Vol.189 腫瘍摘出手術後のCT実施義務違反について

―いわゆる期待権侵害を否定した最高裁判決―

最高裁第三小法廷平成28年7月19日判決(平成26年(オ)第1476号事件、判例秘書登載)
協力/「医療問題弁護団」 谷 直樹弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

A総合病院で松果体腫瘍について亜全摘の状態のまま手術を終えた患者に脳内出血が生じ、脳の器質的損傷のため高次脳機能障害等の後遺症が残った症例である。
患者が、A総合病院を開設し、運営する上告人に対し、(1)上告人病院の医師は本件手術後に出血の兆候が出現した時点で患者の頭部CT検査を実施すべき注意義務があるのに、これを怠り、その結果、患者に上記後遺症が残った、(2)仮に、上記注意義務違反と上記後遺症の残存との間の因果関係が証明されないとしても、上記後遺症が残らなかった相当程度の可能性を侵害されたなどと主張して、使用者責任に基づく損害賠償を求めた事案である。
1審(地裁)は患者の請求を棄却した。2審(高裁)は、過失を認め因果関係を否定しながら、患者の請求を一部認容し、A総合病院開設者に1100万円の支払を命じた。
病院開設者が上告し、最高裁は上告人敗訴部分を破棄した。逆転に次ぐ逆転の事案である。

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事実

患者は、B医師の執刀により、平成21年3月25日午前9時53分から午後6時23分まで、2cm大の松果体腫瘍手術を受けた。B医師は、腫瘍全部の摘出はせずにいわゆる亜全摘の状態のまま止血措置をして閉頭し、本件手術を終えた。
患者は、ICUに移された同日午後7時の時点において、覚醒良好で従命可能な状態であったが、午後9時ごろから血圧が上昇傾向となり、午後10時ごろの時点では、失見当識が出現し、脳室ドレーン排液が水性から淡血性となっていた。 C医師は、患者を診察し、従命可能な状態であるとして経過観察の継続を看護師に指示した。
午後11時からは、術後出血を予防するために血圧降下剤の投与が開始され、次第に投与量が増加していったが、患者の高血圧傾向は持続していた。
患者は、翌26日午前0時の時点において、血圧は落ち着きMMTの結果に低下は見られなかったが、従命はいまひとつの状態で脳室ドレーン排液に血性度の上昇が見られた。
C医師は、患者を診察し、従命可能であったことから、多尿症状への投薬処方を看護師に指示するにとどまった。
同日午前2時ごろになって患者の意識レベルが低下し、C医師が呼ばれた。
C医師は、診察の結果、対光反射の低下、右不全片麻痺の症状および従命不良を認めたほか、脳室ドレーン排液の血性度上昇、頭蓋内圧の上昇も見られたことから、患者に術後出血が生じたことを疑った。
同日午前2時30分に患者の頭部CT検査が実施され、50mm×44mm大の血腫が認められ、中脳を圧迫している所見が得られた。
患者は、同日午前5時42分からB医師の執刀により1回目の血腫除去術を受け、同日午後5時過ぎごろから別の医師の執刀により2回目の血腫除去術を受けた。
患者には、高次脳機能障害等の障害が残存し、現在も、意識低下、軽度右片麻痺、四肢筋力低下、起立歩行障害、両上肢軽度障害、重度記憶障害が認められ、要監視、要介護の状況が継続している。

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原判決(高裁判決)

原判決(高裁判決)は、被上告人(患者)には25日午後10時ごろから26日午前0時ごろまでの間に残存腫瘍からの出血が生じたと認定した。
医師に、25日午後10時の時点で被上告人に対する頭部CT検査を実施し、その後も26日午前0時30分ごろまで繰り返し同検査を実施すべき注意義務を認め、C医師がその注意義務を怠ったことを認定した。
しかし、原判決は、CT検査を実施すべき注意義務を怠ったことにより、被上告人に高次脳機能障害等の後遺症が残ったとはいえないとし、注意義務違反と結果との因果関係を認めなかった。
ただし、C医師が、CT検査を実施すべき注意義務を尽くさなかったことにより適切な医療を受けるべき利益を侵害され、これにより精神的苦痛を受けていることが認められるから、上告人に同苦痛を慰謝すべき責任を負担させることが相当であるとして、被上告人の請求を慰謝料および弁護士費用の合計1100万円の支払を命じた。

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最高裁判決

過失(注意義務違反)と因果関係と損害が認められる場合、医療過誤に基づく損害賠償請求が認容される。しかし、患者側の因果関係立証が成功しないが、請求棄却では不合理な場合があり得る。そこで、下級審判決の中には、過失と損害との因果関係を立証できないときでも、当該医療行為が著しく不適切なものである事案においては、いわゆる期待権侵害として少額の損害賠償責任を認めたものがあった。
最高裁は、死亡ないし重大な後遺症の障害の事案において「相当程度の可能性」が立証できたときは一定の賠償を認め、それが下級審にも定着した。
その後、「期待権侵害」と「相当程度の可能性」の関係について議論があったが、最高裁は、患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が、患者に対して、適切な医療行為を受ける利益を侵害したことのみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである、と期待権侵害について限定的消極的な姿勢を示した。
本最高裁(第三小法廷)判決は、先行する第一小法廷と第二小法廷の最高裁判決を引用し、このことを確認した。
本最高裁判決は、C医師が「ICU内で、看護師と連携しつつ、自らも直接診断することにより、術後出血の兆候を含めた被上告人の経過観察を続け、その結果に応じた看護師への指示等を行った」ことを示し、「適時に頭部CT検査が実施されなかったといえるとしても、このようなC医師の医療行為が著しく不適切なものであったといえないことは明らかである」と判示した。
また、「原審が適切であるものとして認定した医療行為を受けていたならば被上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性が証明されたとはいえない」と判示した。

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判例に学ぶ

 医師にとっては、腫瘍摘出手術後の、特に術後出血が生じやすいとされる亜全摘の状態のまま終え手術の後の頭部CT実施義務についての高裁の判断が、参考になる。
本最高裁の裁判官山崎敏充の補足意見は高裁の過失認定に疑問を呈するが、失見当識が出現し、脳室ドレーン排液が水性から淡血性となっていた場合、従命可能な状態であっても、今後類似事案で頭部CT実施義務が肯定される可能性がある。
 患者側にとっては、最高裁は、第一小法廷、第二小法廷に続き、第三小法廷も、「期待権侵害」について限定的消極的な姿勢を示したことから、今後「期待権侵害」より「相当程度の可能性」を主張立証すべきと思われる。
 頭部CT実施義務違反と損害との因果関係が、高度の蓋然性のみならず相当程度の可能性も認められていないが、これは、患者側の立証方法とも関係する。
 山崎補足意見が「匿名意見書の証拠価値については慎重な検討を必要とすることはいうまでもないところであり、やはり鑑定を実施するなどした上で、それにより得られた中立的な立場からの専門的知見を活用して、医学的見地からも十分説得力のある根拠を付した認定判断をすべき事案であったように思われる。」と指摘するとおり、法律家にとっては匿名意見書ではなく鑑定等の立証を考えるべきであったと思われる。