(1)医師の裁量を画するのは「医療水準」
本件の医師を被告とする類似案件は、平成26年以降、本件を含む4件提訴(原告6名)され、うち被告医師の責任を認める判決が3件既に最高裁で確定している。被告医師は、それらの法廷において、診断治療の選択は「医師の専権事項」(裁量)であると繰り返し主張してきた。
確かに、医師の裁量は医療訴訟において医療側の責任を否定するために用いられることがある。しかし、医師の裁量といっても当然ながら無限定ではなく「診断当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」(札幌地判平成10年3月13日判例時報1674号115号)に反する医療行為については裁量が否定され、注意義務違反が認められることとなる。
本判決も、被告医師の診療行為について
「当時の臨床医学の実践における医療水準に反する著しく不合理なもの」
と認定した上で医師の裁量を否定した。
さらに、本判決は被告医師の一連の行為について
「客観的には詐欺行為との評価を受けてもやむを得ないもの」
として、踏み込んだ判断を示した。このような判断が、その後の被告医師に対する逮捕・起訴につながったものと考えられる。
性感染症分野においては、家族や会社に知られたくないという思いから泣き寝入りする被害者も多い。本件は、そうした患者の羞恥心に付け込み、医師に対する信頼を逆手にとった悪質な医療詐欺であり、刑事処分の対象となることもやむを得ない。
(2) 診療記録の開示拒否も損害賠償の対象になり得る
医療機関の規模にかかわらず、最近は患者が診療記録の開示を求めることも多いと思われる。
診療記録の開示については、欧米と異なり、日本ではいまだ法制化に至っていない。もっとも、厚労省策定のガイドラインにおいて、
①第三者の利益を害する怖れがあるとき
②患者本人の心身の状況を著しく損なう怖れがあるとき
を除き、開示しなければならないと規定されていることは、周知の通りである。
本件においても、「診療録の使用目的や開示を求める事情が不明である」との理由が診療記録の開示拒否を正当化する理由になり得ないことを改めて示したといえる。
診療記録の開示拒否は、医師や医療機関にとってではなく、患者本人や第三者にとって合理的な理由がない限り許されず、損害賠償の対象になり得るということを改めて認識する必要があろう。