説明義務違反と悪しき結果

vol.233

治療行為と因果関係のある悪しき結果が発生したと認められない場合に
医師の説明義務違反行為自体による慰謝料請求権の発生を否定した事例

東京高裁 令和2年7月22日判決(判例タイムズ1493号64頁)
医療問題弁護団 古賀 麻里子 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただいております。

事件内容

幼少期に小児神経学の専門医により自閉症と診断され、同医師らが提唱していたドーパミンの前駆物質を継続的に投薬する少量L-DOPA療法を15年以上にわたって実施された患者が、長期間の投与で発達が停滞し、重度知的障害の状態となり不随意運動その他の精神・神経症状の後遺障害が残存したとして、医師には投薬すべきでないのに同療法を開始し、副作用発現後も投薬を中止しなかった過失がある他、医療水準として未確立な療法であること等についての説明義務違反があるとして損害賠償を求めた事案である。

判決

1 診療経過

平成6年6月、会話ができないこと等を主訴として患者はA病院を受診した。

小児科での各種検査では異常がなく、神経外来を担当していた医師の診察により自閉症の疑いがあると診断され、B医師宛ての診察・診断依頼が出されたことから、患者はB医師の診療所を訪れ診察を受けた。

B医師は、患者の乳児期の行動に関する両親からの聞き取り内容や、診察時に認められた臨床症状、検査結果等から、自閉症と診断できるものと考え、当時2歳3カ月の幼児であった患者にL-DOPAの処方を開始した。

この治療法は、当時、自閉症の治療法としてB医師が提唱していた少量L-DOPA療法というもので、自閉症の症状は、ドーパミンの活性の低下がもたらすドーパミン受容体の過感受性に起因するとの仮説の下、ドーパミンの前駆物質であるL-DOPAを少量ずつ継続的に投与することで、上記の過感受性を抑えつつドーパミン伝達を改善させ、自閉症の症状の改善を期待できるというものであった。

しかし、イライラがひどくなる、睡眠障害が誘発されるなどの影響が出た症例や新たに症状が出現または悪化した症例も報告されていた。

患者はその後、15年以上同診療所に通院し、B医師よりL-DOPAの他、症状により向精神薬(ハロペリドール、フルボキサミンマレイン酸塩、リスペリドン)を処方されていたが、平成21年12月4日の受診をもって同診療所への通院を終了した。

2 一審

一審の東京地裁(令和元年10月17日判決)は、少量L-DOPA療法につき、患者の受診開始時である平成6年10月当時も現在も自閉症の専門的研究者の間で有効性と安全性が是認されているものではなく、臨床医学の実践における医療水準となっていない治療法であることを認める一方、患者が受診開始時中等症以上の自閉症であり、医師の裁量において実施される治療行為としてL-DOPAの投与は与えられた裁量を逸脱、濫用していると評価できず、また、投薬開始後の副作用出現は認めることができない等判示したうえで、投薬開始および中止の注意義務違反を否定した。

因果関係についても、少量L-DOPA療法の副作用によって患者に知的障害および複雑性チックが残存していると高度の蓋然性をもって証明されているとは認められないとして否定した。

一方で、説明義務違反については、少量L-DOPA療法は、平成6年当時、臨床医学の実践における医療水準となっていない治療法であるというだけでなく、B医師自身が提唱したものであり、自らが携わった研究でも悪化例に接したことがあるというのであるから、そのような治療法を実施する以上は、医師には、L-DOPA療法が未確立な治療法であることおよび副作用の出現や症状悪化の可能性を親権者である両親に知らせ、同療法を受けることについて熟慮の機会を与えるべきであるとし、説明義務違反を認め、慰謝料300万円および弁護士費用30万円の限度で請求を認容した。

3 控訴審

控訴審である本判決は、説明義務違反に基づく損害賠償請求に係る部分以外は原判決とほぼ同じ判断をしたが、説明義務違反の点については以下のように判示し、結論を異にした。

(1)B医師に説明義務があるか

B医師は、患者に少量L-DOPA療法を開始するに当たり、控訴人の両親に対し、自閉症に対する確立された治療方法はなく、少量L-DOPA療法で用いられるドパストン散が自閉症の適応薬剤として承認されたものではなく、医療水準として確立された治療法ではないこと、その開始後に症状が悪化する場合もあることを説明する義務を負っていたというべきである。

B医師が少量L-DOPA療法についての説明義務を怠り、患者の両親が十分な情報を得ることを妨げる結果を生じさせた可能性も高い。

(2)説明義務違反と因果関係

説明義務は、診療契約を基礎として治療行為を選択するための情報提供を医師の側に義務付けたものであり、これに違反して行われた治療行為によって違法とはいえないものの不可抗力の副作用などが生じた場合に精神的損害との間の因果関係を認め、損害賠償請求権が発生するものと解するべきである。

これに対し、治療行為自体も全く問題なく終了し、有害事象も全く発生しなかった場合にまで、相当因果関係を認めることには疑問がある。

治療行為の選択権侵害という限り、法益侵害がありそうではあるものの、あくまで診療契約に付随してどのような治療をするのかを説明するものであるから、有害事象が全く発生していない場合にまで、他の治療行為を選択する権利が失われたとまで認める必要はないと考える。

その意味で、説明義務違反があっても、患者に有害事象が発生しなかった場合には、説明義務違反と精神的損害との間に相当因果関係はないと解するのが相当である。

そのように解しなければ、説明義務違反による損害賠償請求権が際限なく拡大してしまい、診療契約を基礎として生ずる債権的利益を超えるものといえるからである。

(3)慰謝料請求権の発生を否定

本件では、患者の現在の症状について、少量L-DOPA療法によって生じたものであると認めることはできないのであって、有害事象の発生を認定できないのであるから、仮にB医師に説明義務違反があったとしても、これと精神的損害との間の相当因果関係を認めることはできない。

裁判例に学ぶ

医師が患者に説明義務違反を負うこと自体は周知の事実ですが、本事例では、一審と控訴審で、医師の説明義務の性質を異なるものと捉え、結論を異にしました。

説明義務を、自己決定権に基づくもの(一審)ではなく、診療契約に基づき治療法の選択のための情報提供を義務付けたもの(控訴審)と捉えた場合でも、医療的に悪しき結果が生じなければどのような治療法であっても説明義務違反による慰謝料請求権の発生は否定されるわけではありません。

最高裁の判例では、医療的には悪しき結果が生じなかったものの医師の説明義務違反による慰謝料請求権の発生を認めた事例が複数存在します。

患者に宗教上の信念から治療方法の選択に強い希望があり、医師もそのことを知っていたのに十分な説明をせず、結果として患者の信念に反する治療方法を採ることになった事例(最三小判平成12年2月29日・エホバの証人輸血拒否事件)や、患者が特定の治療方法(乳房温存療法)について強い関心を有しており、医師もそのことを知っていたのに十分な説明をせず、他の治療方法の選択に至った事例(最三小判平成13年11月27日)です。

慰謝料請求権の発生の前提となる悪しき結果は、医療的なものに限らず、治療方法についての患者の強い希望や関心、宗教上の信念といった事情も含めて判断されます。

本事例は、医療的にも、こういった事情からも悪しき結果は生じなかったと認定された事例において、説明義務違反行為自体による慰謝料請求権が否定されたものと捉えられます。