1 本件の主要な争点
本件では、A病院心療内科の医師らに、頭部CT検査報告書の脳腫瘍の疑いの記載を見落とし、脳腫瘍を放置した過失(以下「本件過失」という)があることに争いはない。本件の主要な争点は、本件過失とXの後遺障害との因果関係の有無である。
2 因果関係に関するYの主張の概要
(1)脳腫瘍摘出術では、脳腫瘍の大きさにかかわらず、一定割合で後遺症が発生する。
従って、平成18年10月の検査結果で脳腫瘍の疑いとされて、最終的に脳腫瘍摘出術を実施することになり、Xに一定の後遺症が残存していた可能性は否定できない。
(2)B医院での脳腫瘍摘出術(以下「本件手術」という)は、脳弓を損傷するおそれの高い第3脳室付近の脳腫瘍全摘出であり、本件手術後にXに術前にはない著明な記銘力障害が発生していることからすれば、著明な記銘力障害は本件手術の際にXの脳弓等が損傷されたことによるものとしか考えられない。
(3)Xは、平成24年6月に「最近頭痛が悪化している」「本日午後2時ごろ、歩行中に電気のポールにぶつかった」などと訴えており、同年10月ごろには「軽度の記憶障害を認めるようになり、徐々に悪化している」旨の申告をしていた。
したがって、これらの時点で、B医院はシャント感染を疑い、速やかに検査を実施し、シャント抜去やシャント再建を行うべきであった。同年6月以降、シャント感染によりシャントが詰まり、これに対して何の処置も施されなかったことが原因で水頭症が悪化し、現在の症状を発症したものである。
3 裁判所の判断
(1)Yに本件過失がなければ、Xは、定期的な経過観察によって、早期に脳腫瘍の増大を発見され、本件手術よりも早期に脳腫瘍摘出術を受けることができたものと認められる。
そして、本件過失により脳腫瘍が大幅に増大するまで放置された結果、本件手術の危険度が格段に高くなり、術後の水頭症のリスクも増大したことからすると、前述のように早期に脳腫瘍摘出術を受けていれば、平成27年6月3日(症状固定日)時点におけるXの症状の発生を防止することができた蓋然性が高いものと認められる。
(2)Yの主張(1)について
中枢性神経細胞腫で手術を受けた患者のうち、手術関連の合併症の割合は66%であり、手術後の障害の主なものは、不全麻痺および失語症(39%)、記憶障害(29%)、水頭症(26%)であったとする報告もあり、脳腫瘍摘出術の際に手術後の合併症がほぼ確実に生じるとはいえないし、水頭症が脳腫瘍摘出術において高確率で発生するものともいえない。
また、脳腫瘍摘出術においては、一般的に腫瘍のサイズが小さい方が、手術による機能予後低下や合併症の確率は低いなどとされており、平成18年10月時点ではXの脳腫瘍もごく小さかったことからすると、適時に脳腫瘍摘出術を行っていれば、Xに平成27年6月3日時点において高度の後遺症が残存していた可能性は低いというべきである。
(3)Yの主張(2)について
仮に、本件手術における執刀医の過失によってXの脳弓が損傷されていたとしても、本件過失によって、Xの脳腫瘍が大幅に増大するまで放置され、手術が困難になるとともに、脳腫瘍摘出術の合併症等のリスクが大幅に高まったのであるから、本件過失とXの認知機能障害等との因果関係は否定されない。
(4)Yの主張(3)について
Xの平成24年6月時点の訴えは、シャント感染を強く疑わせるものであるとはいえないし、同月以降、シャント感染がさらに悪化したしたこともうかがわれない。また、B医院において、同年10月ないし11月ごろに、Xから記憶障害ないしその悪化の申告を受けていたことはうかがわれない。
さらに、シャント感染の主な徴候は軽度発熱とCRPの上昇であるとされるところ、同年6月以降のXに、これらの症状が生じていたこともうかがわれない。したがって、B医院においてシャント感染を疑い、これに対する治療を行うべき義務があったとはいえない。
(5)結論
よって、本件過失とXの後遺障害(記銘力障害を中心とする認知機能障害、左上肢を中心とした運動感覚機能障害、慢性的な頭痛、嘔気等)との間には因果関係が認められる。