Vol.208 肺組織への誤穿刺を原因とする脳の空気塞栓症に対する予見可能性

―肝臓位置が適切に確認できないにもかかわらず強行した肝生検につき
注意義務違反があったと認定し、後遺障害との間の因果関係を認めた事例―

東京地方裁判所 令和2年1月23日判決(平成29年(ワ)第30300号)
協力「医療問題弁護団」 佐藤 孝丞 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

本件は、原告らが、X病院(学校法人であり被告Yが開設・運営)所属のE医師(補助参加人)がなした肝生検での穿刺(せんし)等が注意義務違反に当たる旨主張し、Yに対し、原告A(患者)においては、不法行為または債務不履行に基づく損害賠償、原告B(Aの夫)、原告Cおよび原告D(いずれもAの子)においては、不法行為に基づく損害賠償を求めて提訴した事案である。

Aは、肝臓の病態を把握するための肝生検を受ける目的で、X病院に入院した。その上で、Aに対し、E医師によるエコーガイド下での経皮的肝生検(以下、本件肝生検)が開始され、5回の穿刺が実施された。本件肝生検では、F臨床検査技師(以下、F技師)が腹部エコーを実施し、G看護師が、E医師の補助をするとともに、本件肝生検の経過を観察表にまとめた。本件肝生検の終了直後、Aが2回ほど咳をし、急激に意識を喪失した。頭部CT検査の結果、右半球に広範な空気塞栓を疑わせる所見が認められた。

Aは、本件肝生検後X病院に入院し、治療およびリハビリを受けた。X病院の医師により、Aにつき、右脳梗塞(空気塞栓症)による左片麻痺と感覚障害が残存し、左上肢は一部支持手、左下肢は跛行(はこう)にて杖歩行の状態で、麻痺症状は固定した旨の診断がされた。

判決

本件の争点は、本件肝生検の手技の経過、E医師の注意義務違反(過失)の有無、因果関係の有無および損害の発生・数額である。

1 本件肝生検の手技の経過について

まず、Y側は、5回の穿刺で使用された生検針の種類等について、生検針を替えた旨主張した。これに対し、本判決は、合理性の観点から直ちに首肯し難いこと、G看護師作成の観察表が原則として信用できることを主な理由として、Y側の主張を退けた。

次に、Y側は、Aの肺を誤穿刺するに至ったことには合理的な理由がある、すなわち、5回目の穿刺において、E医師ないしF技師が2度にわたって息を止めるように指示したにもかかわらず、Aが深く息を吸って肺が下方に移動したからである旨主張した。これに対し、本判決は、主に次の理由から、Y側の主張を排斥した。

● Y側の主張する誤穿刺の原因が認識ないし検討された旨は、X病院の医療記録中には存在しない。

● 穿刺針が肝被膜の直前まで到達していたのだとすれば、穿刺針の発射と同時にAが息を吸ったとしても、肺が、肺実質の採取可能な穿刺針の手前の位置まで下がったとは容易に考え難い。

● E医師によるBらへの説明内容についての看護記録に、「空気を吸うと肺が肝臓の方に下がる。穿刺時には呼吸を止められないので、吸気時の中間ぐらいで行う。」との記載があるが、これは、穿刺時の一般的な状況の説明と解され、Y側の主張に係る肺誤穿刺の原因を説明したものと解することはできない。

● 医学的知見では、エコーガイド下の肝生検は比較的安全だとされており、肺穿刺は一般に肝生検の合併症には挙げられていない。

● F技師は、エコーガイド下での肝生検について、平均的な穿刺回数は2、3回で、本件肝生検は通常より1、2回は穿刺回数が多く、時間も少し長めにかかった旨証言している。

● 5回にわたる本件肝生検において、結局、肝実質は全く採取できなかった上に、肺実質まで穿刺をしている。

● Aが極度の肥満体型(BMI48.9)で、本件肝生検実施前に行われた肝硬度検査は、その皮下脂肪の厚さのために中止された。

2 E医師の注意義務違反(過失)の有無について

本判決は、E医師が、本件肝生検におけるエコー画像では、Aの肝臓その他の臓器を十分に描出、確認できる状態ではなかったにもかかわらず、穿刺を繰り返した旨認定した。また、医学的知見や本件肝生検に至る経緯に照らし、このような状態で本件肝生検をあえて強行したことを正当化する事情を認めることはできないとして、E医師による本件肝生検には、Aの肝臓の位置が適切に確認できないにもかかわらず強行した注意義務違反があったと認定した。

3 因果関係の有無および損害について

本判決は、Aの後遺障害は、本件肝生検においてAの右肺が穿刺されたことにより生じた脳の空気塞栓症を原因とするものと認めるのが相当として、注意義務違反とAの後遺障害との間の因果関係を認めた。

また、本判決は、Yが、(1)Aに対し、1億2799万425円、(2)Bに対し、110万円および(3)CとDに対し、各55万円の損害を、それぞれ症状固定日からの遅延損害金とともに賠償する責任を有すると判示した。


裁判例に学ぶ

1.予見可能性については複数の医学知見を検討することが必要

本件でY側は、注意義務違反について、仮に肺組織への誤穿刺があったとしても、脳の空気塞栓症が生じる確率は、直接的に肺組織を狙う肺生検においてさえ0.061%と報告されており、肝生検においてはさらに低くまれなことであるから、これを予見することはほとんど不可能であった旨主張しました。
しかし、本判決は、次の理由から、肺を誤穿刺した場合に、脳の空気塞栓症が発症し得ることにつき、予見可能性がなかったとはいえず、Y側の上記主張は採用することができないとしました。

● 現実に発生する確率はともかく、肺を誤穿刺すれば血管内に空気が入り込んで空気塞栓症が生じ得ること、その空気が血管内を循環し脳に至ることもあり得ることは、医学的に明らかといえる。

● 医学的知見においても、肝生検の合併症として肺穿刺を挙げる文献があり、肺生検の合併症として空気塞栓を挙げる文献がある。

訴訟において自己に有利な医学文献を証拠提出することは当然です。ただ、医学知見にもさまざまなものがあり、本件のような自己に不利な文献等についても調査の上、反論していく必要があります。
特に、自己に不利な記載のある文献が有名なものだったり、教科書として採用されているものであったりすると、注意義務違反すなわち過失の前提たる予見可能性が肯定されやすいといえます。

2. 証言の信用性を得るのは非常に大変

本件の特徴の一つとして、例えば、以下のように、Y側の証人による証言の信用性がさまざまな争点の中で否定されている点が挙げられます。

● 5回の穿刺で使用された生検針の種類等について、E医師の証言の信用性を否定し、観察表が原則として信用できるとした。

● 肺誤穿刺の原因等について、本件穿刺時の客観的な状況、医療記録・看護記録や医学知見、証言の曖昧さ等からE医師およびF技師の証言の信用性を否定した。

基本的に、訴訟当事者と密接な関係にある者の証言や陳述の信用性は、裁判所から割り引いて見られるといえます。また、証言等の信用性は、争いのない事実や客観証拠との整合性が重視されます。自分側の者がなす自己に不利な証言も、虚偽証言の動機がないときには信用性が認められやすいです。本件では、証人らが訴訟当事者と密接に関係する者である点のみならず、まさに客観証拠等との不整合が原因で信用性が否定されたものといえます。また、随所でF技師やG看護師の証言のうち、Y側に不利な方向に働くものが採用されています。

訴訟対策という面では、客観証拠をいかに残すかが重要であるのはもちろんのこと、証人尋問の準備において、証言等をする者の認識する事実の中から客観証拠との不整合や自己に不利なものの有無も点検し、対策をしたいところです。

3. 近親者固有の慰謝料

本件でAは死亡していませんが、B、CおよびDに固有の慰謝料が認容されています。これは、損害の賠償について民法711条が「生命を侵害した」場合と定めているところ、障害を負ったに過ぎない場合にどのように解釈するかという問題です。 この点、判例は、身体を害された者の母は、そのために被害者が生命を害されたにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合、自己の権利として慰謝料を請求できるとしています(最高裁昭和33年8月5日判決)。この判例からすれば、例えば、介護が必要な高度後遺障害となった場合や、顔面傷跡が残ってしまっている場合等には近親者に固有の慰謝料が認容されることになります(実務上もそのように扱われています)。本件でAは後遺障害等級第2級の高度後遺障害が認定されていますので、B、CおよびDに固有の慰謝料が認容されたのでしょう。