Vol.179 肝硬変の患者に対する検査義務

―ガイドライン等を根拠に肝がん発見を目的とする検査を長期間実施しなかった過失があるとして、期待権侵害による慰謝料が認められた事例―

仙台地判平成22年6月30日(最高裁ホームページ)
協力/「医療問題弁護団」 田畑 俊治弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 原告の母A(死亡当時79歳)は、昭和55年以降、糖尿病、心不全等を治療するため、被告病院を受診し、入通院を繰り返していた。
 Aの主治医である被告病院糖尿病代謝科の医師B(以下「被告医師」)は、食道静脈瘤を確認したことに加え、肝機能値(GOT、γ-GTP)及び血小板数等から、平成12年9月、Aを初期の肝硬変と診断した。なお、Aの肝硬変は非ウイルス性である。
 その後、被告医師は、Aの外来診療時には、毎回、肝機能値と血小板数を測定したが、いずれの数値も正常範囲内で推移し、肝硬変の進展に伴う身体症状は認められなかった。
 Aは、平成18年8月7日、自宅で倒れ、同月8日、被告病院糖尿病代謝科に入院し、同月9日、肺部造影CT検査を実施したところ、肝臓内に腫瘤性病変が疑われた。依頼された消化器内科担当医は、原発性の肝臓がんであると診断した。Aは、平成18年10月23日、多発性肝臓がんにより死亡した。
 原告は、被告医師には、Aを肝硬変と診断しながら肝がん発見を目的とする検査を長期間にわたって全く実施しなかった過失があるとして、主位的にはAの死亡慰謝料等の合計2350万円、予備的には適切な治療を受けられなかったというAの期待権侵害による慰謝料350万円の支払を求めた。

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判決

1 争点
 本件の主要な争点は、①2〜6か月間隔で腫瘍マーカー、超音波検査等の諸検査を行うべきであったにもかかわらず、これを実施しなかった被告医師に過失があるか、②被告医師が上記①の検査義務を尽くしていれば、Aが死亡時点で生存していた高度の蓋然性があるか、③損害の発生とその額である。

2 過失について

 Aの病態について、被告医師自身が肝硬変と診断し、肝細胞がんの発がんリスクは否定されるものではないと認めていること、平成12年7〜8月時点において、肝臓の腫大、辺縁不整といった画像所見や食道静脈瘤が認められているなど、肝硬変を明らかに示す所 見があり、これらの所見がその後改善した事実が認められないこと、平成12〜18年までの血小板数の減少から肝組織の線維化の進行が推認できること等の事情を考慮すれば、「Aの肝硬変は、発がんリスクが特に否定されるような病態であったとは認められない」。
 『科学的根拠に基づく肝癌診療ガイドライン』(以下「肝癌診療ガイドライン」)によれば、非ウイルス性の肝硬変は肝細胞がんの高危険群とされ、6か月に一回の超音波検査及び腫瘍マーカーの測定が推奨されていること、上記Aの肝硬変の病態等からすると、被告医師がAを「肝硬変と診断してから一度も超音波検査等を実施しなかったことが相当の医学的根拠に基づくものとは評価しがたい」。
 「被告医師は、Aに対し、肝癌の発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施し、腫瘍マーカーの上昇や結節性病変が疑われた場合には造影CT検査等を実施すべきであったにも関わらずこれを怠った過失がある」。

3 因果関係について

 平成18年2月に撮影された胸部単純CT検査の肝臓画像を再確認したところ、肝細胞がんを示す所見は認められなかったこと、AのGOT、GPTが同年6月以降急激に上昇していること、食道静脈瘤が同年7月時点で増悪傾向に転じていること等の事情から、「Aの肝細胞がんは平成18年2月以降に発生し、その後、急速に進行した可能性を否定することができない。そうすると、肝がんの発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施していたとしても、Aの肝細胞がんが発見された時点において救命が可能であったか否かは真偽不明である」。
 したがって、上記2で認定した「被告医師の過失がなかったとすれば、平成18年10月23日のAの死亡という結果が発生しなかった高度の蓋然性ないし相当程度の可能性があったと認めることはできない」。

4 期待権侵害の有無について

 「臨床水準に則った適切な診療を受ける期待は、生命・身体や当該時点で生存していた相当程度の可能性とは別個のそれ自体独立した法益である」。
 Aは、肝硬変と診断され、平成18年2月ないしそれ以前の時点においては、肝がんが発生していたか否かはいずれとも判断しがたい状態にあったから、「被告医師において、上記の諸検査を実施することが社会的に期待されていた」。
これらの不実施を合理的な行動であったとすることは甚だ疑問である。
 結論として、裁判所は、「Aの臨床水準に則った適切な診療を受ける期待が侵害された」と認め、慰謝料100万円を認めた。

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判例に学ぶ

 肝硬変や肝炎患者に対する肝臓がんの検査義務が問題となる事例は多く見られる。肝細胞がんの大部分が慢性肝炎、肝硬変に合併することが背景にある。
 本件で、裁判所は、医療行為における過失の判断について、手段債務性を根拠に、「社会通念上期待される合理的行為から逸脱したと評価される」か否かの判断基準を用いた。そして、「期待される合理的行為」の判断に当たっては、肝癌診療ガイドラインを重視しつつも、その根拠の程度にも配慮し、医師の裁量の余地を認めている。
 すなわち、裁判所は、診療ガイドラインについて、それに沿うことによって当該治療方法が合理的であると評価される場合が多くなるが、相応の医学的根拠に基づいて個々の患者の状態に応じた治療方法を選択した場合には、それが診療ガイドラインと異なる治療方法であったとしても、直ちに医療機関に期待される合理的行動を逸脱したとは評価できないと位置付けた。その上で、肝癌診療ガイドラインにおいて、サーベイランスの至適間隔に関する推奨の強さがグレードC1(行うことを考慮してもよいが、十分な科学的根拠がない)であることを根拠に、上記間隔については医師の裁量が認められる余地は相対的に大きくなるとしている。
 ただし、本件では、被告医師はサーベイランス自体を全く実施していないことから、検査不実施の過失があるという結論はやむを得ないものと考えられる。 不作為型の過失行為における因果関係については、実際には生じなかった事実経過を推定することになるため、根拠資料が乏しい場合が多く、立証は困難となる。
 このような患者側の立証困難に鑑み、過失と結果との因果関係について、高度の蓋然性(心証の程度は80%以上といわれる)が否定された場合であっても、相当程度の可能性(50%をかなり下回る証明度を許容する趣旨と考えられている)が認められる場合には慰謝料請求が認められるとするのが判例である(最判平成12年9月22日判決民集54巻7号2574頁)
 同最高裁判決の原審は、最高裁と同様の結論を期待権侵害に基づき認めており、因果関係において「相当程度の可能性」が否定された場合でも「期待権侵害」による慰謝料請求が認められるか否かが問題となる。
 本件では、そのような場合に期待権侵害による慰謝料を認めた点が注目される。
 なおその後、最高裁は、このような期待権侵害のみを理由とする不法行為責任は、「当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討しうるにとどまる」と判示している(最判平成23年2月25日判決判タ1344号110頁)。