Vol.209 気管切開患者に対する吸引時のアセスメント実施義務

―中顔面形成術に伴い気管切開術を受けた患者が、術後にカニューレからの吸引を受け、容態が急変し
低酸素脳症による遷延性意識障害の後遺症を負ったことについて、吸引を実施した看護師に過失を認めた事案―

東京地方裁判所 平成31年1月10日判決
協力「医療問題弁護団」 白鳥 秀明 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事案の概要

患者(事故当時20歳、男性)は、中顔面低形成(アントレー・ビクスラー症候群)を患っており、平成23年8月11日、前医からの紹介により、Y病院を受診した。

患者は、平成24年8月9日にY病院に入院し、A医師らによる上顎骨形成術および下顎骨形成術(以下、合わせて「本件手術)という)を受けた。A医師らは、経鼻挿管下で下顎の切除を行い、経口挿管下で上顎の切除を行うことを予定していたものの、経鼻管から経口管への変更ができなかったので、患者の気管を切開し、気管切開カニューレを留置した上で、上顎の切除を実施し、顔面に骨延長器を取り付けて本件手術を終えた。

術後、患者には適宜に吸引が実施され、毎回、粘稠(ねんちゅう)痰が中等量から大量に引けていた。8月14日17時26分0秒ごろから、E看護師は、F看護師を応援として、二人で患者に対して吸引を試みた。

17時26分30秒ごろから患者は一時激しい体動を生じ、17時26分55秒から17時27分40秒ごろまでは激しい体動が継続したものの、17時28分45秒ごろまでの間に徐々に抵抗が弱まり意識消失に陥った。17時31分20秒ごろから約30秒間、患者の心拍が40台に低下し、再度の徐脈を経て17時31分55秒からは心電図が8秒間フラットとなり、その後、患者は呼吸停止に至った。ナースステーションに居合わせたB医師がバッグバルブマスクによる人工呼吸を行ったものの、橈骨(とうこつ)動脈も頸動脈も触知できない状態となり、ドクターコールにより駆けつけたC医師が心臓マッサージを行い、D医師がアドレナリン静脈注射を行うなどした。結果、患者の心拍は再開したものの、患者は低酸素脳症による遷延性意識障害に陥った(以下「本件事故」という)。

患者の父は、患者の成年後見人として患者本人を代理し、Y病院の設置法人に対して、3億2000万円余りの支払いを求めて訴えを提起した。なお、この訴訟では他の請求も併合されているが本稿では省略する。

争点

Y病院に次の点で過失があったか

① 患者の気管吸引時にアセスメントを実施し、吸引中に患者を観察することを怠った過失

② 患者の急変時に必要な救急措置を怠った過失

③ 本件手術に先立って、気管切開術を実施する可能性やそのリスクについて必要な説明を怠った過失


判決

争点について、以下の通り判断した。なお、判決は判決原文を要約して示している。

1 過失①について(肯定)

患者は、本件手術時に気管切開を受け、その後の吸引では、多量の粘稠痰が認められていたこと、酸素投与が行われていたこと、本件事故の直前17時20分ごろにも、E看護師の吸引により中等量の粘稠痰が認められたこと、この吸引の後にも肺雑音や痰が絡んだような咳が見られたことなどからすると、患者には、痰により気道が狭窄(きょうさく)または閉塞する危険があり、吸引を実施する必要もあった。

患者の状況と、日本呼吸療法医学会作成の「気管吸引ガイドライン」(以下「ガイドライン」という)の記載内容を前提とすると、患者について、Y病院は吸引を実施しない状態であっても、実施した状態であっても、患者が低酸素血症から低酸素脳症に至るリスクが相応にあることを考慮し、気道閉塞の有無を確認し、あるいは気道閉塞に至らないようにアセスメントを実施すべき義務を負っていた。

しかし、E看護師およびF看護師は、吸引を実施するに当たり、直前の吸引で協力的であった患者が激しく抵抗しており、酸素飽和度計が外れていてSpO2を測ることができない状態であったことから、呼吸困難と吸引への抵抗との区別が困難になっている状況において、患者の顔貌を観察する、呼吸苦の有無を尋ねて観察するといったアセスメントを実施せず、また、アセスメントが十分にできないことを踏まえて、異常な事態であると判断し、吸引を中断することも、応援を要請することもせずに、断続的に約4分にわたり吸引を継続した。したがって、E看護師とF看護師は、右記義務に違反したと認められる、として過失を認めた。

2 過失②について(否定)

Y病院は、大学付属病院であり、医療提供環境が整っていたことから、医療用BLSのアルゴリズムに沿った処置をすることが必要である。

Y病院は、患者の徐脈に対して、患者を速やかにショック体位にし、バッグバルブマスクによる人工呼吸を行うなど、アルゴリズムに沿った処置を実施しており、義務に違反していたとは認められない、として過失を否定した。

3 過失③について(否定)

Y病院の医師は、患者に対して同意書を用いて、手術内容や合併症の危険について説明を行った。同書面には、術後に気道閉塞が生じる可能性、気管切開を実施する可能性があることも記載されており、患者がこれを通読していたことからすれば、Y病院は患者に対して必要な説明を実施しており、説明義務に違反していたとは認められない、として過失を否定した。

4 結論

Y病院の医療従事者が、より早い時点で気道閉塞の可能性に気付き、救命処置に当たっていれば、患者が低酸素脳症に至らない蓋然性が高かったと認められるとして、過失①と患者の遷延性意識障害との間に因果関係を認め、Y病院の設置法人に対して、患者に1億4900万円余りを支払うことを命じた。


裁判例に学ぶ

判決は、吸引自体の手技や、実施中と実施前後のアセスメント項目(顔貌、皮膚の色、表情、胸郭の動き、聴診結果、脈拍、血圧、疼痛や呼吸苦の確認など)を示しました。そして、診療記録に基づき細かな時系列の経過を認定するとともに、事後的にその時々の患者の状態や医療従事者が行うべきであったとされる具体的な対応も認定しており、緻密な判断がなされているといえます。その判断の基礎は、義務についてはガイドラインであり、また事実については、診療記録ということになります。

医療には臨機応変さが求められることは当然であるものの、法的に判断される義務においては、まずは基本に立ち返ること、そして実施した医療行為の記録を残しておくことが重要であることが、本裁判例でも改めて確認されたといえるでしょう。

なお、気管切開患者の呼吸管理については、他にもいくつかの裁判例が存在します。気管切開カニューレが気管から脱落して気道が閉塞し、患者が低酸素脳症から遷延性意識障害に至った事案(東京地判平成1年3月29日、判時1320号109頁)、気管切開カニューレ内の痰により患者の気道が閉塞し、患者が低酸素脳症から遷延性意識障害に至った事案(東京地判平成18年3月6日、判タ1243号224頁)、気管切開カニューレ内に何者かによりティッシュペーパーが詰められ死亡した事案(大阪高判平成30年9月28日、判時2419号5頁)などがありますが、いずれの事例でも、裁判所は医療機関の責任を認めて、損害の賠償を命じています。