Vol.183 正中神経損傷のない穿刺行為の責任

―看護師による穿刺行為の過失とCRPS発症との因果関係を認めた事例―

東京高裁(控訴審)平成29年3月23日 平成28年(ネ)第2387号
協力/「医療問題弁護団」 佐藤 孝丞弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Xは、Yの設立した病院において、平成22年12月20日に甲状腺右葉半切除手術(以下「本件手術」という)を受けるため、前日である同月19日、A病院に入院した。
A病院のB看護師は、同月20日、本件手術の準備として点滴ルートを確保するために、Xの手関節から中枢に向かって12センチメートル以内の左腕橈側皮静脈に末梢静脈留置針(以下「留置針」という)を穿刺した。
その際、Xは痛みを訴えた。B看護師は、穿刺後、血液の漏出がみられたため留置針を抜いた。その後B看護師は、右前腕の正中皮静脈に留置針を穿刺して点滴ルートを確保した。
さらに、Xは、手術室に入室したが、 麻酔医はXの右腕の点滴ルートが良好でなかったために、Xの左手背に留置針を穿刺し、点滴ルートを確保して本件手術が行われた。
Xは、本件手術終了後から左腕の痛みを訴えるようになり、以後、さまざまな病院で治療を受けている。
Xは、Yに対し、A病院のB看護師が十分な注意を払わずに穿刺行為をなした等の過失があり、当該穿刺行為によって複合性局所疼痛症候群(以下「CRPS」という)を発症し、後遺障害を負ったとして、不法行為又は債務不履行に基づき、7171万3533円の損害賠償請求をした。

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判決

1 第1審判決について
本件の第1審(静岡地裁平成28年3月24日判決)は、本件穿刺行為がB看護師の過失によるものであること及び当該穿刺行為によってXがCRPSに罹患したことを認め、6102万6565円の損害賠償請求を認容した。

2 本判決(第2審)について
本判決は、B看護師の過失及びCRPSとの間の因果関係については第1審の結論を維持したが、逸失利益を3498万9400円と減額認定し、損害賠償金を5696万3155円とする旨変更した。

(1) B看護師の過失
各判決は、B看護師が留置針の穿刺の際、神経損傷を避けるため、何度も穿刺したり、深く穿刺しない義務に違反したと認定した。
第1審に加え、第2審においても、Yは、B看護師の過失を争ったが、概ね次の理由からYの主張を退けた。
① 手関節部から中枢に向かって12センチメートル以内の部位への穿刺について、神経損傷の可能性があることから避けるべきである、あるいは、避けた方がよいとの考え方が主流であったと認められる。
② 手関節部から中枢に向かって12センチメートル以内の部位に穿刺する場合に、橈骨神経を損傷しないように注意して行うべき義務があるのは当然である。
③ B看護師による本件穿刺行為が深い穿刺ではなかったとか、医学的知見に基づく適切な方法で行われたとの主張は、直ちには採用できない。
かえって、被控訴人の左前腕に内出血の痕があり、血液の漏出があったことは、同看護師が深く穿刺したことと整合する。

(2)穿刺行為とCRPSとの間の因果関係

各判決は、穿刺行為とCRPSとの間の因果関係を概ね次の理由から肯定した。
① Xは、本件穿刺行為によってこれまで点滴ルート確保の際に感じたことのないような鋭い痛みを感じたこと。
② B看護師は、Xが痛みを訴えた後にさらに留置針を進め、血液の漏出を来たし内出血の痕や穿刺部位に瘤を生じた状況で、当該瘤をガーゼで強く圧迫したこと。
③ Xは、上記②の際も強い痛みを感じ、それ以降左腕の痛みや痺れを訴えるようになったこと。
④ 複数の医師が、本件穿刺行為がXのCRPSのトリガーとなった旨証言したこと。
⑤ 本件手術中にXの身体の左側に多少の圧迫があったとしてもそれによってCRPSが発症したとはいえないこと。

第2審におけるYの主張については、裁判所は、概ね次の理由から排斥した。
① Xは、本件手術後、一貫して左前腕の痛みや痺れを訴えていることが認められるし、橈骨神経浅枝が母・示・中指の背側の知覚を司るからといって、左前腕ないし左上肢の疼痛が橈骨神経浅枝が損傷を受けた時の症状と異なるものと即断することもできない。
② 深く穿刺し過ぎることは神経損傷の危険性を高めることになるから、橈骨神経浅枝の損傷と関係がないとはいえない。
③ 上記①及び②に本件穿刺行為時の状況も踏まえると、本件穿刺行為により橈骨神経浅枝の損傷を受けたという第1審の判断が誤りであるとはいえない。
④ 医師が静脈留置針の穿刺時における神経障害によってCRPSは起こることはある、本件において注射以外の原因は思い当たらない旨証言している。

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判例に学ぶ

CRPSは、①関節拘縮、②骨の萎縮、③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という慢性期の主要な3つの症状が障害のない側と比較して明らかに認められる場合には、後遺障害(本件では等級5級6号を認定)として罹患しているとされます。
本件のように、穿刺行為により患者に神経損傷の障害を与えた点に病院等の責任があるかが争われた裁判例は相当数あります。
責任を否定した裁判例には、そもそも後遺障害として罹患しているとまではいえないとするものや(東京地裁平成20年5月9日判決)、注射により損傷された神経が発症の原因となった神経であるとは認められないとして過失自体を否定したもの(岡山地裁平成23年6月14日判決)があります。
責任を肯定した裁判例には、採血による正中神経の損傷を認め、病院に責任を認めたものがあります(高松高裁平成15年3月14日判決)。
裁判例の傾向をみると、概ね次の点が重要な考慮要素とされているといえます。
① 穿刺行為直後から患者が痛みや痺れ等の異常を訴えているか。
② 穿刺行為の態様はどのようなものか。
③ 穿刺行為からいかなる神経の損傷が生じたのか。
④ 神経損傷特有の症状が発現しているか。
⑤ 患者の訴えに関する医師の診断が上記①から④と整合するか。
裁判例の結論別にみますと、正中神経損傷であれば穿刺を必要以上に深く行ったとして過失が認定され、正中神経損傷でなければ当該神経の走行は予測困難として過失が否定される傾向にあります。
しかしながら、本件は、橈骨神経浅枝の損傷であるにもかかわらず、穿刺行為の過失を肯定した点が特徴的です。
したがって、正中神経損傷がないからといって裁判の結果が読めるわけではないということを意味します。
穿刺行為は、体表の観察から神経の走行状況が把握できない中で行われるため、医療機関が法的リスクを回避するためには、より一層慎重な対応が求められます。
医療機関においては、穿刺行為に際して、常に患者の痛みの有無を確認し、痛みの訴えや違和感が生じたら直ちに針を抜く(少なくとも、穿刺を進めない)といった対応が必要です。
また、医師及び看護師に対し、継続的に穿刺の手技のスキルを確認するような研修等を実施することもトラブルの予防のために有用だと考えます。