1 脳梗塞の前駆症状としてのTIAの鑑別判断
一過性脳虚血発作(TIA)では、発作後90日間の脳卒中発症リスクは15~20%であり、発症後90日以内に脳梗塞を発症する人の約半数は48時間以内に発症するものとされています。
また、発作の平均1日後に治療を受けた場合、発作後90日以内の大きな脳卒中発症率は2.1%であり、平均20日後に治療を受けた場合に比べると発症率が80%軽減されるとされています。
このように、発作後早期に脳梗塞などの脳卒中を発症する確率が高く、また治療が重症化の防止に有意であるため、TIAは脳梗塞の重要な決定因子であり、早期の診断と脳梗塞を予防することが求められます。
TIAは一過性の脳虚血による神経症状が出現し多くは1時間以内に消失するとされており、過去の同様な発作の有無を含めた詳細な既往歴の聴取のみが診断の決め手になることもあるとされています。
本判決では、20日診察の時点では、Xの訴えた症状が従前からの精神症状と類似しており、血液検査の不安・緊張による高血圧症による症状だと考えたことについては、YがXの運動麻痺症状などを現認したわけでもなく、TIAを疑うに足りる病態の適切な把握が困難であったとされました。
一方、27日診察の時点では、20日診察における訴えがあったことが前提となり、20日診察後の投薬治療にもかかわらず一過性の麻痺症状が再び出現していることや長時間の症状継続なども考慮して、TIAを疑うべきとの判断に至りました。
20日診察における神経症状の存在と27日診察における再度の麻痺症状の出現が、YにおいてXにTIA症状が出現していることを疑うべき事情として評価されていることがうかがわれます。
本件のような前駆症状や初期の急性症状の診断の際には、画像所見などの他覚的所見を十分に確認できない場合もあり、本件は鑑別判断のあり方において参考になる裁判例であると考えられます。
2 「相当程度の可能性」の証明
上述の通りYに過失が認められるとしても、Xに生じた損害(左下肢片麻痺等による身体障害1級の後遺障害)の賠償責任を負うかどうかは、Yの過失とXの損害との間に因果関係が認められることが必要となります。
訴訟における因果関係判断は、一点の疑義も許されない自然科学的証明とは異なり、経験則に照らして特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる「高度の蓋然性」の証明を必要とし、その判定は、「通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」とされています。
このような「高度の蓋然性」は裁判官の心証における80%程度以上だと言われています。
本件では、裁判所は、Yにおいて実施した投薬の効能やその後のA病院での脳梗塞への治療があってもB病院への転送時点で脳梗塞が発症していたことから、YがTIAと診断して必要な措置を実施しても、Xにおける脳梗塞の発症が回避できたことまたは後遺障害が軽減されたことの「高度な蓋然性」に至るまでの立証ができていないと判断したことになります。
他方で、適切な医療が行われなかったことが認定できるものの、因果関係における「高度な蓋然性」が証明されない場合であっても、適切な医療が行われていたならば当該結果を生じなかった「相当程度の可能性」が証明された場合には、医療者の責任は認められ、損害賠償が認められることがあります。
本件でも、TIAが脳梗塞における重要な決定因子であり、適切な処置をすることが脳梗塞の発症確率を下げ、重度の後遺障害の発生を防止することに有意であることをもって、「相当程度の可能性」の証明があったものとして、Yの責任が認められています。
なお、「相当程度の可能性」が認められた本件では、死亡や後遺障害について責任を負うのではなく、慰謝料の範囲で責任を負うとされています。