1.経過
原告は、健康診断で肺機能低下の疑いから呼吸器内科受診を勧められ、平成30年5月19日に被告病院呼吸器内科を受診し、その後も受診を継続した。
原告は、平成30年6月20日以降も咳が止まらないと訴えて、被告担当医師の診察を受け続けたが、同医師は胸部CTによる経過観察を続け、同年10月13日および平成31年1月19日のCT検査の結果、いずれについても放射線読影医が「気管支鏡でご確認ください」「気管支鏡評価を」と記載しており、1月には結節影が15mm大に増大していると指摘されていたにもかかわらず、術者への感染のリスクがあることなどを考慮して、気管支鏡検査を行わなかった。
本件肺がんが発見されるまで、約13カ月を要し、その間、13回におよぶ被告担当医師の診察を受けていた。
令和元年7月27日に本件肺がんが発見され、後医で右肺中下葉切除手術が行われ、術後放射線治療が行われた。
2.注意義務
平成30年4月24日に撮影された胸部CTにおいて、中葉の胸膜直下に、長径13mm大、充実成分径が1cmより大きく2cm以下の結節影が認められ、原則として確定診断を行うとされている大きさであった。
また、原告のブリンクマン指数は630であり、肺がんのハイリスク群に属していた。
平成30年5月19日の前週の初め頃から、息をするときに痰が絡むようなぜいぜいする感じがあり、同年6月20日頃には発作的に咳が出るという呼吸器症状が認められ、実際に、被告担当医師は、平成30年4月24日の胸部CTの結果、鑑別すべき疾患として肺がんも想定していた。
そして、喀痰細胞診で診断がつかない場合には、次に侵襲度の低い検査である気管支鏡検査が行われるとされているところ、原告は、平成30年6月19日まで、結核の診断のため、3日間の喀痰検査を受けたものの、結核菌の排菌はなく、前記結節影について診断がつかない状態であった。
そうすると、前の担当医師も喀痰検査で診断がつかない場合に実施することを予定し、その旨原告にも説明していたとおり、被告担当医師には、平成30年6月20日の時点で、結核か肺がんかの確定診断のため、原則として、気管支鏡検査を行う義務があったというべきである、とした。
3.被告らの主張について
被告らは、(1)原告が、抗血小板薬の内服治療を受けており、出血のリスクが高い状態で、気管支鏡検査のためには、休薬を含めて2週間近くの入院が必要となるが、当時の原告は非常に忙しい状況であったため、検査実施は困難であったこと、(2)結核菌の排菌による症状の悪化および院内感染や術者が感染するリスクがあったこと、(3)結節影は小さく、肺門部や気管支間リンパ節は気管支鏡による精査が困難であること、および(4)気管支鏡検査には重大な合併症があり、死亡例もあることから、リスクが高く、気管支鏡検査の適応がないと主張した。
裁判所は、(1)について、抗血小板薬の服用により休薬期間が必要になることは、気管支鏡検査の適応を否定する事情とはいえない、と認定した。
また、原告の仕事の都合で一定期間入院することが不可能であるかどうかは、気管支鏡検査の必要性について説明を受けたうえで、原告が判断すべきことであり、医師において判断可能な事柄ではない、とした。
(2)について、気管支鏡検査は、結核の診断のためにも行われており、医学文献でも、結核の可能性がある場合には、気管支鏡検査の順番を他の患者の後にする、必要に応じてN95マスク、ガウン、帽子、ゴーグルなどの準備をするよう記載されている一方、結核の疑いがある場合に気管支鏡検査を実施すべきではないという医学的知見の存在を認めるに足りる証拠はないことなどから、活動性結核の可能性があることは、気管支鏡検査の適応を否定する事情とはいえない、と認定した。
(3)について、EBUS-TBNAによれば気道に接している病変について、コンベックス走査式超音波プローブによる超音波画像を観察しながら、リアルタイムでの病変の穿刺生検が可能であるとされており(甲B55)、肺門部早期肺がん(内視鏡的早期肺がん)の定義に、病巣末梢辺縁が内視鏡的に視認できることが含まれていることも踏まえると、肺門部や気管支間リンパ節は気管支鏡による精査が困難であるとしても、直ちに気管支鏡検査の適応が否定されるとはいえない、とした。
(4)について、原告の胸部CTにおいて確認された結節影は、原則として、確定診断を実施すべき大きさであり、喀痰細胞診は陰性で、診断がつかず、気管支鏡検査が必要な状況であったのに対し、合併症の発生率は高いとまでは認められないことから、気管支鏡検査の適応を否定する事情とはいえない、とした。
また、被告らは、気管支鏡検査を実施しないことによって、原告の術後の5年生存率が著しく低下することを具体的に予見することはできないため、結果予見義務違反を基礎付ける具体的予見可能性がない、または結果回避義務違反がないと主張した。
これについて、裁判所は、医学文献において、肺がんの臨床経過は初診時の病期(ステージ)と関連しており、無症候性症例を早期発見することは、生存予後を改善するものと一般的に考えられており、検査を実施しなかったことにより肺がんの発見が遅れた場合には、当然、その間に肺がんが進行し、それに伴って予後が悪化し、5年生存率も低下し得るから、具体的予見は可能であり、結果予見義務および結果回避義務はあるというべきである、とした。
4.因果関係
裁判所は、上記過失がなければ、原告は、ステージⅡの段階で、本件肺がんの手術を受けることが可能であったと認められ、肺がんと診断された60歳から69歳までの男性で、ステージⅡで外科的手術を行った場合の5年生存率は70.4%、ステージⅢで外科的手術を行った場合の5年生存率は49.7%とされていることから、本件肺がんの発見が約13カ月遅れた結果、原告の術後の5年生存率は、20.7%低下したと認められる、と認定した。
5.損害について
裁判所は、原告の精神的苦痛に対する慰謝料を算定するに当たっては、本件肺がんの見落とし期間やそれに至る前記の経緯、術後の5年生存率の低下は20.7%と小さいとはいえないこと、本件不法行為の内容、平成30年6月20日時点で、本件肺がんはすでにステージⅡBに達しており、原告の抱いている死への不安や恐怖は、見落としがなくても一定程度生じていたものであって、本件不法行為によってその程度が高まったこと、その期間は手術を受けた令和元年10月21日から5年間に限定されることなど本件に現れた一切の事情に照らすと、原告の精神的苦痛に対する慰謝料は、200万円と評価するのが相当である、と判断した。
弁護士費用20万円とカルテ開示費用を認め、被告らに、損害賠償金222万31円および遅延損害金の支払を命じた。