、慰謝料額を算定するのに考慮される事情としては、その可能性の高低や過失の程度、侵害された利益の程度などが挙げられる。本件では、転送義務が果たされていれば、治療が奏功していた可能性が非常に高いこと、一眼失明という後遺障害の程度について「一眼の視力を維持できるかどうかは、個人の日常生活の全般にわたってその質に大きな影響を与えるもの」とし、QOLへの影響についても言及されている。
また、具体的には判示されていないが、適切な手術等を行うことができる医療機関への転送(紹介)は、一般的に行われている現状からすれば、被告の注意義務違反の程度が比較的高いものと考えていたのではないかと推測される。