Vol.180 相当程度の可能性論について

―松果体腫瘍摘出術後の出血徴候出現に対するCT検査実施義務をめぐって―

最高裁第三小法廷28年7月19日判決(平成26年(オ)1476号)
協力/「医療問題弁護団」 松田 ひとみ弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

松果体腫瘍摘出術を受けた原告が、術後に脳内出血が生じ、脳の器質的損傷のため高次脳機能障害、軽度右片麻痺等の後遺障害が生じ、日常生活に全介護を要する状態となったことにつき、術後速やかに、または、少なくとも術後出血の徴候が出現した時点で直ちに術後出血の有無等を確認するためにCT検査を行うべきであったにもかかわらず、これを怠った注意義務違反があり、逸失利益、将来介護費用、後遺障害慰謝料及び弁護士費用等の損害賠償の支払を求めた事案である。

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判決

1 診療経過について

平成21年3月3日、原告は、後頭部痛を訴えて被告病院を受診し、CT検査の結果、第三脳室に突出する2.2cm大の腫瘤が確認され、MRI検査の結果、松果体部に2cm大の腫瘍が確認された。同月 25日午前9時53分から午後6時23分まで、本件手術が行われたが、腫瘍の一部が中脳や視床と強く癒着していたため、腫瘍両側面及び上部では剥離が困難であり、亜全摘で手術が終了した。
同日午後7時、原告はICUに帰室したところ、帰室時点で、覚醒は良好であり、従命も入る状態であった。
同日午後10時、原告において、瞳孔は正常、MMTによる筋力低下は見られず、従命も可能であった。
同月26日午前0時、原告の血圧が190を記録したところで、MMTの低下はなかったが、従命はいまひとつの状態で、多尿(900ml/2h)となり、脳室ドレーン血性度が上昇したため、看護師は医師に報告した。医師による診察では、従命可能であった。
なお、原告の血圧は、同日午前0時20分の時点で191/118で、同日午前0時30分の時点で158/103であった。
同日午前2時、原告の意識レベルが低下し、脳室ドレーンの血性度が上昇した。
そこで、同日午前2時30分、CT検査を行ったところ、第三脳室内出血があり、第三脳室を中心に50mm×44mm大の血腫が認められ、中脳を圧迫しているとの所見であった。
同日午前4時、手術を行うことになり、看護師が原告家族へ架電し、同日午前5時42分から午前7時33分まで、血腫除去術が行われた。
手術の結果、出血源は不明であるものの、止血されている状態であると判断され、また、減圧も十分であったことから、血腫及び残存腫瘍の全摘出はリスクを伴うと判断され、さらなる血腫の摘出は行われなかった。 同日午後5時から午後9時45分まで、血腫除去術が行われ、左右側脳室及び第三脳室内の血腫が可及的速やかに除去されたが、第三脳室内は血腫で充填されており、大部分が器質化していた。

2 第一審(原告敗訴)

新潟地裁は、原告が主張する注意義務の前提として、平成21年3月26日午前0時以前における手術部位の止血不十分による出血または閉頭後まもなくの残存腫瘍・左第三脳室壁後部から出血の事実は全証拠によっても認められず、出血を前提に、医師に対しその時点までに頭部CT検査を実施して出血の有無を確認すべきことを義務付けることはできないと判示した。

3 控訴審(控訴人[第一審原告]一部勝訴)

東京高裁は、控訴人には平成21年3月25日午後10時ころから26日午前0時ころまでの間に残存腫瘍からの出血が生じたと認定した上、医師が25日午後10時の時点で控訴人に対する頭部CT検査を実施し、その後も26日午前0時30分ころまで繰り返し頭部CT検査を実施すべき注意義務を怠ったことにより、控訴人に高次脳機能障害等の後遺症が残ったとはいえないとしたものの、控訴人は、医師が上記注意義務を尽くさなかったことにより適切な医療を受けるべき利益を侵害され、これにより精神的苦痛を受けていることが認められるから、被控訴人に同苦痛を慰謝すべき責任を負担させることが相当であると判示した。

4 上告審(上告人[第一審被告]勝訴)

患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が患者に対して、適切な医療行為を受ける利益を侵害したことのみを理由とする不法行為責任を受けたことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである(最高裁平成17年(受)第715号同年12月8日第一小法廷判決・裁判集民事218号1075頁、最高裁平成21年(受)第65号同23年2月25日第二小法廷判決・裁判集民事236号183頁)。医師は、ICU内で、看護師と連携しつつ、自らも直接診断することにより、術後出血の徴候を含めた患者の経過観察を続け、その結果に応じた看護師への指示等を行ったというのであり、適時に頭部CT検査が実施されなかったといえるとしても、このような医師の医療行為が著しく不適切なものであったといえないことは明らかであるから、本件は、上記不法行為責任の有無を検討し得るような事案とはいえないというべきであると判示した。

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判例に学ぶ

過失と結果との因果関係につき、「高度の蓋然性」の立証がない場合、因果関係は否定されます。
ただし、最高裁は、「高度の蓋然性」の立証がない場合でも、医療機関側が責任を負う余地を認めています(最高裁第二小法廷平成12年9月22日判決・民集54巻7号2574頁)。
この事案は、上背部痛及び心窩部痛を訴えて夜間救急外来を訪れた患者が、不安定型狭心症から切迫性急性心筋梗塞に至り、心不全を来たし死亡したものです。
医師は、触診及び聴診を行っただけで、既往症を聞いたり、バイタルサインのチェックや心電図検査を行ったりすることをしないなど、初期医療として行うべき基本的義務を果たしていませんでした。
最高裁は、「生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益」であるとし、「医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負う」と判示しました。
これは、「相当程度の可能性論」といわれています。

その後、拘置所の医師が脳梗塞を発症した勾留中の者を外部の医療機関に速やかに転送する義務の違反があったか否か争われた事案において、最高裁(多数意見)は、問題となっている医療行為につき粗雑診療が行われたとはいえないとして議論の前提を欠くとしました(前記最一判平成17年12月88日)(なお、反対意見あり)。
また、下肢の骨接合術等の術後合併症として下肢深部静脈血栓症を発症した患者を血管疾患の専門医に紹介しなかった事案において、最高裁は、「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が、患者に対して、適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである。」と判示しました(前記最二判平成23年2月25日)。

本判決は、前記平成17年判決及び平成23年判決を引用した上での全員一致の意見であり、したがって、相当程度の可能性論は、当該医療行為が著しく不適切なものである事案に限られるということになります。