Vol.172 独善的な診断治療行為が「詐欺行為」と認定された事案

―患者の羞恥心に付け込んだ性病詐欺事件―

東京地裁平成28年4月11日判決(出典:ウエストロー・ジャパン)
協力/「医療問題弁護団」服部 功志弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 性感染症診断・治療ガイドラインでは、性器クラミジア感染症の検査について、尿を検体とする抗原検査又は核酸増幅検査が推奨され、血清抗体検査は基本的に意味がないとされている。これに対し、被告医師が個人経営していたクリニックは、原告に対し、性器クラミジア感染症の初診時の検査として、尿検査だけでなく、医学的合理性のない血清抗体検査を併せて行った。

それらの検査に関し、検査会社の結果報告はいずれも陰性であった。ところが、被告医師は、血清抗体検査の基準値(カットオフインデックス)が「0・90」と設定されているにもかかわらず、自作の検査結果報告書を作成した上で基準値を「0・00」と書き換え、原告に虚偽の陽性結果を告知し、不必要な血清抗体検査と多数の抗菌薬の処方を1年以上断続的に繰り返した。

また、被告医師は、不審に思った原告の診療記録の開示請求にも「使用目的や事情が全くわかりません」との理由のみで拒否した。そのため、原告は、真相究明と再発防止、そして被害回復を求めて本訴訟を提起した。
なお、被告医師は、数千人に対して同じやり方で診断を行っていたと法廷で供述しており被害は極めて多数に及んでいる可能性が高い。また、被告医師は、原告を含む複数の患者に対する詐欺容疑で平成29年に逮捕・起訴され、現在も刑事裁判が係属中である。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

1 診療行為に関する責任について

ア 合理性のない血清抗体検査を行った点
この点について、被告医師は、血清抗体検査におけるクラミジアトラコマチスIgAは現在の感染状態を示し、クラミジアトラコマチスIgGは1年前後過去の感染状態を示すものであって、これを実施したことには十分に医学的根拠があると反論した。
これに対して、判決は、
「被告が縷々(るる)論難するところについて、これを客観的に根拠づける的確な証拠は存在しない」
と排斥した。

イ 基準値を改変した上での診断
被告医師は、検査キットのカットオフインデックスの設定に従うと実際には有症の患者を看過することになる旨主張して、カットオフインデックス改変を正当化しようとした。
この点について判決は、
「本検査の結果抗体陰性の判断を受ける者の中に一定数有症の患者が含まれ得ること自体は、性質上当然に想定され、本検査の弱点として指摘されているところである。そして、そうであるからこそ免疫学的診断法又は核酸増幅検査によることが第一選択とされているにもかかわらず、これらによることが可能であり、または実際にその結果を得ているにもかかわらず、あえて血清抗体検査の結果のみに着目した上、基準とすべきカットオフインデックスの値が不正確であるなどとして独自の修正を加えることについての合理性は見出し得ないと言わざるを得ない。」
として、クラミジア感染症に罹患していたとの被告医師の診断に医学的根拠がないと判断した。

ウ まとめ
判決は、被告医師が行った診療行為について、
「被告は、合理的な医学的根拠もないのに原告がクラミジア感染症に罹患していると診断した上、原告に対しては、核酸増幅法による検査結果が陰性であった旨をあえて知らせなかったばかりか、検査の意義に乏しいとされる血清抗体検査についても、あたかも基準値を超えるクラミジアトラコマチス抗体が検出されたかのような外観を呈する検査結果票を作成交付し、クラミジア感染症に罹患している旨を説明して、その治療や処方をしていたのであって、このような行為が、当時の臨床医学の実践における医療水準に反する著しく不合理なものであったことは明らかというべきである。」
として過失を認定しただけでなく、さらに続けて
「そしてその客観的経過からすると、被告は、当初からカットオフインデックスを0・00に改変して不合理な診断をすることを予定していたものと考えざるを得ず、初診時から同年7月26日までの一連の医療行為は、全体として、医師が診療契約に基づいて尽くすべき最善の注意義務に違反するものであって、客観的には詐欺行為との評価を受けてもやむを得ないものというべきである」
として踏み込んだ判断を示した。

2 診療記録の開示拒否について

この点につき判決は、
「患者である原告自身においても、診療経過を正確に把握して今後の治療方針を検討するため、医師である被告に対して診療録の開示を求めることはもっともなことであって、そのような求めを正当な理由なく拒むことは、その診療契約上の報告義務に違反するとともに、不法行為法上も違法なものというべきである。」
とした上で、
「被告がいうように、診療録の使用目的や開示を求める事情が不明であるとの一事をもって、その求めを拒否することに正当な理由があるとはいえない。」
として診療記録開示拒否についても損害賠償責任を認めた。


関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判例に学ぶ

(1)医師の裁量を画するのは「医療水準」
本件の医師を被告とする類似案件は、平成26年以降、本件を含む4件提訴(原告6名)され、うち被告医師の責任を認める判決が3件既に最高裁で確定している。被告医師は、それらの法廷において、診断治療の選択は「医師の専権事項」(裁量)であると繰り返し主張してきた。
確かに、医師の裁量は医療訴訟において医療側の責任を否定するために用いられることがある。しかし、医師の裁量といっても当然ながら無限定ではなく「診断当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」(札幌地判平成10年3月13日判例時報1674号115号)に反する医療行為については裁量が否定され、注意義務違反が認められることとなる。
本判決も、被告医師の診療行為について
「当時の臨床医学の実践における医療水準に反する著しく不合理なもの」
と認定した上で医師の裁量を否定した。
さらに、本判決は被告医師の一連の行為について
「客観的には詐欺行為との評価を受けてもやむを得ないもの」
として、踏み込んだ判断を示した。このような判断が、その後の被告医師に対する逮捕・起訴につながったものと考えられる。
性感染症分野においては、家族や会社に知られたくないという思いから泣き寝入りする被害者も多い。本件は、そうした患者の羞恥心に付け込み、医師に対する信頼を逆手にとった悪質な医療詐欺であり、刑事処分の対象となることもやむを得ない。

(2) 診療記録の開示拒否も損害賠償の対象になり得る
医療機関の規模にかかわらず、最近は患者が診療記録の開示を求めることも多いと思われる。
診療記録の開示については、欧米と異なり、日本ではいまだ法制化に至っていない。もっとも、厚労省策定のガイドラインにおいて、
①第三者の利益を害する怖れがあるとき
②患者本人の心身の状況を著しく損なう怖れがあるとき
を除き、開示しなければならないと規定されていることは、周知の通りである。
本件においても、「診療録の使用目的や開示を求める事情が不明である」との理由が診療記録の開示拒否を正当化する理由になり得ないことを改めて示したといえる。
診療記録の開示拒否は、医師や医療機関にとってではなく、患者本人や第三者にとって合理的な理由がない限り許されず、損害賠償の対象になり得るということを改めて認識する必要があろう。