Vol.204 採血手技上の過失による正中神経損傷について

東京高裁 平成27年3月25日判決 平成24年(ネ)第1456号
協力「医療問題弁護団」松田 ひとみ弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

研究プロジェクトの主催した双生児の調査に参加協力して採血検査を受けた控訴人(第一審原告・当時20歳女性)が、看護師の採血手技上の過失により正中神経を損傷し、これに起因する複合性局所疼痛(とうつう)症候群(CRPS)typeIIを発症したとして、同プロジェクト(民法上の組合)の構成員および同看護師(組合の事業をアルバイトとして採血を実施した者)に対し、損害賠償を求めた事案である。

判決

1 第一審(請求棄却)
(1)事実経過等

平成11年3月28日、研究プロジェクト主催で、双生児を対象とする調査が実施され、原告は、双子の姉とともに調査に参加した。採血は、被告I医師、J医師および被告看護師により実施され、被告K医師および被告C医師が採血の監督をしていた。被告看護師は、採血ホルダーを右手に持ち、原告の右腕の穿刺(せんし)箇所に採血針を穿刺し、原告の静脈血管内に採血針が入ったことを確認し、採血針を進めた後、採血ホルダーを左手に持ち替え、右手で真空採血管を差し込んだ。被告看護師が真空採血管を挿入した際、血液の逆流が始まり、原告は挿入とほぼ同時に、「痛い」という声を発した。その後、被告看護師は、左手で持っていた採血ホルダーを右手に持ち替え採血針を抜き、必要量の血液を採取することができないまま採血を中断した。

被告看護師は、他の医師を呼び、引き継いだ被告C医師は、原告の左腕から採血を行った。原告は、被告C医師による採血の際には痛みを感じなかった。原告は、同日予定の他の検査を終えた後、スタッフの集まっている部屋に行き、右腕の痛みを訴えた。被告C医師は原告の腕を診察し、病院連絡先および外来担当日等を記載したメモを渡した。

原告は、被告C医師のいる病院を受診し、3月28日の本件採血時から右手がしびれて常時痛む旨訴えた。原告の握力は、右が4kg、左が11kgであった。被告C医師は、末梢神経損傷の可能性があると考え、整形外科のD医師を紹介した。

D医師は、診療録に、右肘内側に強いティングリング(叩打<こうだ>痛)、正中神経領域に知覚障害、前腕全体に灼熱感があることを記録し、傷病名として「右正中神経障害」と記載した。その後の診療は続き、D医師は、やはり正中神経障害であると考えた。

さらに、原告は、V診療所において通院治療を受け、診療録には、「正中神経を刺したのだろう」、「反射性交感神経性ジストロフィー」との記載がある。

(2)正中神経損傷について

東京地裁は、原告の症状については、正中神経領域と尺骨(しゃっこつ)神経領域とを境に症状の出現の仕方が異なり、正中神経領域に症状が全面的に出ているということができるが、証人D医師が、[1]正中神経領域に症状が全面的に出ているとともに、その他の領域にも症状が出ているという状況は、正中神経の損傷があったことを否定するものではないものの、逆に積極的に肯定するものでもない、[2]正中神経損傷の場合には、上記の知覚検査結果は尺骨神経領域がはっきりと正常に近い状態になるはずであるが、本件ではRSD(反射性交感神経性ジストロフィー)による全体の過敏反応が出ているために、前述のような結果になったと考えられる、[3]正中神経損傷の症例報告は多数あるものの、本当に正中神経が損傷されているのか、正中神経領域に障害が出ているから正中神経損傷としているだけなのかはよく分からず、前腕の内側皮神経や外側皮神経に針が達しただけなのに、RSDのようにメカニズムのよく分からない反応で正中神経の過敏反応が出ているとも考えられると証言していることから、正中神経領域に症状が全面的に出ていることが認められるとしても、他方で正中神経領域以外の領域にも症状が出ていたものであるから、正中神経に損傷がないのに、RSDのような未解明のメカニズムがよって正中神経に過敏反応が出た可能性を否定することはできないと判示した。

また、原告を診察した医師全員が正中神経損傷と診断している点については、証人D医師の証言等に鑑みると、複数の医師らが正中神経損傷と診断したからといって、直ちに正中神経損傷があったと認めることはできないと判示した。

さらに、正中神経がどの程度の深さを走行しているかについて、皮静脈に採血針を刺入した箇所から少なくとも1cm以上の深さまで採血針を到達させないと正中神経に触れることはないということができ、被告看護師が、針を15度ほどの角度で刺し、深くても針先を5mm程度までしか入れておらず、針を根元まで入れたようなことはないと認められることを考慮すると、正中神経損傷があったと認めることは困難であると判示した。

2 控訴審(原判決取り消し、請求一部認容)
(1) 正中神経損傷について

東京高裁は、採血手技を説明する多くの書籍において、採血時に正中神経を損傷する危険性を示し、注意を喚起しているが、採血針が静脈下辺を突き抜けて筋膜に当たる際の抵抗について記したものはないことから、採血針が筋膜を突き抜ける際の抵抗は大きいものではなく、ほとんどの医師は筋膜穿刺時に抵抗を感じず、したがって、被控訴人看護師が筋膜穿刺の感触を感じなかったからといって正中神経を損傷していないとはいえないと判示した。

そして、控訴人の右腕の上腕骨外側上顆と上腕骨内側上顆を結んだ線上にチネル徴候が認められ、この位置を基準点とし、控訴人の右肘窩(ちゅうか)付近のMRI画像によれば、基準点付近では正中神経が正中皮静脈のやや橈側(とうそく)の深部にあり、正中神経の上辺は表皮から約5.8mmの深さにある。被控訴人看護師のいう刺入部位は基準点から末梢方向に11~13mmの位置であり、標準的な刺入角度である24~28度で採血針先端を4.52~6.87mm刺入すると、採血針先端は静脈内にあり、その位置から採血針先端を6.77~7.38mm進めると採血針先端が正中神経に接触し、この時の皮膚内に刺入された採血針の長さは12.45~14.25mmと計算されるため、採血針の根本まで皮膚内に刺す必要はなく、また被控訴人らが主張するように15度の刺入角度で採血針を5mm程度刺しただけでは採血針先端が静脈上辺にも達しないことになり、被控訴人らの採血針の刺入角度と深さについての証言は不合理であると判示した。

(2) 被控訴人看護師の過失について

本件採血は、真空採血管を使用する方法によるものであり、採血手技を解説する文献には、採血時には針先の動きがないように採血ホルダーを固定すべきであると記されていることが認められ、従って、被控訴人看護師は採血に際し、採血ホルダーを固定し針先が動かないようにすべき注意義務があり、これに反して採血ホルダーの把持固定が不十分なまま真空採血管を挿入したため、採血針の先端が採血静脈を逸脱し、正中神経に損傷を与えたと認められると判示した。


裁判例に学ぶ

本件における第1の特徴は、控訴人の正中神経の解剖学的位置について、MRI画像によって特定し、正中神経損傷の有無について、地裁の判断を覆している点にあります。第2の特徴は、法的責任について、被控訴人看護師は民法709条の不法行為による損害賠償義務を負い、他の被控訴人らは民法715条に基づき組合債務としての損害賠償義務を負った点にあります。医療訴訟において、民法715条に基づく損害賠償義務は、通常、医療法人や学校法人といった法人が負うからであり、本件プロジェクトのような場合には、構成員(本件プロジェクトを結成していた研究者)に法的責任が生じることに留意すべきと考えます。