(鉤括弧部分は引用。ただし、省略部分は...で表す。また、傍線は筆者追加。当事者については適宜置き換えている)
1.経過
原告甲1は原告の甲2との間の子を妊娠し、平成19年5月1日、被告乙1院長の経営する本件医院を受診し、その後の乙1および乙2(本件医院の副院長)の検診により胎児につき異常なしとの説明を受けていた。
甲1は、9月29日、本件医院において、乙1の分娩介助により丙を出生した。
丙は、出生後、10月5日に退院するまで、本件医院で新生児診療を受けた。
また、退院後も丙や甲1は、本件医院に通院していた。
11月5日の夜、丙が母乳等を大量に嘔吐し、低体温となり、翌6日午前5時すぎ、甲1が丙を抱っこして授乳等を試みていたところ、ぐったりして反応がなくなり、呼吸停止状態となったため、救急搬送され、搬送先の病院において、午前7時1分に死亡した。
丙は、死体検案、解剖されたところ、直接の死因は急性左心不全(期間、短時間)、その原因は大動脈弁狭窄兼閉鎖不全症の発症(期間1カ月以上)、さらにその原因は大動脈二尖弁(期間1カ月以上)であるとされ、「心重量43g~標準の2倍弱の重量、横断面で右室の肥大」、「組織:左心室内側において、内膜の線維性肥厚、心筋細胞の空胞変性、さらに壊死化心筋線維の残存、小血管周囲の線維化、弁は線維性肥厚」と診断された(以下「本件解剖所見」とする)。
2.争点
本件の主たる争点は、(1)本件カルテの信用性、(2)丙の死亡にかかる注意義務違反の有無である。
(2)の注意義務は、[1]聴診による大動脈弁狭窄症の診断および転送義務違反の有無、[2]全身症状観察による心疾患の診断および転送義務違反の有無が争われた。
3.裁判所の判断
(1)カルテの信用性
原告は、本件カルテのうち9月29日から11月6日の欄につき、丙死亡後の11月6日以降に2度にわたり改ざんされたと主張する。
「本件改ざん部分は、ほぼすべての記載が日本語で表示され、ごく例外的にしか略語を利用せず(他方、例えば、1か月健診時に、BWという略語を用いた際には、わざわざBW(体重)と付記している。)、字体は一般に小さく整然として罫線の行間に収まり、長文の記載もあるなど、乙1の甲1のカルテ...の記載ぶり(ドイツ語や略語を中心にごく簡単に記載)と大きく異なっている」「被告は、...日本人医師が日本語でカルテを記載すること、略語を用いずに記載することは改ざんの根拠になり得ないし、同一人が常に同じ大きさの字で記載するという道理はなく、書き始めの位置等の記載位置や記載ぶり等は改ざんを疑わせる根拠とはなり得ないと反論するが、同一人の記載による時期が近接したカルテにつき、基本的な記載ぶりの多くが大きく異なることは不自然というほかなく、しかも問題とされている本件カルテが、多忙な産婦人科医のカルテとして極めて丁寧に判読しやすい字体で比較的詳細に記載されている(一般状況が良好であること、異常がないこと等についても繰り返し記載されている)ことについては違和感を覚えざるを得ない(なお、...例えば、本件医院の温度板については、体温の記載があるのみで、心拍数や呼吸数の記載はなく、看護師による身体の診察所見の記載は日々のチェックリストの〇印も含め一切ないなど、異常がなければ記載しないとの方針で極めて簡略化されている...)。
また、本件改ざん部分中に、薬剤処方の記載があるにもかかわらず、レセプト作成担当職員が押捺すべき「薬剤情報提供料」のスタンプや担当職員の個人印が押捺されていないことについても、被告は、合理的な説明を尽くしているとは認められない」
その他、乙2が丙を診察して体重増加不良の異常を認めたにもかかわらず本件カルテに乙2による記載が一切ないこと、また、丙の母子手帳の1カ月健康診査の欄で「健康」に〇が付けられているにもかかわらず、同一時の本件改ざん部分に整合しない記載があること、さらに11月5日に丙が本件医院で診断を受けていないのに丙の体重につき異常がない旨記載されている事実を加味し、裁判所は、以下のように結論づけた。
「以上を総合すれば、本件カルテの記載に不自然さを感じるとする複数の医師の指摘...を待つまでもなく、本件改ざん部分の記載には不自然、不合理な点が多々認められ、いわゆる意図的な改ざんがあったか否かについてはさておくにしても、本件改ざん部分の信用性は極めて乏しいものというべきであり、以下の判断に際して本件改ざん部分に重きを置くことはできない」
(2)注意義務違反について
ア、丙の死亡に至る機序および聴診による大動脈弁狭窄症の診断義務(転送義務を含む)違反
本件の機序について、被告は、丙の出生時や診察時に丙の心雑音は確認できず、丙が本件医院入院中に左心不全症状が全くないまま経過推移していることから、丙は先天性大動脈二尖弁を遠因として大動脈弁狭窄により突然死に至ったものと主張する。
これにつき、裁判所は、丙の死亡の機序にも立ち入って判断し、注意義務違反を認定している。
「本件においては、丙の入院中に、乙1や乙2が聴診を行っていたことについては、退院時の記載を除けば、カルテ上の記載は何ら存在せず、これを裏付ける客観的な証拠はない...。また、退院時や一カ月健診時の心雑音なしとの記載については、前記判示のとおり、本件改ざん部分の記載は信用性の乏しいものであり、重きを置くことはできない...。さらに、本件医院の温度板については、心拍数や呼吸数の記載はなく、看護師による身体の診察所見の記載は日々のチェックリストの〇印も含め一切ない。他方、原告らは、本件医院の医師は出生直後から退院直前まで丙の聴診を行うことはなく、退院時にもかたちの上で聴診をしただけである旨主張し、甲1は、乙1や乙2が丙の聴診をしている姿を見たことは一度もない旨、陳述...、供述している」
「このような本件における特殊事情に照らせば、入院時に心雑音が聴取されなかったことや、大動脈弁狭窄の心不全症状は存在していなかったか、あったとしても極めて軽微なものであったことを前提にして、丙の死亡に至る機序を判断することは相当ではない...」
「本件解剖所見によれば、丙の大動脈弁狭窄は重度のものであり、時間をかけて心筋や心内膜面の肥厚や線維化が進展し、大動脈弁狭窄による症状も時間経過に従って進行しながら現れていき、低心拍出量症候群・心不全症状となって、死亡に至ったものと考えるのが合理的である...」
(被告主張の突然死の機序は、医師である証人の証言や本件解剖所見を根拠に否定)
「そうすると、...原告らが主張するとおり、十分な心拍出量があったと考えられる間は...、たとえ経験が浅い医療者であったとしても、実際に聴診を行う、あるいは、真剣に心雑音を聞こうとすれば、心雑音の異常を聴取することができたものと認めるのが相当であり...、これにより、大動脈弁狭窄症と診断できたはずであるし、直ちに適切な治療を受けさせるために、丙を専門病院に転送することもできたはずである。したがって、被告は、適切な診断を行う義務を懈怠し、また、そのため丙を専門病院に転送すべき義務も懈怠して、治療の機会を逸しさせたといわざるを得ない」
イ、全身症状観察による心疾患の診断義務(転送義務を含む)違反の有無
アの場合と同様、カルテの信用性が乏しいため、カルテの丙に各症状が確認できない旨の記載にかかわらず、ア同様の機序を認定し、注意義務違反を認定している。
(3)結論
以上のとおり、裁判所は注意義務違反を認定し、因果関係も認めたうえで、原告の被告に対する2940万円の損害賠償および遅延損害金の支払いの請求を認めている。