Vol.190 脳梗塞に罹患した患者に対する医師の検査義務と患者の期待権

―脳梗塞の発症を鑑別するための検査義務が認められ、後遺症が軽減された相当程度の可能性があるとされた一方、患者の期待権侵害は否定された事案―

大阪地方裁判所平成28年3月8日判決 判例時報2318号59頁
協力/「医療問題弁護団」 笹川 麻利恵弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者X(昭和20年生まれ・女性)は平成12年と16年に2度にわたって右脳梗塞を発症した既往があった。

平成22年11月2日、Xは転倒してY病院に救急搬送された。搬送時、Xにはけいれん重積発作等があり、入院となった。11月4日には右鎖骨骨折観血的手術を受けた。なお、Xは入院前からアスピリン等の処方を受けており入院後も服用を継続した。

11月13日午後3時20分ごろ、(事後的に見れば)Xは、左脳梗塞を発症した。

同日午後6時57分、Xは頭部CT検査を受けた。CT画像(以下、「本件CT画像」という)には、脳梗塞のアーリーCTサインとみられる所見があるが、当時はかかる読影評価はされなかった。

11月15日、Xの親族がY病院への不信から弁護士に相談の上、同日中のCT撮影および診察などを求めるFAXを送信した。

11月16日午前10時23分、Xに頭部CT検査が実施されたところ、左側頭葉に低吸収域が認められ、A医師(脳神経外科医)により急性脳梗塞と診断され、オザグレナトリウム(抗血小板薬)の投与が開始された。

11月18日、Xの親族の希望によりXはZ病院に転院となった。転院後、オザグレナトリウムの投与は中止された。

Xには、重度の失語症、脳血管性認知症などの後遺症が残った。

Xの成年後見人が法定代理人として、Y病院に対し、主位的にA医師の診断義務違反、検査義務違反による診療契約の債務不履行、予備的に適切な診療行為を受ける期待権侵害を主張して、損害賠償を求めた事案である。

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判決

争点は主に以下の4つとされた。【1】11月13日午後8時の時点(CT画像の読影に要する時間を1時間とみて、それが経過した時点)で脳梗塞発症を診断できたか、【2】同時点で脳梗塞発症を鑑別する検査を行う義務があったか、【3】後遺症を回避または軽減できた相当程度の可能性があるか、【4】適切な医療を受ける期待権が侵害されたといえるかである。


1 診断義務(【1】)について

(1)患者Xは、11月13日午後の臨床症状には脳梗塞の徴候があり、かつ本件CT画像にはアーリーCTサインがあるため脳梗塞発症と診断すべきと主張した。これに対して、Y病院は、Xの症状はてんかん症状や右鎖骨術後の症状と矛盾せず、かつ、明らかなアーリーCTサインとはいえないと争った。

(2)判決は、Xの症状は、「てんかん発作と考えても矛盾しないと同時に、新たな脳梗塞の症状と考えても矛盾しないもの」で確定診断はできなかったとし、かつ、アーリーCTサインの読影が容易とまではいえず、脳梗塞発症を診断できなくても医療水準にもとると評価できないとした。


2 検査義務(【2】)について

(1)患者Xは、A医師はXの脳梗塞発症を疑いMRI、造影CT等の検査を行う義務があったと主張したが、Y病院はこれを争った。

(2)判決は、11月13日午後8時の症状は新たな脳梗塞発症と見ても矛盾せず、アーリーCTサインを疑う余地があるにもかかわらず、A医師が経過観察とした点を捉え、脳梗塞は早期に発見し治療を開始することで予後の改善可能性が高まる疾患であり、「早期に脳梗塞か否かを鑑別するための対応をする必要があった」と判断した。

そして、MRIの拡散強調画像または造影CTが鑑別検査として有効で、いずれも実施可能だったのだから、それら検査を行えば脳梗塞発症の診断ができたとし、検査義務違反を認めた。

なお、翌14日午前にもXの意識障害は継続し、てんかんとは別の病態を疑えたため、遅くとも14日午前の時点で検査義務があったともした。


3 後遺症を回避または軽減できた相当程度の可能性(【3】)について

(1)患者Xは、後遺症を回避または軽減できた相当程度の可能性があると主張した。これに対して、Y病院は、本件CT画像でアーリーCTサインがある場合の予後は不良であること、アスピリン等が投与されていたこと、11月16日にオザグレナトリウムの投与を開始したが転院後に中止されてしまったことから、相当可能性はないと争った。

(2)判決は、想定される治療法と回復可能性を順次詳細に検討した上、遅くとも11月14日の午前中までに検査義務を履行していれば脳梗塞の確定診断が可能となり、時間的にみて、「アルガトロバン、エダラボンおよびそれらの併用による投与ができたといえるところ、その場合にはオザグレナトリウムの単独投与と比較して」「予後が改善された可能性があった」とした。また、転院後にオザグレナトリウム投与が中止された点につき、患者親族の不信感が増幅するに至った経緯を挙げ、「Y病院の対応に一定の問題があったことにも起因している」とした。

さらに、後遺症はオザグレナトリウムの投与すら不十分であったために生じたとして、適切な投薬治療がされていれば後遺症を軽減できた相当程度の可能性があったと認定した。


4 期待権侵害(【4】)について

(1)「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に、医師が患者に対して、適切な医療行為を受ける期待権の侵害を理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは、当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである」とされる(最高裁平成23年2月25日判決)。

(2)本件では、検査義務違反につきXの症状がてんかん発作の再発とも理解し得たこと、アーリーCTサイン読影は容易とはいえないことなどから、著しく不適切な医療行為とまでは評価できないとし、期待権侵害を否定した。

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判例に学ぶ

1 脳梗塞発症の診断義務における本件の特殊性として、てんかん症状との鑑別が困難ともいえたことが挙げられ、消極的な判断につながった一因と考えられます。

2 しかし、危険性の高い疾患の可能性がある場合、それを除外すべく鑑別していくべきであり、特に脳梗塞は早期に発見して治療を開始することが求められ、数時間単位で予後が異なり得る疾患なのですから、脳梗塞発症とも考えられる症状がある以上、鑑別のためさらなる検査が求められていたと考えます。経過観察というのは疾患の特性からしても不適切であり、判例もそうした判断に基づいて検査義務を肯定したものと考えます。

3 もっとも、検査義務違反により患者の予後がどのように異なったのかの立証はハードルの高いものです。本裁判例も悩みを見せつつ、各治療法と回復可能性についての医学的知見を詳細に認定しました。そして、相当程度の可能性を肯定するという判断がなされました。

なお、本件ではXの親族が不信感を増幅させ、Xが治療途中で転院となり、有効であり得た治療の継続が実現されなかったのは残念です。医療者と患者側の信頼関係の構築が効果的な医療の実現に不可欠である一例ともいえます。

4 なお、期待権侵害は前述の最高裁判例で言及されましたが、医療者は患者の治療のために医療行為を行っているのであり、「当該医療行為が著しく不適切なものである事案」というのは通常想定しがたく、本件でも否定されています。患者と医療者の双方が納得できるような基準の樹立に向けてさらなる検討と議論が待たれるところと考えます。