1.診療経過等
平成19年12月10日、原告(当時25歳、Y病院の勤務医)は、3日前からの頭痛が改善しないと訴えて、Y病院内科を受診した。
同月11日、持っていたペンを落とすといった左上肢麻痺を自覚したことから、Y病院内科を再度受診した。
その診察において、左顔面の軽度麻痺も認められ、さらにCTとMRIの検査で、右側頭葉の腫瘤性病変およびその周辺の脳浮腫が確認された。
造影MRI検査で、病変部の辺縁に造影効果が見られるというリング状増強効果が確認された。
また、血液検査の結果は、白血球数が8270/mm3、CRPが1.30mg/dLであった。
同日、脳腫瘍の疑いにより、原告はY病院に入院し、脳浮腫対策を行い、手術は他院で実施することとした。
Y病院A医師がW大学病院の脳外科B医師に宛てて作成した診療情報提供書の「傷病名」には脳腫瘍との記載があり、「症状経過および検査結果・治療経過」には頭部CTとMRIの検査を施行後に脳腫瘍と診断し、手術等が必要ではないかと考えてW大学病院を紹介したとの記載があった。
なお、Y病院には、脳神経外科または脳神経内科は設置されていない。
同月12日、原告は、検査画像および血液検査報告書を持参して、W大学病院B医師の診察を受けた。
B医師がA医師に宛てて作成した診療情報提供書の「傷病名」には悪性グリオーマ疑との記載があり、「ご返事」には画像診断から悪性グリオーマが最も疑わしいと考えられ、その中でもグリオブラストーマの可能性が低くないため、同月17日にW大学病院に入院とし、定位的生検術を実施し、病理組織診断が決定した段階で開頭手術について決めたいとの記載があった。
原告は、W大学病院の外来診察後、Y病院において、リンデロンやグリセオールの投与を受けた。
同月16日、昏睡状態に陥った原告は、W大学病院に緊急搬送され、CT検査にて、右側頭葉に径45mmの腫瘤性病変と強い脳浮腫が認められた。
W大学病院のD医師およびE医師は、脳ヘルニアが生じていると判断し、画像診断で、その原因として悪性グリオーマと脳膿瘍の双方が考えられるためドレーンを挿入したところ、膿汁が流出してきた。
そこで脳膿瘍と判断し、そのまま病変部から35mlの排液を行い、開頭手術を行った。
膿汁からは溶血性連鎖球菌が検出された。
平成20年3月27日、意識障害、運動障害(自分で動くことができない)などの後遺障害を残して症状が固定し、同日以降、原告は、断続的にY病院に入院している。
2.争点
争点は、(1)W大学の過失、(2)Zの過失、(3)因果関係、(4)損害の4点である。
なお、(2)および(3)は紙幅の都合上割愛する。
3.裁判所の判断
(1)W大学の過失
[ア]脳膿瘍の高い疑いを生じさせる事情の存在
脳膿瘍は造影MRIにおいてリング状増強効果を示し、かつ、拡散強調像において病変の内部が顕著な高信号を示し、このような画像所見を示す場合には出血がない限りは脳膿瘍と考えてよい。
原告の場合、造影MRIでリング状増強効果を伴う病変が認められ、拡散強調像において当該病変の内部が顕著な高信号を示している。
さらに、CT画像所見から高吸収域およびT1強調像における高信号域がいずれも存在せず、当該病変内で出血が生じていたとは認められない。
また、脳膿瘍はT2強調像において病変の内部が高信号、辺縁が等信号または低信号、その外周が高信号を示す。
この辺縁が特徴的であり、脳腫瘍との鑑別に有用である。
そして、原告の頭部MRI画像を見ると、T2強調像において病変の内部が高信号、辺縁が低信号を示し、その周辺部が高信号を示している。
これらを踏まえると、B医師は、さらなる検査等を行って原告の右脳実質内に生じていた病変が脳膿瘍である可能性を否定できるような特段の事情がない限り、これが脳膿瘍である疑いが高いと診断すべきであった。
[イ]脳膿瘍の可能性を否定できる事情の不存在
原告には発熱、白血球数の著明な増加等の感染症症状が見られなかった。
しかし、脳膿瘍であっても感染症症状をほとんど認めないか、または欠くことも多いことに留意すべきであり、発熱は脳膿瘍患者の約半数にしか見られないとされていた。
それゆえ、感染症症状が見られなかったことは特段の事情には当たらない。
また、原告には先行感染因子が見当たらなかった。
しかし、脳膿瘍において感染経路が不明なものも珍しくないとされていたのであるから、このことも特段の事情には当たらない。
好発年齢の観点から検討をしても、脳膿瘍はほとんどが30歳代以前に発生するといわれており、原告は本件診察当時に25歳であったのであるから、原告の年齢は特段の事情には当たらない。
[ウ]B医師が取るべきであった措置
脳膿瘍は診断の遅れにより予後不良となることもあり、とりわけ膿瘍が脳室に穿破すると脳ヘルニア等により致死率が高くなり、膿瘍径が2cm以上で深部に局在するものは脳室穿破を来たしやすいので注意を要する。
一方、Y病院が平成19年12月11日に実施した原告の頭部MRI検査によれば、原告の右脳実質内の病変は基底核の付近にあり、その大きさは左右径37.99mm、前後径34.03mmに達していたのであるから、これが脳膿瘍であるならば、原告には、本件診察当時、膿瘍が脳室に穿破する現実的危険が切迫していたと伝えるべきである。
このような状況下においては、脳膿瘍に対する治療で、かえって生命の危険が高まるためにその実施を避けることが相当といえるような特段の事情がない限り、B医師は、原告の右脳実質内の病変が脳膿瘍であるとの高い疑いを持った場合には、確定診断に至らなくとも、直ちに脳膿瘍に対する治療、つまり抗菌薬投与および穿刺排膿術を実施する義務を負っていた。
にもかかわらず、これらを怠った。
(2)損害
[1]入院雑費15万4500円、[2]入院付添費66万9500円、[3]医療関係費6311万9761円、[4]将来介護費0円、[5]逸失利益2億390万484円、[6]入院慰謝料160万円、[7]後遺障害慰謝料2800万円、[8]弁護士費用2970万円の損害賠償が認められた。