1 公訴事実
本件公訴事実は、「被告人は、a病院において臨床検査技師として勤務しているものであるが、平成17年7月29日午後1時20分ころ、同病院B棟2階超音波検査室内において、A(当時39歳)の腹部超音波検査を行うに当たり、Aにおいて、被告人が正当な検査をするものと誤信して抗拒不能であることに乗じ、Aにわいせつな行為をしようと企て、Aに対し、「気になるな。膝を胸に付けるようにしてくれる」などと申し向けて、Aを検査用ベッドに左側臥させて被告人に対して臀部を突き出す体勢をとらせ、さらに、Aの衣類を脱がせてその肛門部および陰部を露出させた上、検査器具である腹部プローブをAの肛門部に押し当て、数回にわたり、同所からその陰核に至るまで腹部プローブを密着させた状態で往復させ、もって、人の抗拒不能に乗じわいせつな行為をしたものである」というものである。
2 弁護人および被告人の主張の要点
弁護人および被告人は、本件公訴事実中の外形的な事実に関しては、被告人がプローブを数回にわたりAの陰核に至るまで動かしたとされている点のみを否認し、そのような行為は一度もしていないと争うとともに、本件公訴事実中のその余の行為は、会陰走査という必要かつ正当な超音波検査として行ったものであり、わいせつな目的はなかったとして、被告人は無罪であると主張した。
3 検察官の具体的な主張の要点
検察官は、被告人がAに対し、肛門部ないし会陰部にプローブを当てて行われる会陰走査と呼ばれる超音波検査として、おおむねその外観を呈して実施した措置(以下、「本件措置」という)が、会陰走査に名を借りたわいせつ行為に該当するとして、次のような主張をした。
(1)会陰走査では女性の陰核にまでプローブを当てることはあり得ないので、被告人がプローブをAの肛門部から陰核まで数回往復させたという事実から、わいせつ行為であることは明らかである。
(2)被告人にわいせつ目的があったことを推認させる事情としては、①検査着に着替える際、外す必要のないブラジャーを外すよう指示した、②Aの乳房を見たいがために、本件措置に先立つ通常の腹部超音波検査(以下、「本件腹壁走査」という)に際し、必要もないのに、Aの検査着の上着のひもをほどいた、③他の臨床検査技師が女性に対し検査をするとき胸や臀部があらわにならないようにタオルを掛けるのに、日ごろからそのようなことをしておらず、Aに対する検査の時にも、その乳房や陰部を見たいがため、Aの乳房があらわになった際、また、Aの臀部等があらわになった際、いずれも、タオルを掛けるなどの措置を取らなかった、④Aの揺れる乳房を見たいがために、本件措置終了後、Aが着替え中、上半身裸のAに対し、片足跳びをするよう指示した、⑤本件措置は、Aに会陰走査を行う医学的な必要性がないのに行われた点を挙げた。
4 本件の争点と裁判所の判断
(1)プローブを陰核まで動かしたか否かについて
前提として、プローブを前後に動かすことがあるか否かについて、N医師(多数の超音波に関する著書を出し、約18万件もの腹部等の超音波検査を実施してきた医師)は前後に動かす必要は全くないと証言し、O医師(本件病院外科副部長を務め複数の超音波に関する論文を執筆するとともに、それまで7万件以上の腹部等の超音波検査を実施し、約400例の会陰走査の経験を有する医師)は動かすことにより最適な部位を探すことが必要であると証言したところ、京都地裁は、N医師は自ら会陰走査を実施したことがないことから、O医師の証言の信用性が高いとし、プローブを前後に動かすことがあると認定した。
そして、プローブを陰核にまで動かされたとするAの供述内容は、外見や態度から気持ち悪いと感じた被告人に対する悪感情、時間の経過等が要因となり、表現が誇張されたり、記憶が変容した疑いが濃厚であって、信用性がないとし、したがって、プローブがAの陰核にまで動いたと認めることはできないと判示した。
(2)会陰走査の必要性および被告人の認識について
本件において、Aの担当医師は、被告人に対し、上腹部および下腹部の検査を依頼しているところ、被告人は、医師から腹部の超音波検査の依頼を受けただけのときにも、自ら検査の必要があると考えた場合には、医師の事前の許可を得なくても会陰走査を行っており、医師もそれを許していた。
また、本件において、被告人は、所見用紙に会陰走査を実施した旨を記載しておらず、Aの担当医師にも報告していなかった。
京都地裁は、会陰走査の必要性につき、超音波検査において、壁肥厚は、何らかの疾患の存在をうかがわせる最も重要な所見であるとともに、会陰走査は、直腸下部周辺の病変の疾患の有無等を知るのに有効な検査方法であるとの見解があるのであるから、被告人が、本件腹壁走査時に、Aの直腸壁に肥厚があると判断したことによって、さらに、直腸に何らかの疾患が存する可能性があると考え、直腸の状態をより子細に見るため、会陰走査を実施する必要があると認識するに至ったことは、十分あり得るのであって、被告人の供述に不自然な点があることは否めないものの、それを考慮しても、被告人の公判供述は、その重要部分において一定程度の信用性を有しているというべきであるとした。
(3)以上により、会陰走査を行う必要性はなかったとはいえない上、その必要性を被告人が認識していなかったと認めることはできないとした。
(4)さらに、被告人にわいせつ目的があったことを推認させるその余の諸事情について、個別にその存否を検討した上、あったと認められる諸事情を総合考慮しても、被告人にわいせつ目的があったと認めるには合理的な疑いが残ると判断した。