Vol.191 審美的口腔外科分野における説明義務と患者の自己決定権

―下顎前突症を治療するための下顎後退術を受けた患者が、神経損傷等後遺症発症の責任を求めたのに対し、合併症の説明義務違反が認められた事例―

鹿児島地裁平成19年12月5日判決・鹿児島地裁平成17年(ワ)第517号D1-Law.com判例体系)
協力/「医療問題弁護団」 大森 夏織弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

本件は、顎変形症の一種である下顎前突症を治療するために矯正治療と顎外科手術が併用され、2002(平成14)年9月に某大学歯学部附属病院で下顎枝矢状分割法による下顎後退術を受けた女性患者が、術後の顔面神経麻痺やオトガイ神経麻痺、点滴時の橈骨神経障害を、後遺症として責任を問うた事案です。

手術前のカルテに「顔面神経麻痺が出現する可能性がある」旨の記載があり、また、病院側は、術後1週間の両頬腫脹、オトガイ神経の主要症状である下唇のしびれ等について説明したと述べていました。
患者は、術後5日目の時点で、右目を閉じられない、鼻唇溝消失、口笛吹けず等の顔面神経麻痺症状が認められ、その後種々の治療により、最終的に80%の回復が自覚されるも、右末梢性顔面神経麻痺の症状が残存しました。
また術後しばらくの後、下顎部分にしびれの症状が生じ、現在も残存。さらに術後11日目から現在に至るまで左手首から指先の電撃痛があります。

患者は、(1)下顎骨後退操作中等に顔面神経を損傷し、骨切り時にオトガイ神経を損傷した過失、(2)麻酔時の左橈側皮静脈からの点滴時に神経損傷した過失、(3)手術の利害得失や手術の有効性・危険性、合併症の具体的内容や頻度・予後等の説明義務違反、(4)説明が尽くされていれば手術を受けなかったので麻痺等による全損害約2278万円の損害、を主張しました。

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判決

(1)につき、手術操作により直接顔面神経が損傷された場合には術直後から麻痺が出現するのが通常であるところ患者に顔面麻痺症状が出現したのは術後5日目であること、病院側が主張した、術後の浮腫や血腫の圧迫による麻痺であることに合理性がある、また、手術時にオトガイ神経を損傷したとの明白な所見も認められないとされ、いずれも患者の主張を認めませんでした。

(2)につき、橈骨神経知覚枝損傷の可能性が最も考えられるとの病院側専門家の意見もあるものの、その場合患者に損傷時から激しい痛みがあるはずであるとして、患者の主張を認めませんでした。

(3)につき、手術が矯正治療の一環であり矯正医から術前説明があったとしても、手術を実施する専門機関として病院自ら本件手術に伴う合併症の具体的内容・発生頻度・予後等について十分な説明を行う義務があるとしました。
そして、カルテの「顔面神経麻痺が出現する可能性がある」の記載のみでは十分な説明といえず、またオトガイ神経麻痺については、病院側が訴訟段階で「1年以上長期にわたりオトガイ神経麻痺の存在」「下唇しびれについて1年かかる人もいる」と説明した、と主張したことはたやすく信用できないとして排斥し、説明義務違反を認定しました。

(4)については、患者が十分に説明を受けても手術を選択した可能性があると認定し、患者の自己決定権侵害の慰謝料にとどまるとして、200万円の限度で賠償を認めました。

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裁判例に学ぶ

本件は、事案や判決がやや古いものですが、それほど多くはない口腔外科関連とりわけ審美的な顎関連手術案件で在り、特に説明義務と患者の自己決定権のあり方について参考となるため紹介します。

説明義務の前に、患者の手技ミス主張について簡単に述べますと、判決では、顔面神経、オトガイ神経、橈骨神経について、いずれも手術や点滴針による直接損傷を認めませんでした。
患者の痛みの主訴が発現した時期や、おそらくは損傷過程の具体的主張ができなかったことが理由と思われます。
一般に、手術手技等の作為型ミスの裁判で、患者側が、あるべき手技と当該手術におけるその不具合、損傷までの具体的過程を立証することは極めてハードルが高く、また痛みの発現という個人差があり得るとも考えられる症状が認定の帰趨を左右しがちであるため、この判決からもあらためて、手術手技に対する責任の認められにくさを感じました。
インプラント事案を除けば口腔外科関連の訴訟は多くないものの、筆者の経験上、損害を金銭評価した場合に低額になりがちであるゆえに、患者の受けた被害が埋もれやすく回復されにくく、泣き寝入りするケースが多いのではないかという印象を持っています。
しかしながら、審美的口腔外科案件では、とりわけ医療行為の当初予定した「結果」への期待感が大きいこと、前記のような手技ミスが立証しにくいという患者側にすればハードルが高いこと、そして「インフォームド・コンセント」(以下「IC」といいます)すなわち説明による情報共有と患者の自己決定がとりわけ重要であること、などの特徴があります。
この裁判例紹介コーナーも長年にわたり、お読みいただいている医療者の方がたは、もはやICが「説明と同意」にとどまる、とお考えの方はあまりおられないと思います。
今日、ICは「患者の自己決定権の保障」、つまり患者が医師から得た情報・治療法の選択肢を自ら選ぶという意味です。裁判では、ICが適切になされていたのかは、医師に説明義務違反があったかどうかという形で問われます。
裁判で一般的に求められる説明義務の一般的要件についても、このコーナーで繰り返しご紹介していますが、本件はじめ口腔外科、形成外科、矯正歯科や美容外科のような審美的・整容目的での手術において、裁判例では「より詳しい説明」と「患者の熟慮機会の十分な提供」を求められます。
つまり、通常の手術の場合以上に、手術の審美・整容の結果、手術による傷痕の有無、合併症の具体的内容はもちろん予想される状況など、患者がその手術を応諾するか否かの判断材料と、判断するに十分な熟慮期間を患者に提供することが必要なのです。

本件では、手術をした大学病院は、術前矯正医で説明されていることも情報提供であると弁明したり、手術の結果生じる合併症についても具体的で詳しい説明をしていないこと(詳しい説明をしたとする主張は判決では疑いを持たれています)がうかがい知れ、患者に対して十分な詳しい判断材料の提供をしておらず、患者の自己決定権を侵害した旨判決で認定されています。

あらためて、審美的口腔外科における説明義務と患者の自己決定の重要性をお伝えするとともに、日々のICにおいて医師・医療機関に求められることとして、「その患者」に必要な情報の提供、「患者の目線」に立つ情報(患者が知りたいこと、不安なこと)の提供が求められることも、併せて強調したいと思います。