Vol.171 分娩時脳性麻痺事案の訴訟に思うこと

―産科医療補償制度適用前の事案で、陣痛促進剤の過量投与と急速遂娩の遅れにより重度脳性麻痺で出生した事例について―

広島地裁福山支部判決平成24年(ワ)473号/判決日平成28年8月3日出典D1-Law.com(第一法規総合情報センター)判例体系
協力/「医療問題弁護団」 大森 夏織弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 2008年6月17日、妊娠40週4日目で陣痛が始まりクリニックに入院した妊婦に対し、 午前9時30分頃15㎖/時でアトニン投与開始、30分毎に15㎖/時ずつ増量指示、その後翌18日午前1時50分頃破水、8時3分に自然分娩で児娩出、 午後3時41分に高次医療機関へ搬送されHIE診断(低酸素性虚血性脳症)、後に重度脳性麻痺と診断された。
争点は①陣痛促進剤アトニンを慎重投与しなかった過失の有無、②胎児機能不全の改善と急速遂娩を怠った過失の有無、 ③出生後に脳保護療法を行い早期に高次医療機関へ搬送することを怠った過失の有無、④これら過失とHIE及び脳性麻痺発症の因果関係、⑤アトニン投与時の説明義務違反の有無、である。 裁判所は①②④を認め(③⑤については判断の必要なし)、児について1億3871万円余、両親について各165万円の賠償額を認定した。

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判決

1 争点①(陣痛促進剤の慎重投与義務違反)について

添付文書インタビューホーム上の初期投与量と増量時の点滴速度に従わないアトニン投与方法は合理的理由がない限り過失が推定されるとし、患者に硬膜外麻酔を実施していたので有効陣痛発来のため若干増やしたとの被告側の主張に合理性を認めず、過失を認定した。

2 争点②(胎児機能不全の改善と急速遂娩を怠った過失)について

6月18日午前0時5分頃以降(以後全て時刻は午前)、日本産婦人科学会周産期委員会による胎児心拍数波形分類(筆者注:本事案当時2008年産科ガイドラインには記載がないものの産科臨床上のスタンダード。
その後2011年ガイドラインには記載)上のレベル3〜4に該当、4時46分頃(なお1時50分頃からこの時点までCTG用紙が残存しないとして裁判所に提出されていない)から7時11分頃まではレベル4、その間の5時29分頃にはレベル5の波形であると認定し、遅くとも4時46分頃までに急速遂娩の準備に着手すべきであり、5時29分頃には緊急帝王切開を実施すべきであったと過失を認定した。

3 争点④(過失と後遺症の因果関係)について

アトニン過量投与による胎児機能不全出現のリスクと本件胎児心拍数数値を併せて勘案し、さらにACOG(アメリカ産科婦人科学会)による分娩時脳性麻痺基準に該当するとして、被告側の様々な胎生期原因論(何らかの子宮内感染による多囊胞性脳軟化症等)を排斥し争点①②の過失と児の後遺症との因果関係を認めた。

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判例に学ぶ

 周知のとおり、医療に関連して我が国で初めての無過失補償制度(薬の副作用に関しては医薬品副作用被害救済金制度がありますが)として、2009年以降出生されたお子さんの分娩時重度脳性麻痺発症事例に対し、産科医療補償制度(以下「同制度」)が実施されています。
同制度では原因分析と再発防止が検証され、2008年の産婦人科診療ガイドラインは2011年、2014年にそれぞれ改訂され、全事案の分析報告書や、この3月に第7回目となる再発防止報告書は、いずれも日本医療機能評価機構のHPでも掲載されています。
医療界では産科について訴訟が多いと誤解されているように思いますが、実のところこの10年間で3分の1程度に減少しており、訴訟件数の多い診療科ではありません。
とりわけ分娩に伴う脳性麻痺発症事案については、同制度発足以降訴訟が顕著に減少し、同制度が紛争・訴訟防止に大きく貢献していると考えます。
これは同制度による原因分析報告書が常に当該分娩機関の法的責任追及に資するということではなく(むしろ逆の場合が多いのではないかと思われます)、そもそも医療紛争や裁判の原因は「なぜこのような結果になったのか?」を求めるが故であり、同制度が患者側(母親はじめ家族側)のこの切なる求めに客観性のある一定の回答を提供する制度であるということです。
筆者も同制度の原因分析委員として年間70件以上の事例について多くの産科医・新生児科医・助産師の方々の議論をお聞きしており、医学的なピアレビューによる原因分析と再発防止の意義、さらに紛争予防の意義を日々実感しています。
本事案は同制度の適用がない時期の出生事案であり、出生から第一審判決まで8年(訴訟提起から4年余)という期間を要し、多岐に渡る争点が判断されています。
しかしもし本事案に同制度の適用があれば、HIEと脳性麻痺発症機序に関する専門医の頭部画像診断を含み、産科医4〜6名、新生児科医1〜2名、助産師1名で事案を分析し、脳性麻痺発症の原因、診療経過への前方視的医学的評価(法的評価ではない)、再発防止策などについて報告書が作成されることになるわけですから、少なくともこのような多岐にわたる医学的な論点を一審だけで4年以上かけて裁判所で判断される事態にはならなかった可能性が高いのではないか、と想像します。
なお、本事案ではアトニン過量投与について添付文書(や2008年産科ガイドライン)記載に沿わない判断をした点につき合理性を否定され過失と判断されています。
医学界ではまだまだ「裁判所では、添付文書・ガイドラインと違う診療行為をしたら、直ちに過失と判断されるのではないか」との誤解が散見されるように思うのですが、当該患者への当該診療行為において合理的な判断に基づきこれらスタンダードと異なる場合があることは、当然ながら司法の場で十分に斟しんしゅく酌されているのです。
ただ、本事案では分娩前後を通じて医師の問題意識と危機感の欠如、全般的な診療行為の低水準がかなり明確な事案であり(とりわけ胎児機能不全について長時間にわたり全く対応していない、しかも重要な時間帯のCTG用紙が裁判所に提出されない)、アトニン過量投与についても合理的な判断に基づいていないと判断されたのも故あると考えます。