Vol.201 ガイドラインは何のためにあるのか

―肺血栓塞栓症治療のため留置している硬膜外カテーテル抜去後、抗凝固薬を投与したところ、重篤な硬膜外血腫を生じた事例―

東京高裁 平成24年11月21日判決
協力「医療問題弁護団」高木 康彦弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

判決が認定した事実経過

平成18年9月、X(65歳、男性)は、Y病院で、硬膜外麻酔により早期大腸がんの手術(横行結腸切除術)を受け、術後1日目午後2時10分ごろに歩行を開始したところ、気分が悪くなり、ベッドに戻った後1分間意識を消失した。医師は、肺血栓塞栓症と診断し、Xを治療のため循環器専門のZ病院に搬送し、午後5時15分、Xは同病院に到着した。

Xの意識は清明であったものの、中等症から重症の肺血栓塞栓症と診断され、午後5時30分から45分までに、Z病院の医師は、硬膜外カテーテルを抜去し、看護師と交代で抜去部位を15~30分手で圧迫止血した。午後6時ごろ、ヘパリン5000単位を静注した後、1万5000単位/日を持続点滴した。午後9時20分ごろ、Xは家族と面会中に気分不快感を覚えるとともに、収縮期血圧が60mmHgまで突然低下した。下肢を挙上し、補液負荷をしたところ、同血圧が120mmHg まで復帰したので、一過性のショック状態と判断し、経過観察としたところ、午後10時ごろ、Xは、両下肢の脱力感を訴え、医師が診察すると、両鼠径部以下の完全感覚消失と両下肢完全まひを認めたため、午後10時30分ごろまでにヘパリンの投与が中止された。午後11時20分に腰椎MRI検査を施行したところ、硬膜外カテーテル留置部位に血腫と脊髄圧迫像が認められ、血腫圧迫による両下肢まひと診断した。そして午後9時20分の血圧低下も脊髄性ショックではないかと判断した。

Xは、Y病院へ再搬送され、同病院の整形外科医により血腫切除の減圧術を受けたが、脊髄硬膜外血腫により「両下肢機能の全廃」の障害が残った。


裁判における争点

Xおよび妻子は、YおよびZ病院の治療行為が『肺血栓塞栓症/深部静脈血栓症(静脈血栓塞栓症)予防ガイドライン』(平成16年6月30日発行)に反するなどとして提訴した。Y病院医師の肺血栓塞栓症予防義務違反なども争点となっているが、ここでは、Z病院の治療行為を取り上げる。

前記ガイドラインは、特論で『静脈血栓塞栓症予防と局所麻酔:抗凝固療法と脊髄硬膜外血腫』に言及し、抗凝固薬投与下では硬膜外麻酔での脊髄硬膜外血腫の発生頻度が増加するとして、治療量未分画ヘパリン投与中の注意事項として
(1)完全な抗凝固状態の患者には、針の刺入れやカテーテルの抜去をしてはならない。
(2)カテーテル抜去が必要な場合は、未分画ヘパリン投与の中止後、少なくとも4時間経過後に凝固機能〔活性化部分トロンボプラスチン時間(APTT)、活性化全血凝固時間(ACT)、血小板数〕を評価してから行う。
(3)未分画ヘパリンの投与は、刺入れ後1時間以内は行ってはならない、などと記述している。

肺血栓塞栓症治療のため、硬膜外カテーテル留置中の患者を受け入れたZ病院としては、硬膜外カテーテル抜去時および抗凝固療法施行時に硬膜外血腫となるリスクが高いことを鑑みて、前記ガイドラインに従い、硬膜外カテーテル抜去後にヘパリンを投与する際には1時間以上経過してから投与し、治療を急ぐ必要があり硬膜外カテーテルを留置したままヘパリンを投与するのであれば最終投与から4時間経過後に硬膜外カテーテルを抜去すべきであるところ、Z病院の主張によっても、硬膜外カテーテル抜去の15分後にヘパリンを投与した過失により、Xに両下肢まひの原因となる重篤な硬膜外血腫を発症させた。


東京地裁 平成24年5月17日判決

両病院医師の注意義務違反を否定。原告ら控訴。

東京高裁 平成24年11月21日判決

(1)Z病院でのXの状態は、硬膜外カテーテル抜去後ヘパリン投与を1時間待つことができないような治療に緊急性のある状態ではなかった。
(2)そもそも、Z病院のA医師は、硬膜外カテーテルを抜去する際、1時間の休薬期間を置かずにヘパリンを投与する行為が「禁忌」に当たる行為であることを具体的に認識していなかったし、その場にいた他の医師も、硬膜外カテーテルの抜去を行うにおいて、「禁忌」に当たる行為のリスクと硬膜外カテーテルを留置したままヘパリンを投与する際のリスクとを比較して、前者のリスクを上回る救命治療の有用性について検討していなかった、と原判決を補正したうえで、次のとおり判示した。

(1)について「本件ヘパリン投与時点では、Xが肺血栓塞栓症を発症して1分程度失神してからすでに3時間以上が経過しており、循環動態は安定していた(証人Y病院医師)。また、Z病院においても、先着の他の患者の処置を先行して行うなど、Xが一刻を争う緊急の対応を要する状態であることを示すような対応はしていない」としても、Z病院における当初の検査などでも、中等度以上の重症度と認めるに足りるものであり、文献上、肺血栓塞栓症は心原性ショックを示さない事例でも6%の死亡率があるなどと述べ、控訴人らの主張をしりぞけた。そして、平成16年に日本循環器学会ほか6学会が参加した合同研究班における『肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断・治療・予防に関するガイドライン』が別に存在していたところ、その中では、肺血栓塞栓症に対する処置としては、ヘパリンの投与による抗凝固療法が第一選択とされ、禁忌でない限り、重症度によらず最初に必ず実施すべきものとされていることからすれば、本件においてもZ病院の医師らの判断は正当なものであった。

そして、(2)についても、本件のヘパリン投与が行われた平成18年9月の時点では、硬膜外カテーテル抜去後にヘパリンを投与する場合において、硬膜外血腫の発生について、具体的にどの程度の危険性があるか、さらには、これを回避するためにはどの程度の休薬期間を置くべきかについて具体的な知識を一般的には有してはいなかったものとみることが相当であるから、硬膜外カテーテル抜去後にヘパリンを投与する場合には1時間の休薬期間を置くべきことが、麻酔科以外の医師に係る医療水準として確立していたとまでは認めることはできない。よって、麻酔科医の関与なく行われた本件ヘパリン投与において、硬膜外カテーテル抜去後に1時間の休薬期間を置かなかったこと、また、1時間の休薬期間を置かないで投与を行う場合の硬膜外血腫発生のリスクの増大を明確に認識して考慮することなく本件のヘパリン投与の判断(硬膜外カテーテルを留置したままヘパリンを投与するか、抜去したうえで投与するかの判断を含む)を行った事実があるとしても、これ自体をもって、本件ヘパリン投与に関係したZ病院の医師らに過失があったと認めることはできない。そして、同医師らに麻酔科の医師の意見を確認したうえで本件ヘパリン投与を決定すべき注意義務があったと認めることもできない。


判決の問題点

本件では、Z病院での医師の治療行為の適否について、原告側で意見書を作成した麻酔科医師と被告Z病院側で意見書を作成した循環器内科医師とで見解が分かれましたが、上記麻酔科医師は「東京高裁は『硬膜外カテーテル抜去後1時間は、ヘパリン投与は禁忌』というガイドラインがあったとしても麻酔科以外の医師は、まだ知識として持ち合わせていない、すなわち、標準的な医療になっていないとして、地裁判決と同様に病院側の勝訴とした。……麻酔科医としては防ぐことのできる合併症を無視する判決に思える。ガイドインは、標準的医療の普及、医療全般のレベルアップのためにある。それを知らなければ守らなくてよいのなら、医療の質は下がる」と述べています(「臨床麻酔」37巻3号561頁「コラム」)。実際、知識もなく無頓着に硬膜外カテーテルを抜去した医師の治療行為と、治療法の利害得失を十分検討し患者および家族に説明をしたうえで行った医師の治療行為が同価値とされることには疑問が残ります。医療関係者が先例としてはならない判決です。

*参考文献「硬膜外カテーテル抜去後、抗凝固療法開始に伴い重篤な硬膜外血腫を生じた1 症例」(麻酔57巻4号424~427頁)、「周術期抗凝固療法・抗血小板療法中の硬膜外麻酔に関する意識調査アンケート」(「日本臨床麻酔学会誌」27巻4号332~338頁)