Vol.176 無痛分娩に関する説明・指示義務違反等

―無痛分娩について説明・指示義務違反、手技上の過失はなかったとして、神経損傷等に関する損害賠償の請求を棄却した事例―

東京地方裁判所 平成20年7月25日判決 平成17年(ワ)第22085号 掲載誌 LLI/DB 判例秘書登載
協力/「医療問題弁護団」永嶋 真倫弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

 無痛分娩を希望するXは、平成15年11月22日、Yが開設するy病院に入院し、翌23日午前3時頃には陣痛の増強のため、硬膜外麻酔を受けた。
y 病院の担当医師は、4回の硬膜外穿刺を要したものの、同日午前4時頃、硬膜外腔にカテーテルを留置できたものと判断し、カテーテルを固定した。
 同日午前9時15分頃から麻酔薬の持続注入が開始されたが、温覚ブロックが確認できずカテーテルの入れ替えが行われ、再度麻酔薬の持続注入が開始された。

 その後、胎児に遷延一過性徐脈が確認されたため、緊急帝王切開が行われ、Xは同日午後7時42分に女児を出産した。

 出産後、Xには腰痛等の症状が出現し、y 病院の産科外来、ペインクリニック外来等で治療を受けたものの症状は改善しなかった。

 Xは、Yに対し、担当医師が無痛分娩のための硬膜外麻酔を行うに当たり、事前に放散痛についての説明、指示を怠り、かつ放散痛の有無を確認することなく硬膜外穿刺、カテーテル挿入の手技を継続した過失により、硬膜外針またはカテーテルで馬尾神経を損傷し、Xに腰背部痛や下肢のしびれ等の症状を生じさせたとして、不法行為ないし債務不履行に基づき、治療費や後遺障害による将来の逸失利益等の損害賠償を請求した。

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判決

本判決は、担当医師にX主張の説明・指示を怠った過失、手技上の過失があったとは認められないなどとして、請求を棄却した(以下要約)。

1 硬膜外麻酔を行う前に放散痛についての説明・指示を行った過失の有無

 硬膜外麻酔を実施する医師には、神経損傷の発生を防止するため、硬膜外麻酔を行う前に患者に対し、放散痛について説明するとともに、放散痛を感じた場合にはその旨を医師に伝えるように指示すべき義務があることは、当事者間に争いがない。

 硬膜外麻酔を行う医師の間では、事前に患者に対して足に響くようなことがあれば伝えるように指示することが一般であるとされているところ、担当医師の症例経験からその重要性を認識していたものと認められ、証人尋問における同医師の証言、麻酔施術前の行動等からすると、放散痛についての説明・指示を忘れるような特段の事情があったとは認められない。

2 硬膜外麻酔中に放散痛の有無を確認せず手技を継続した過失の有無

 硬膜外麻酔を行う医師が、患者が硬膜外麻酔の手技中に放散痛を訴えた場合、神経損傷の発生を防止するため、硬膜外針穿刺、カテーテル挿入の手技を直ちに中止すべき義務を負うことは、当事者間に争いがない。

 硬膜外麻酔を行うに当たり、放散痛についての説明・指示をする必要があるのは、神経損傷の発生を未然に防止するためであるところ、手術を行う前に放散痛について説明、指示をしておけば、医師が手技中に放散痛があるか否かを逐一確認しなくとも、患者は医師に対し放散痛が生じたことを伝えることができ、医師においても、この患者の訴えや体動によって放散痛の有無を確認することが十分可能となる。

 したがって、患者に対し、事前の説明に加え、硬膜外麻酔の手技中に放散痛が生じているか否かを逐一確認するまでの義務はない。

3 Xが痛みを訴えたにもかかわらず手技を継続した過失について

 患者が硬膜外麻酔の手技中に痛みを訴えるような場合、硬膜外穿刺やカテーテル挿入の状況等からして明らかに神経に触れているとは考えられないときを除き、その痛みの性状・性質等を具体的に確認すべきは硬膜外麻酔を行う医師として当然の義務というべきである。

 そして、Xは本人尋問において、担当医師による硬膜外麻酔の手技中に10回近く腰から足に電気が走るようなビリッとした痛みを感じ、これは通常の痛みとは全く異なる痛みで、繰り返し「痛っ」と大声を上げて担当医師に痛みがあることを訴えたにもかかわらず、手技を継続したと供述している。

 上記供述については、硬膜外針やカテーテルによって神経損傷が起こった場合、硬膜外麻酔の直後から損傷された神経に対応する下肢や臀部の感覚障害、運動障害が発現し、徐々に改善傾向を示すという経過が一般的であるところ、本件においては、当初は腰痛のみであった症状が、時間の経過とともに大腿部の痛みや下肢のしびれといった症状が加わるとともに、その症状が重篤化してきており、神経損傷が起こった際の一般的な経過と整合しないところがある。

 またXは、腰や下肢の痛み等については入院期間中とそれ以後で大きな変化はないと述べており、この供述を前提とすると、腰の痛みのみカルテに記載され、下肢の痛みについてはカルテには記載しないというのは不自然であるし、下肢のしびれについても、Xが当初下肢のしびれを訴えず後に訴えるようになった理由を合理的に説明することができない。

 Xが主張するように、硬膜外針、カテーテルが馬尾神経に触れるためには、硬膜を穿破する必要があるが、穿破した場合の脊髄液の逆流、頭痛の発生等の症状は認められておらず、硬膜を穿破したことをうかがわせる事実はない。

 してみると、Xの上記供述は採用することができず、他にXの上記主張を認めるに足りる証拠はない。


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判例に学ぶ

 本件においては、無痛分娩における硬膜外麻酔の実施に当たっての説明・指示義務、手技上の過失の有無が問題になりました。結論としては、原告Xの供述の信用性が低いとして請求を棄却していますが、傍論においては、一般論として、無痛分娩目的の妊婦に対する硬膜外麻酔は、技術的に難しく高い技術が必要とされ、穿刺は十分な経験を積んだ麻酔科医によって行われることが望ましく、担当医師において硬膜外穿刺、カテーテル挿入の手技を成功できない場合には、上級医と交代できる環境の下に行うことが理想的であったと指摘しています。

 また無痛分娩に関しては、昨今、死亡例や重篤な後遺障害を被った事例がクローズアップされて報道され、厚生労働省の研究班による緊急提言や日本産婦人科医会による実態調査の開始も記憶に新しいところです。

 このような情勢から、今後出産を控える患者から、無痛分娩の硬膜外麻酔による副作用やリスクなどについて、質問を受ける機会が増加することが予想されます。

 これに対して各医療機関では、定式の説明文書を作成するなどとして、無痛分娩・硬膜外麻酔に関する正しい情報や麻酔医の体制等を患者に伝える方法が考えられます。

 また、本判決でもカルテの記載内容が一部判断の根拠となっているように、場合によっては、個別に客観的な記録を保持しておくことも重要となります。

 例えば、患者から妊婦健診時等に個別に質問を受けた場合には、その質問内容、それに対して医師が行った説明内容を具体的に診療録等に記載しておくことが、後々のトラブルを防止するという点でも、患者への適切・丁寧な説明という点でも望ましいと考えられます。