vol.217 脳血管障害に対する鑑別判断の当否と因果関係の証明の程度

―開業医において一過性脳虚血発作(TIA)を見逃した事例―

東京地方裁判所民事第34部 平成25年12月25日判決(平成23年(ワ)第33570号)
協力「医療問題弁護団」 青野 博晃 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

1 患者である原告Xは、かかりつけの神経内科専門医である被告Yの運営する診療所において診察を受けた平成18年3月20日当日、調剤薬局において突然脱力し、座っていたソファーから転落しました。

麻痺症状は20分ほど継続して消失し、Xは、症状消失後に改めてYの診察を受けました(以下、20日診察とする)。

Yは、Xの症状が血液検査による不安・緊張により血圧が急激に上昇したことによるものと判断して、セルシン(抗不安剤)を点滴投与しました。

2 Xは、同年3月27日午前9時ごろにYの診察を受け、帰宅した午前11時ごろに再び突然の脱力により転倒しました。

Xの麻痺症状は2〜3時間ほどして消失しましたが、Xは午後3時ごろにYの診療所へ赴き、Yの診察を受けました(以下、27日診察とする)。

これに対し、Yは、20日診察と同様に高血圧緊急症を疑い、セルシンを点滴投与するとともに、高血圧症状への対応としてカルデナリン(血圧降下剤)およびノルバスク(高血圧症治療薬)を処方してXを帰宅させました。

3 同年3月28日午前3時ごろ、Xはトイレに行くため立ち上がろうとして転倒し、A病院へ救急搬送されました。

当初、Xは意識清明であり運動障害や構音障害なども出現しておらず、CT検査でも脳病変は確認されていませんでしたが、午前5時15分ごろに左上肢筋緊張および構音障害が、午前7時ごろに左片麻痺が、順次出現しました。

搬送先のA病院は、脳梗塞および高血圧症と診断のうえで、高血圧症治療薬であるアダラートと脳梗塞の治療のためのラジカットおよびグリセオールを投与したうえで、午前7時20分ごろ、XをB病院に転送しました。

B病院にてCT検査およびMRI検査が実施されたところ、Xに脳梗塞が生じていることが確認されました。

その後のリハビリを経て、Xには、左下肢片麻痺等による身体障害1級の後遺障害が残存しました。

裁判

1 TIAの見逃しによる過失について

裁判所は、20日診察の時点では、Xが従前からパニック障害による上下肢のしびれなどの精神症状を訴えていたこと、セルシンの投与により高血圧症状が解消されたことなどから、Yが一過性脳虚血発作(TIA)を疑うことは困難であったと判断しました。

他方、27日診察に際しては、20日診察後に治療を行ったにもかかわらず、また不安・緊張を招来するような診療はなされていなかったにもかかわらず、一過性の麻痺症状が再度出現して長時間継続したことおよび高度の高血圧症状が出現していたことなどから、TIAを疑うべきであったと判断し、TIAを疑わずに漫然とセルシンの投与等行うのみで必要な措置をせずにXを帰宅させたYには、法律上の注意義務の違反(過失)があると認定しました。

2 後遺障害との因果関係について

次に、Yの27日診察におけるTIAの見逃しとXに残存した後遺障害との因果関係が問題となりました。

裁判所は、Yが投与したカルデナリンおよびノルバスクが限定的であれ血小板凝集抑制作用を有すること、救急搬送されたA病院で脳血管障害に対する治療をしてもB病院への転送時点で脳梗塞が発症していたこと、A病院でのCT検査時点では脳病変は確認されていなかったことなどから、YにおいてTIAを疑って処置を講じたとしても、Xの脳梗塞の発症が回避され、また後遺障害が軽度となった「高度の蓋然(がいぜん)性」があるとは認められない、と判断しました。

一方で、TIAに対する治療を適切に受けていた場合には、大きな脳卒中の発症確率が軽減され、また後遺障害の残存可能性も軽減するなどの医学的知見があることを指摘して、YがTIAを疑って処置を講じた場合、脳梗塞の発症が回避され、あるいは、後遺障害の程度が軽減されて、重大な後遺障害が残らなかった「相当程度の可能性」はある、と判断し、Yに対して、慰謝料として600万円の支払いを命じました。

裁判例に学ぶ

1 脳梗塞の前駆症状としてのTIAの鑑別判断

一過性脳虚血発作(TIA)では、発作後90日間の脳卒中発症リスクは15~20%であり、発症後90日以内に脳梗塞を発症する人の約半数は48時間以内に発症するものとされています。

また、発作の平均1日後に治療を受けた場合、発作後90日以内の大きな脳卒中発症率は2.1%であり、平均20日後に治療を受けた場合に比べると発症率が80%軽減されるとされています。

このように、発作後早期に脳梗塞などの脳卒中を発症する確率が高く、また治療が重症化の防止に有意であるため、TIAは脳梗塞の重要な決定因子であり、早期の診断と脳梗塞を予防することが求められます。

TIAは一過性の脳虚血による神経症状が出現し多くは1時間以内に消失するとされており、過去の同様な発作の有無を含めた詳細な既往歴の聴取のみが診断の決め手になることもあるとされています。

本判決では、20日診察の時点では、Xの訴えた症状が従前からの精神症状と類似しており、血液検査の不安・緊張による高血圧症による症状だと考えたことについては、YがXの運動麻痺症状などを現認したわけでもなく、TIAを疑うに足りる病態の適切な把握が困難であったとされました。

一方、27日診察の時点では、20日診察における訴えがあったことが前提となり、20日診察後の投薬治療にもかかわらず一過性の麻痺症状が再び出現していることや長時間の症状継続なども考慮して、TIAを疑うべきとの判断に至りました。

20日診察における神経症状の存在と27日診察における再度の麻痺症状の出現が、YにおいてXにTIA症状が出現していることを疑うべき事情として評価されていることがうかがわれます。

本件のような前駆症状や初期の急性症状の診断の際には、画像所見などの他覚的所見を十分に確認できない場合もあり、本件は鑑別判断のあり方において参考になる裁判例であると考えられます。

2 「相当程度の可能性」の証明

上述の通りYに過失が認められるとしても、Xに生じた損害(左下肢片麻痺等による身体障害1級の後遺障害)の賠償責任を負うかどうかは、Yの過失とXの損害との間に因果関係が認められることが必要となります。

訴訟における因果関係判断は、一点の疑義も許されない自然科学的証明とは異なり、経験則に照らして特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる「高度の蓋然性」の証明を必要とし、その判定は、「通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」とされています。

このような「高度の蓋然性」は裁判官の心証における80%程度以上だと言われています。

本件では、裁判所は、Yにおいて実施した投薬の効能やその後のA病院での脳梗塞への治療があってもB病院への転送時点で脳梗塞が発症していたことから、YがTIAと診断して必要な措置を実施しても、Xにおける脳梗塞の発症が回避できたことまたは後遺障害が軽減されたことの「高度な蓋然性」に至るまでの立証ができていないと判断したことになります。

他方で、適切な医療が行われなかったことが認定できるものの、因果関係における「高度な蓋然性」が証明されない場合であっても、適切な医療が行われていたならば当該結果を生じなかった「相当程度の可能性」が証明された場合には、医療者の責任は認められ、損害賠償が認められることがあります。

本件でも、TIAが脳梗塞における重要な決定因子であり、適切な処置をすることが脳梗塞の発症確率を下げ、重度の後遺障害の発生を防止することに有意であることをもって、「相当程度の可能性」の証明があったものとして、Yの責任が認められています。

なお、「相当程度の可能性」が認められた本件では、死亡や後遺障害について責任を負うのではなく、慰謝料の範囲で責任を負うとされています。