Vol.210 脳腫瘍の疑いを見落とした過失と後医での術後に残存した後遺障害との因果関係が認められた事例

―前医と後医との過失の競合が主張される事例における因果関係の判断―

福岡地方裁判所 令和元年6月21日判決(判例時報2428号)
協力「医療問題弁護団」 森田 和雅 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事案の概要

患者Xは、平成18年10月30日、Yが開設・運営するA病院の心療内科で頭部CT検査を受けたところ、右モンロー孔付近に16mmの結節影が確認された。A病院放射線科の医師は、頭部CT検査報告書に、中枢性神経細胞腫が疑われること等を記載した。

ところが、A病院心療内科の医師は、これらの記載があることを見落とし、その後もXはA病院心療内科に通院するなどしていたが、脳腫瘍に関する治療は行われなかった。

Xは、平成23年11月30日に自宅で転倒し、同年12月2日にA病院において頭部CT検査等を受けたところ、水頭症を合併した中枢性神経細胞腫との診断を受けた。Xの右脳室内の病変は、長径63×52×38mmに増大していた。

Xは、平成24年1月3日、Zが開設・運営する脳神経外科医院(B医院)において脳腫瘍摘出術を受けた上、同月のうちに再度水頭症と診断され、右脳室腹腔シャント術を受けた。その後もXはB医院等での治療を継続したが、記銘力障害を中心とする認知機能障害や左上肢を中心とした運動感覚機能障害、慢性的な頭痛、嘔気等の後遺障害が残存した。

そこで、Xは、Yに対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき、逸失利益、後遺障害慰謝料等相当額の損害賠償を請求した。

判決

1 本件の主要な争点

本件では、A病院心療内科の医師らに、頭部CT検査報告書の脳腫瘍の疑いの記載を見落とし、脳腫瘍を放置した過失(以下「本件過失」という)があることに争いはない。本件の主要な争点は、本件過失とXの後遺障害との因果関係の有無である。

2 因果関係に関するYの主張の概要

(1)脳腫瘍摘出術では、脳腫瘍の大きさにかかわらず、一定割合で後遺症が発生する。

従って、平成18年10月の検査結果で脳腫瘍の疑いとされて、最終的に脳腫瘍摘出術を実施することになり、Xに一定の後遺症が残存していた可能性は否定できない。

(2)B医院での脳腫瘍摘出術(以下「本件手術」という)は、脳弓を損傷するおそれの高い第3脳室付近の脳腫瘍全摘出であり、本件手術後にXに術前にはない著明な記銘力障害が発生していることからすれば、著明な記銘力障害は本件手術の際にXの脳弓等が損傷されたことによるものとしか考えられない。

(3)Xは、平成24年6月に「最近頭痛が悪化している」「本日午後2時ごろ、歩行中に電気のポールにぶつかった」などと訴えており、同年10月ごろには「軽度の記憶障害を認めるようになり、徐々に悪化している」旨の申告をしていた。

したがって、これらの時点で、B医院はシャント感染を疑い、速やかに検査を実施し、シャント抜去やシャント再建を行うべきであった。同年6月以降、シャント感染によりシャントが詰まり、これに対して何の処置も施されなかったことが原因で水頭症が悪化し、現在の症状を発症したものである。

3 裁判所の判断

(1)Yに本件過失がなければ、Xは、定期的な経過観察によって、早期に脳腫瘍の増大を発見され、本件手術よりも早期に脳腫瘍摘出術を受けることができたものと認められる。

そして、本件過失により脳腫瘍が大幅に増大するまで放置された結果、本件手術の危険度が格段に高くなり、術後の水頭症のリスクも増大したことからすると、前述のように早期に脳腫瘍摘出術を受けていれば、平成27年6月3日(症状固定日)時点におけるXの症状の発生を防止することができた蓋然性が高いものと認められる。

(2)Yの主張(1)について

中枢性神経細胞腫で手術を受けた患者のうち、手術関連の合併症の割合は66%であり、手術後の障害の主なものは、不全麻痺および失語症(39%)、記憶障害(29%)、水頭症(26%)であったとする報告もあり、脳腫瘍摘出術の際に手術後の合併症がほぼ確実に生じるとはいえないし、水頭症が脳腫瘍摘出術において高確率で発生するものともいえない。

また、脳腫瘍摘出術においては、一般的に腫瘍のサイズが小さい方が、手術による機能予後低下や合併症の確率は低いなどとされており、平成18年10月時点ではXの脳腫瘍もごく小さかったことからすると、適時に脳腫瘍摘出術を行っていれば、Xに平成27年6月3日時点において高度の後遺症が残存していた可能性は低いというべきである。

(3)Yの主張(2)について

仮に、本件手術における執刀医の過失によってXの脳弓が損傷されていたとしても、本件過失によって、Xの脳腫瘍が大幅に増大するまで放置され、手術が困難になるとともに、脳腫瘍摘出術の合併症等のリスクが大幅に高まったのであるから、本件過失とXの認知機能障害等との因果関係は否定されない。

(4)Yの主張(3)について

Xの平成24年6月時点の訴えは、シャント感染を強く疑わせるものであるとはいえないし、同月以降、シャント感染がさらに悪化したしたこともうかがわれない。また、B医院において、同年10月ないし11月ごろに、Xから記憶障害ないしその悪化の申告を受けていたことはうかがわれない。

さらに、シャント感染の主な徴候は軽度発熱とCRPの上昇であるとされるところ、同年6月以降のXに、これらの症状が生じていたこともうかがわれない。したがって、B医院においてシャント感染を疑い、これに対する治療を行うべき義務があったとはいえない。

(5)結論

よって、本件過失とXの後遺障害(記銘力障害を中心とする認知機能障害、左上肢を中心とした運動感覚機能障害、慢性的な頭痛、嘔気等)との間には因果関係が認められる。


裁判例に学ぶ

本裁判例は、患者の脳腫瘍の疑いを見落として放置した被告病院(前医)に過失があることに争いはなく、当該過失と後医での脳腫瘍摘出術後に残存した患者の後遺障害との間に因果関係が認められるかが争われた事案です。

本裁判例では、後医での過失の有無が明らかにはなっていませんが、裁判所は、前医での過失が後遺障害の発生に寄与していることを認定した上で、仮に後医での手術において執刀医に過失が認められ、これが後遺障害の発生に寄与していたとしても、前医の過失と後遺障害との因果関係は否定されないと判断しています。

このように前医と後医の過失の競合が問題になった過去の裁判例では、後医に過失があることを根拠に前医の過失と結果との因果関係を否定した裁判例もあれば、それでもなお因果関係を肯定した裁判例もあります。

原則としては、前医が後医の過失によって生じた後遺障害の責任を問われることはないと考えるべきですが、因果関係を肯定した裁判例では、前医の過失が後医における医療行為の危険性を誘引ないし増大させたこと等を根拠に、因果関係を肯定しているように思われます。

本裁判例も、前医の過失が後医の手術の危険性を増大させて執刀医の過失が生じやすい状況を作出した可能性があると述べており、この点が因果関係を肯定する重要な要素になったと考えられます。

本裁判例は、前医と後医の過失の競合が問題となる場合の因果関係の考え方について、参考になる裁判例といえます。