患者ががんの治療法を選択するに当たって、医師に求められる説明について

vol.231

腎盂上皮内がんの治療法を選択する際の説明について、担当医の説明義務違反により慰謝料が認められた事例

大阪高等裁判所 第11民事部 令和2年12月17日 判決 令和2年(ネ)第696号 損害賠償請求控訴事件
医療問題弁護団 小野 郁美 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

患者P(女性)はYの開設・運営する医療機関において、A医師に左腎盂上皮内がんと診断され、治療法としてBCG灌流療法と腎尿管全摘除術(以下「全摘除術」という)を示され、BCG灌流療法を選択して同療法を受けたがその後死亡した。

Pの遺族Xらは、A医師に説明義務違反があったとして、A医師に対して不法行為責任(民法709条)、Yに対し使用者責任(同715条)に基づき損害賠償を求めた(他の争点もあるが本稿では説明義務の点について紹介する)。

一審では原告の請求は棄却された。

経過概要は以下の通りである。

Pは、69歳であった平成25年1月に近医より紹介されて本件医療機関を受診した。

A医師はPに左尿管鏡検査、左腎孟尿細胞診検査、ならびに左腎孟および左尿管組織の生検等を行い、同年4月5日までに左腎孟上皮内がんと診断した。(なおPは単腎ではない)

同日、A医師は外来診察時にPとPの夫Xに対して左腎孟上皮内がんとの診断結果を伝え、治療方針として、[1]BCG灌流療法と[2]全摘除術があることなどを説明した。

PはA医師から説明用紙の交付を受けて持ち帰ったが、用紙は定型・印刷のものではなく、外来診察時に面前で手書きされたものであった。

PとXは、BCG灌流療法で治るなら全摘除術をする必要はない、という認識を持った。

Pは、次の受診時にA医師に対し、BCG灌流療法を選択する旨を告げ、約1カ月半にわたりBCG灌流療法を受けた。

Pはその後本件医療機関に継続的に通院して経過観察を受けていたが、尿細胞診に悪性所見を認め、平成26年5月に経腰的左腎尿管全摘除術を受けたがステージIVの状態であった。

Pは平成27年4月に左腎孟がんにより死亡した。

判決

「A医師は本件説明時、BCG灌流療法を施行した場合の再発率は高く、同療法を施行した場合には厳重フォローが必要であると認識しており、現にPの場合も、BCG灌流療法を始めてから月一度以上の診察期間を設けて経過観察を行っていたが、本件説明時にはBCG灌流療法を施行した場合の再発率について説明をしなかった」

「特にがん患者が治療方法を選択するに当たっては、治療が奏功して生存できる可能性やその期間、再発リスクがどの程度あるのかも相当な関心事であると考えられ、それぞれの治療法の予後については、必要に応じて具体的な数値を挙げながら、治療方針に関する自己決定の機会を実質的に保障するに足りる程度に分かりやすく説明することが求められていると解される」

「……A医師は、本件説明において、Pに対し、左腎盂上皮内がんとの診断名と病状、治療法として全摘除術とBCG灌流療法の二つの方法があること、それぞれの治療法の概要、違い、治療法(術式)の問題点について説明したうえ、治療効果として全摘除術が高いと抽象的に説明しているものの、(略)[1]ないし[3]の諸事情からすると、それぞれの治療法の予後についての具体的な説明が全体として乏しかったと言わざるを得ず、特に、全摘除術の大きな利点ともいえる5年生存率の高さに触れない一方([1])、BCG灌流療法の問題点である再発率に触れず([2])、かえってその有効率の高さを強調するかのような説明([3]:筆者注 膀胱上皮内がんのBCG灌流療法はすでに確立されており有効率は70%と非常に高く、腎盂上皮内がんはデータが少ないのでこれと比べて若干劣る、という説明)をしている点は、Pにおいて全摘除術とBCG灌流療法のいずれかの療法(術式)を選択するに当たり、BCG灌流療法を選択する方向に誘導するかのきらいさえないとはいえないものといえる。

以上からすると、A医師の本件説明は、Pの治療方針に関する自己決定の機会を実質的に保障するに足りる程度に具体的であったと認めることはできず、Pが全摘除術とBCG灌流療法のいずれかの選択肢を選択するかにつき熟慮のうえ判断することができるような分かりやすいものであったということはできないから、A医師には、診療契約上の説明義務違反があり、これによりPは、全摘除術とBCG灌流療法のいずれを選択すべきかについての自己決定権を実質的に侵害されたものというべきである」

裁判例に学ぶ

医療は結果を保証しません。

だからこそ、患者は自らに降りかかった病気の事実と医療の限界の両方を理解して、自らをどのように生かすかを考えなくてはならず、このことが自己決定権の核心と考えます。

ですから、医師の説明は、患者の(究極的にはその残りの人生の)過ごし方を自分で決めるために必要十分な情報提供でなくてはなりません。

医療者にはまずは情報の正確な伝達が求められます。

医療は構造的に情報が医療者側に偏在していることに改めて思いを致す必要があるでしょう。

本件で患者に交付された説明用紙は、診療中に手書きで作成されたものでしたが、説明に必要な情報を正確・確実に患者に伝える手段としての書面について、十分な工夫をしておく必要があります。

A医師は法廷でBCG灌流療法の再発率について口頭で説明したとの供述をしましたが、交付した説明書上に記載がないことを理由に採用されませんでした。

次に説明の程度について本判例は、抽象的な説明はあったものの具体的説明が全体として乏しかった、との判断をしています。

現場で患者さんを目の前にして「何をどこまで説明するか」を考えるとき、「患者さんを不安にさせない(から踏み込んだ説明を控える)」という視点はどう評価されるのでしょうか。

裁判の中でA医師は、CIS(腎盂・尿管の上皮内がん)症例で全摘除術を選択した場合、信頼できる文献等により5年生存率が90%を超えることについて認識していたのに説明しなかったことについて「5年生存率が90%という数値は、全摘除術施行後切除した標本の病理検査の結果、上皮内がんと確定した場合の数値であり、診断段階においてこのような数値を具体的に示すことはPの混乱を招くため不適切と考えて説明しなかった」との主張をし、一審判決では「このようなA医師の認識には相応の合理性があると認められ、A医師には具体的な数値を説明する義務があったとは認められない」との判断がされました。

しかしこの点について高裁判決は「5年生存率が全摘除術とBCG灌流療法の予後を比較するために重要な情報であると考えられること、A医師は、術前臨床病期とはいえ原発性上皮内がんであると診断していることに鑑みれば、A医師は、Pに対し、術前臨床病期と病理学的病期に差異がある可能性があることを説明したうえで、Pのがんが病理学的に原発性上皮内がんであった場合の5年生存率のデータを示すべきであったというべきである」と判示しました。

「具体的な数値を挙げて説明すること」は、福岡地判平成19年8月21日判決、大阪地判平成24年3月27日判決の判旨でも表れています。

患者の自己決定に向けられた説明は、留保がある場合はその留保も併せ伝える具体的なものであることが求められます。